松竹大歌舞伎/市川海老蔵 「義経千本桜」

松竹大歌舞伎 ロンドン公演
Sadler's Wells Theatre
2010年6月11日(金) 19:30-

演目:
 義経千本桜 「伏見稲荷鳥居前」「吉野山」「河連法眼館の場」

出演:
 忠信/源九郎狐:市川海老蔵
 源義経:大谷友右衛門
 静御前:中村芝雀

 他


 歌舞伎のロンドン公演で市川海老蔵が来る、というのはしばらく前からロンドンにいる日本人の間では結構話題になっていた。僕は今まで猿之助のスーパー歌舞伎を一度見ただけで、いわゆる「普通の」歌舞伎を見たことがなかったのだけれど、海外にいると日本の文化を知らないことに恥ずかしさを感じることもあり、いい機会なので観に行った。そしてこれが、非常に面白かった。

 この物語のストーリーについては、恐らく本舞台を観に行く前の僕と同様に全く知らないという人が少なからずいると思うので、松竹のサイトのあらすじをリンクしておく。
 ちなみにこの義経千本桜という演目には、ある程度独立したエピソードが多数含まれていて、今回上演された「伏見稲荷鳥居前」「吉野山」「河連法眼館の場」の三つの幕は、その中の中心となるストーリー。題名には義経の名が付されているものの、ここでの主役は佐藤忠信/源九郎狐(一人二役)で、市川海老蔵がこの役を演じる。

 最初の「伏見稲荷鳥居前」は派手で賑やかな幕。幕が開くと義経と静御前の豪華な出立ちで華やかな舞台が始まる。木にくくり付けられた静御前を発見した逸見藤太(はやみのとうた)のコミカルな演技に思わず笑いっていると、そこへやってくるのが佐藤忠信。海老蔵は驚くほど華がある役者で、かっこいいし男の色気もある。やや高めで柔らかさのある声もすばらしい。隈取りした海老蔵が、藤太とその一味と繰り広げる荒事も、動きの一つ一つが洗練され、型がいちいち決まるのがとにかく痛快。
 続く幕の「吉野山」は、浄瑠璃(三味線の伴奏で歌が歌われる)に乗って静御前と忠信(源九郎狐)が義経のこと、かつての平家との戦いのことなどを回想する。桜が満開の吉野山を背に、人目を忍ぶ逃避行の二人の束の間の平和なひとときは、ゆるやかな浄瑠璃の調べに浮かびかつ沈み、ゆったりとした非現実的な時間が流れる。ちなみに正直に言うと、美しい着物を着た静御前よりも、源九郎狐の海老蔵の方がよほど色気を放っていた。

 休憩を挟んで最終幕の「河連法眼館の場」。ここでは静御前に付き添っていた忠信が実は狐であったことが明かされ(そのため「源九郎狐」と呼ばれる)、その狐が、静御前の持つ「初音の鼓(はつねのつづみ)」が自分の母狐と父狐の皮で作られていることを語る。「鳥居前」では勇壮で頼れる存在であった源九郎狐が、ここでは親を慕う気持ちをあらわにして見るものの涙を誘う。悲痛極まりない狐の独白と、その話に感じ入った義経が鼓を狐に与えた後の、狐のほとばしる喜びの発露の表現は見事。

 歌舞伎の動きは本当に洗練されている。直接的な動きによる表現は注意深く退けられ、全ての表現を形式に昇華しているように僕には見えた。形式主義というと通常悪い意味で使われるけれど、歌舞伎における形式主義は、表現の一般化・抽象化の果てに辿り着いた表現形式の一つの極致であり、その形式と感情の表現の絶妙のバランスが歌舞伎の魅力であるように思えた。そしてまた、形式を極めた先にまだ残る何かが、役者一人ひとりの個性であり、海老蔵の放つ魅力もそこにある。歌舞伎が世界に誇れる日本の芸術であることは間違いなく、その歌舞伎を今まで見て来なかったことが悔やまれる。

 今回上演された義経千本桜という演目は、派手な場面(鳥居前)、耽美的な場面(吉野山)、そして人情話(河連法眼館)と多彩で見所が豊富なので、これが歌舞伎の三大傑作と呼ばれることにも充分納得がいった。ただ、歌舞伎に疎い僕ではあるけれど、上に書いたような表現の洗練をもっと突き詰めたような作品もあるのではないかとふと思った。そういう話があれば、是非見てみたい。
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by voyager2art | 2010-06-12 20:13 | その他


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