高い山々、天国、深い井戸、そして愛の希望/ラトル & ベルリンフィル & シュトゥッツマン

 いよいよラトルとベルリンフィルのロンドン公演の最終日。曲目はマーラーの3番。アルトはナタリー・シュトゥッツマン。連日の大曲の名曲。この演奏会のチケットは最初に取り損ねてからずっとリターンを待っていたけどなかなか取れず、ようやく一ヶ月ほど前に取れた。毎日しつこく会場のウェブサイトをチェックしていたので、リターンを見つけたときは思わず叫び声を上げた。
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Johannes Brahms: Es tönt ein voller Harfenklang, Op.17 No.1
Hugo Wolf: Elfenlied
Gustav Mahler: Symphony No.3
(No Interval)

Anke Hermann (Soprano: Brahms)
Nathalie Stutzmann (Contralt: Mahler)
Stefan Dohr (Horn: Brahms)
Marie-Pierre Langlamet (Harp: Brahms)
Tamás Velenczei (Posthorn: Mahler)
Ladies of the London Symphony Chorus
Ladies of the BBC Singers
Choir of Eltham College

Sir Simon Rattle (Conductor)
Berliner Philharmoniker

23/Feb/2011 (Wed) 19:30 -
Royal Festival Hall, South Bank Centre, London


 最初のブラームスの歌曲は、ソプラノ独唱とホルンソロとハープに、小規模な女声合唱が入る音楽。竪琴と角笛を伴った歌、と表現する方がロマンティックかも知れない。オーケストラの他のメンバーがステージには上がっていたけど演奏せずに聴いていた。とても素直な美しさの音楽で、マリー=ピエール・ラングレメとシュテファン・ドールという二人の名手の伴奏に乗って、ヘルマンの誠実な歌が心地良かった。
 続くヴォルフは名前はもちろん知っていたけど、録音・実演を通してその作品を耳にするのは初めて。マーラーと同じ年の生まれということだけど、音楽自体はマーラーに比べるともっと小ぢんまりとまとまった中にひっそりと美しさを湛えているという感じの小品だった。もっともこの歌はヴォルフが20代で書いた曲なので、後年の彼の音楽はもっと違っているだろうと思う。オーケストラも小編成ながら音色の使い方が自然で、シュレーカーなどのロマン派最後期までもうあと一歩というところまで来ているのがよく分かる。
 2曲あわせて10分ほど。ここでヘルマンは舞台袖に下がり、休憩なしにマーラーの演奏が始まった。


 冒頭の8本のホルンは勇壮そのもので、パート全体でまとまって芯の通った音色はさすが天下のベルリンフィル。このファンファーレの後半の下降音階に僅かにかけられたリタルダンドによって重みが増し、そのために峨々たる峰々のどっしりと壮麗で雄大な風景が際立つ。
 その後の演奏は殊更に深刻になることのない、実に自然な流れの音楽。小手先の技に頼ることなく、ゆったり大らかな演奏。毎日芸もなく同じ表現を繰り返すけど、音量と音色のレンジが極端に広くて、それを目一杯使いながら途切れることのない歌が延々と続く。ピアニシモもフォルティシモも技術的に本当に余裕があって、とんでもない音量(大きい方も小さい方も)で演奏していても音楽の表現はますます冴え渡る。
 この楽章は心理描写ではなく実に鮮やかで壮大な風景描写の音楽で、マーラーが弟子のブルーノ・ワルターに「この景色は全て作曲した」と語ったという風景が、まさに眼前に展開されていく思いがする。またしても繰り返すけど、オーケストラの上手さと音楽の豊かさに聴き惚れているうちに、長いはずの第1楽章があっという間に終わっていった。

 続く第2楽章。冒頭のオーボエソロを吹くのは名手アルブレヒト・マイヤー。このソロに現れる三連符のスラースタッカートの、絶妙のアーティキュレーションに心奪われる。音がつかず離れず、ではなくて、付いていて離れている。この魅力は言葉ではうまく説明できないのが本当にもどかしい。
 そのソロに続いて現れる、大輪の花が一気にひらくようなヴァイオリンの旋律は、むせ返るような官能の香りがさっと立ちのぼり、空気を余さず甘い香りで満たす。山あいの野原で気の趣くままに歩き回り、移り変わる風景を楽しむような音楽に、ここでも身を委ねる。
 この楽章の最後は、切なくなるほど美しかった。

 第3楽章はスケルツォだけど、人間同士の機知やパロディではなくて、自然の中の動きの面白さを力まずに爽やかに描いている感じ。でもこの楽章は何といってもポストホルンのソロ。舞台袖から鳴り渡るヴァレンツァイの演奏の美しさは、もうまさに天国的。この人は歴代のベルリンフィルのトランペット首席奏者の中でも際立った美音の持ち主で、優しく輝いて無駄な力の一切掛からない、完璧に澄み切った明るい音でポストホルンのソロを吹き切った。何度か演奏されるこのソロの最高音を、この上なく美しいピアニッシモで吹いたときの響きは、もう夢と現(うつつ)の境界が溶けて恍惚郷に遊ぶ心地がする。夢心地の中で時間の流れも止まり、明るくて優しい光の中に包み込まれていく。

 第4楽章は一転して、夜の帳が降りた中に見る神秘の音楽。シュトゥッツマンのソロが入ってきたとき、それが声だとはちょっと信じられなかった。透明な水を湛えた井戸を覗き込み、その水を通して見る暗い無限の深さの神秘に飲み込まれるような感じで、非常に深い豊かさと厚さ、そして潤いがある。全く声高ではないにも関わらず、空間を内側から満たし切って深く響き切る声はちょっと他に聴いたことがない。昨年のロンドンフィルの演奏会で聴いた、彼女の歌うリュッケルト歌曲集もとても良かったけれど、今日の彼女は、"O Mensch!"の一声だけで会場を圧倒した。このアルトに微かな灯を点すトロンボーンの和音もこの上なく美しい。
 4楽章のアルトの深さがあまりにも印象的だったので、続く5楽章の児童・女声合唱の明快で晴れやかな天使の歌が非常に鮮やかな対比を見せた。女声合唱はロンドンシンフォニーとBBCシンフォニーの合唱団の女性陣だったけど、とても上手。すっきりとよく伸びる歌声がロンドンのオーケストラの響きをふと思い出させる。

 この可愛らしい合唱曲が終わると、間をあけずに最終楽章を開始。ラトルはここでも感傷を排して、少し速めのテンポでとてもすっきりとした演奏をする。最初のうちは人の感情を描いたというよりも、夕闇にとけ込んでいく山の景色のような描写に感じられた。ベルリンフィルの弦楽器のピアニシモが美しい。特にヴァイオリンの高音域の音程が一糸乱れず完璧に揃うので、その透き通った響きの美しさは心に沁みる。

 次第に光が落ちてきて夜の帳が再び降りてくると、今回は神秘の内に入り込むのではなくて、ようやく人の心の繊細な動きが描かれ始める。この楽章では愛がテーマになっているのは有名な話だけど、ここで語られる愛は実に若々しい。先日のBBCシンフォニーで聴いた6番のときのように、心の底に消え難く残る過去の辛さとの苦い戦いといった重さはここにはない。この楽章の音楽自体は激しく震え、不安が吹き荒れる部分を持つけれど、これはあくまでも自分の恋愛の将来への不安であって、根本的には将来への希望に付随するある種の自己陶酔のようなものでしかなく、その不安に甘美さはあっても苦さはない。その証拠に、不安が過ぎれば希望に満ちた音楽が再び明るく立ち上がり、前回を遥かに上回る力強さで前向きに朗々と歌い上げられる。
 甘い不安を何度か楽しみながら、音楽はどんどん巨大なものにふくれあがっていく。最後はホールが振動していると感じるほどの途轍もない圧倒的なフォルティシモ。まるで全ての音が核融合のように強烈に反応し合い、それがまた別の反応を引き起こして、終いには強烈なまぶしさで輝き切るようで、全ての楽器が音量を完全に解放してこの曲を演奏し終えた。


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ラトルとソプラノのヘルマン、アルトのシュトゥッツマン。
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ポストホルンを吹いたヴァレンツァイ。
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木管楽器のトップ陣は、フルートのブラウ、オーボエのマイヤー、クラリネットのフクス、ファゴットのダミアーノ。言わずと知れたスタープレイヤーたち。
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ドール率いるホルンセクション。
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 終わってみれば今日もまた、ベルリンフィルの圧倒的な上手さとラトルの絶妙な組み立てに胸が希望と幸せでいっぱいになる演奏だった。
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by voyager2art | 2011-02-24 10:12 | オーケストラ


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