楽譜を眺めてみる(その4)~ ウォーリーを探せ

 前回はたくさんの旋律が同時に演奏される例を見てみたけれど、今回は一つの旋律を何度も使う例を見てみる。
 最初はピアノから。ショパンの有名な別れの曲をリヒテルの演奏で聴いてみる。



 この曲の楽譜の、最初のページ(画像をクリックで拡大)。全曲の楽譜はこちら
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 この曲に現れる二つの旋律に注目する。
 まずはこれ。




 伴奏を省くとこうなる。




 次はこれ。



 これも伴奏を省き、さらに旋律の形を上下逆さにしてみる。




 この二つの旋律を使ってショパンは次の曲を作った。




 楽譜はこれ。
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 これはショパンの練習曲集作品10の4番。つまり、別れの曲(作品10の3番)の次の曲。この二曲は、同じ主題を使って作曲された双子、あるいは一つのものの二つの側面ということになる。
 これが偶然や僕のこじつけでないことは、ショパン自身が別れの曲の楽譜の最後に"Attacca il presto con fuoco"、つまり「次のプレスト・コン・フォーコ(作品10-4のこと)に切れ目なく続けるように」と指示を書き込んだことから明瞭に分かる。この書き込みは出版に際して削除され、今でもほとんどの版では削除されたままになっているけれど、僕が持っているヘンレ原典版の楽譜ではこの指示が残されている。
 ショパンはただ甘美な曲を書いただけの作曲家ではなくて、こういう構成力の点でも飛び抜けたセンスを持つ人だった。


 この作品10-4をリヒテルの信じられないような凄まじい演奏で。





 このリヒテルとは対極的で、しかもたまらない魅力を湛えた演奏がこれ。ピアノの詩人、アルフレッド・コルトー。同じ曲から、こうも違った音楽が生み出されるとは!






 このような特定の少数の素材からの音楽作りということにかけて、真髄を極めた作曲家がブラームス。交響曲第2番を例にとる。かなり説明がしつこくなるけど、そういう曲だから仕方ない。これでもだいぶ簡略化しているので、あきらめて付き合って下さい。



 第1楽章の楽譜の最初のページ。全曲の楽譜はこちら

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 この最初の旋律がこの曲を理解する鍵になる。ここでは便宜上、主題1-aと主題1-bと名付けることにする。また、主題1-aと1-bを合わせて主題1と呼ぶことにする。


 この主題1は、あらゆる形で第1楽章に何度も何度も現れる。たとえばこれ。



 これは主題1-aの展開。



 1-aと1-bを重ねた例(音色の選び方が恣意的ですみません)。





 2楽章の詳細は割愛。今回は、冒頭のチェロの主題が下降音階になっていることだけを覚えておくことにする。これを主題2としておく。
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 3楽章の冒頭は再び主題1が戻ってくる。ただし、1-aの部分が上下逆になっている。これを主題3と名付けることにする。繰り返すけど、これは主題1の変形に過ぎない。
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 この主題3は、この楽章中で何度か形を変えて出てくる。

 次の部分は主題3と全く同じ音型で、リズムだけが違う。

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 こちらの例は主題3を上下逆にして、リズムを変えている。

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 第3楽章は、徹頭徹尾ひとつの主題だけから構成されているのだ。


 続く4楽章。冒頭のメロディーは、またしても主題1。
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 この最初の4つの音は、主題1の最初の4つの音と全く変わらない。そしてこの第4楽章には、もう想像がつくと思うけど、この主題1が繰り返し現れる。
 そしてそれと同時に、この4楽章の冒頭の旋律には、新たに4度(ドとファの間隔)の要素が加わっている。これを主題4と名付ける。
 また、第2楽章で現れた下降音階(主題2)も使われていることに注目。この楽章は、第1楽章で現れた主題1と、第2楽章で現れた主題2、そしてこの楽章で新たに加わった主題4で構成される。


 冒頭の旋律から主題4+主題2の部分と、その出現例二つを続けて。二つ目の例は、一つ目の例の上下を逆にしたものになっている。






 主題1の出現例を二つ続けて。一つ目は伴奏も主題1(ただし上下逆)。二つ目は主題2も加わった例。





 この曲で主題探しを始めるときりがないので、この辺りで切り上げることにするけれど、この曲がどう組み立てられているかはある程度伝わったのではないかと思う。興味のある人は楽譜を詳しく調べてみると、ここに書いていない部分にも大量に同様の例を見つけることができるだろう。ある旋律の上下を反転させた形にも注意すると、本当にいろいろと見つかる。この曲では、探さなくても初めからウォーリーしかいない。


 この曲はブラームスの田園交響曲などと呼ばれることもあって、牧歌的で明るい曲想が人気だけれど、楽譜を細かく見ていくと、その余りにも緻密で執念深い主題の展開に、むしろ息の詰るような構成の厳しさを感じずにはいられない。それでいて、この曲には人工的なにおいはなく、交響曲の名に恥じない(音楽としての)大きさを持っている。驚くべき作品だ。
 ブラームスはドヴォルザークが美しい旋律を次々に生み出すことを賞賛して、「彼の屑かごの旋律を使って一曲仕上げることができる」と評したというのは有名な話だけれど、これは一方で、彼自身がわずかな素材から堂々たる交響曲を一曲仕上げてしまえることの自信の裏返しのようにも僕には聞こえる。



 ブラームスの他にもこの手法を多用した作曲家はいる。ベートーヴェンもそうだし(ブラームスはベートーヴェンに倣ったところが大きいのだろうし、むしろベートーヴェンを本家と言うべきか)、意外なところではラフマニノフもそうだ。著作権が切れていないので楽譜の例は出せないけれど、彼の交響曲第2番も、冒頭の旋律だけで全曲が組立てられていると言っても過言ではない。


 個人的には、こういうことを知って何になる、という気がしないでもない。音楽の構造はあくまでも表現の手段であって、目的ではないと思うから。とはいえ、クラシック音楽には確かにこういう構造的な一面があるのも事実で、何よりもこういうことが分かってくると面白いのだ。
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by voyager2art | 2011-01-21 08:36 | 楽譜


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