美女の音楽/バティアシュヴィリ & サロネン & フィルハーモニア管/Prom 44

 ストラヴィンスキーのペトルーシュカが聴きたくて出向いた演奏会。僕はストラヴィンスキーのバレエ三部作のうち、火の鳥と春の祭典は実際のバレエの舞台で観たことがあるけれど、このペトルーシュカだけは未だに機会がない。それでもこの音楽が大好きで、久しぶりのフィルハーモニア管でどんな演奏が聴けるかと楽しみに会場へ向かった。
 でも、実際に強い感銘を受けたのは、ペトルーシュカよりもその前のショスタコーヴィチの方だった。


PROM 44

Shostakovich: The age of gold - suit
Shostakovich: Violin Concerto No.1 in A minor
(interval)
Stravinsky: Petrushka (1947 version)
Tchaikovsky: Francesca da Rimini

Lisa Batiashvili (violin)
Philharmonia Orchestra
Esa-Pekka Salonen (conductor)

17/Aug/2011 (Wed), 19:30 -
Royal Albert Hall, London



 最初の曲はショスタコーヴィチのバレエ音楽「黄金時代」。初めて聴く曲で、これがバレエ音楽ということも知らずに聴き始めた。最初の鮮烈な出だしは、フィルハーモニア管らしい柔らかい弦の音だなと思ったけれど、何となく音に厚みがなくて、まだオケが鳴っていない。技術的にはもちろん上手いし整っているんだけれど、管と弦のバランスがいまいちで、少し空回り気味。でも途中からだんだん安定してきて、さすがだなと思ったのは続く(組曲の中の)2曲目。べたつかない感傷が切々と歌い上げられて、音も明るく澄んできて一気に音楽に惹き込まれる。
 心の奥の深いところまで連れて行かれて、ああと声を出したくなるほどの深い余韻に浸る間もなく、第3曲の異常にコミカルな音楽がほとんど切れ目なしに始まった。エレジーのような第2曲のあとでは、このスケルツォ(実際にはポルカと指定されているそうだけれど)は悪ふざけの過ぎる、あからさまに意図的な道化として聴こえてくる。心のうちを吐露してしまった後の照れ隠しなのか、あるいは実はまだ自分の中に生々しく残っている心の傷の痛みをごまかすための、見せかけの照れ隠しなのか。
 続く終曲も一見コミカルな表情を纏ってはいるものの、そこで語られている内容は真剣。ずっと道化としての人生を送ってきた主人公が、自身の思考回路の奥の奥まで染み込んでしまったコミカルなボキャブラリーを唯一の手段として使いつつ、とにもかくにも自分が言わなければならない切実な何かを必死に言い切ってしまったような、苦さと甘さの混じった音楽だった。技術的にも高度に安定していて、素晴らしい演奏だった。


 今まで何となく抱いていたショスタコーヴィチへの苦手意識が克服できるきっかけになるような演奏だったけれど、続くヴァイオリン協奏曲はこの作曲家の良さを一度に目の前に繰り広げてくれるような、更に素晴らしい演奏だった。

 ヴァイオリンのバティアシュヴィリは、グルジア出身と言われて100%納得できる、彫りの深い顔立ちの舞台映えする美人。オーケストラの序奏に続いて静かに入ってきたヴァイオリンの音は、重心が低くて、かつよく通る美しい音。巨大なロイヤルアルバートホールで聴いてこれだけ響くのだから、小ホールで聴いたらものすごく豊かで力強い音を持っているのではないか。
 しかし彼女は、音そのもので聴かせるだけではなく、音楽の表現自体が本当に見事だった。この1楽章では、非常に素直な音の出し方を徹底していて、細部の歌い回しを巧みに聴かせるというよりは、延々とたゆたい続ける音楽を、全く切れ目なしにひたすら歌い続ける。一つ一つの音が素直に発音され、素直に伸ばされて素直に次の音に移る。そして限りなく息の長い旋律がきちんと旋律としてつながっていく。細部にこだわらない分表情にあざとさがなくて音楽が自然に流れていた。
 とりわけ印象的だったのは、彼女が音や表情をひたすら聴き手の方に発し続けるだけではなくて、ときどき音をふっと抜いたように弾くことで音楽のベクトルを彼女の内側に向けるところ。聴いているこちらは、それまでずっと自分の方に向かって発せられていた音楽が突然反転して向こうに引いてしまうので、それにつられて更に深く音楽に引き込まれることになる。これはこの楽章だけではなくて、今日の演奏全体の随所に見られて、非常に効果的だった。とはいっても、彼女がこれを計算ずくで狙ったという印象も受けなかった。もとより何も考えずにそういうことをできるはずもないし、恐らくこの音楽の特質として彼女が本能的かつ直感的にこういう表現をつかみ取ったのだろうと思う。
 ゆっくりと静かな音楽が延々と続くうちに、次第にその長大な積み重ねから驚異的な意志の粘りも浮かび上がってきて、ずっと演奏に引き込まれたまま気が付くとこの楽章が終わっていた。

 続く第2楽章は一転して音が跳ね回る音楽。バティアシュヴィリは正確なテクニックと冴えたリズム感でこれを弾くのだけれど、音が跳ねている割には音楽は跳ねていない。そこに派手さや華やかさは一切なく、むしろその跳ねている音を通して、彼女の鋭い視線が身じろぎもせずにじっとある一点を見据えているような、絶対的で一切の揺るぎのない視点と、恐怖感すら覚えるほど沈着冷静で強靭な意志の凄みを感じずにはいられなかった。
 音楽が抽象的なので、ある人の独白を、そこに出てくる固有名詞が分からないままに傍で聞いているような印象もあって、非常に面白い。

 第3楽章は再び緩徐楽章。最初は1楽章のときと同じように素直な歌い口で演奏し始めたけれど、音楽が進むにつれて表現がどんどん柔軟になっていく。ここでは音楽は禁欲的な抒情ではなく、もっと心の内側に落ち込んでいって、痛切な甘美さに支配されていく。バティアシュヴィリのヴァイオリンには大げさなルバートがなく、テンポやリズムの変化は非常に抑制されているにもかかわらず、その表現はこの上なく繊細で表現力が豊か。まるで自分の心の中の一番デリケートな部分を直接外界にさらけ出して、そこが傷ついて血が滴るのも構わずに、愛するものへの執着、あるいは愛したものへの追憶を直に抱きかかえるような、繊細でしかも官能的な演奏。
 楽章の最後のカデンツァでは更に音楽が大きく盛り上がり、ヴァイオリン一本だけの音楽とは思えない切実さと深さと広さを表現する。気が付くと彼女のヴァイオリンを中心に大きな渦が回り始め、その渦はもはや止めようがないほどに大きくて強い確固とした流れになっているような錯覚を覚えた。その渦の流れで世界は大きく転回し、途切れることなく終楽章に入る。

 この終楽章の入りは、それまでの濃密で痛切なヴァイオリンソロを受けたスミス氏(言わずと知れたフィルハーモニアの重鎮ティンパニ奏者)の圧巻のティンパニで導入された。この導入部の演奏では、胸のすくような鮮やかさで一気に快速楽章になだれこむというのが多いのではないかと思うけれど、スミス氏のティンパニは全く違う。ずっしりと地面に腰を据えて、広大でそれまでとは全く違った豊かな世界が開かれるのを確固たる口調で厳かに告げるという感じ。世界が一気に広がるとともに、素晴らしい厚みを備えて風景を豊かに引き締める。
 その新たな世界で、バティアシュヴィリのヴァイオリンは何かに憑かれたかのような圧巻の演奏。前楽章までの強靭な意志や揺るがない視点の凄みはそのままに、さらに猛烈な激しさと推進力を加える。固唾をのんで聴き入るとはまさにこのことで、聴いている僕は身を乗り出して金縛りにあったように身動きできない。演奏はそのまま一気呵成に最後まで突き進んだ。


 僕はバティアシュヴィリというヴァイオリニストの名前も知らなかったし、今日の演奏会もペトルーシュカを目当てに聴きに行ったくらいなので、この演奏は全く予想外で、そのあまりに素晴らしさに当分興奮が冷めなかった。ヴァイオリンは詳しくない僕だけれど、ロンドンに来てそれなりにいろいろなヴァイオリニストの演奏を聴いてきて、その中でも非常に水準の高い演奏だった。32歳の若さでこの曲をこれだけ素晴らしく弾きこなす音楽性にも驚嘆。彼女の演奏はこれから機会があれば極力聴くようにしよう。
 ちなみに夫君はかの天才オーボエ奏者のフランソワ・ルルーだとか。この二人の共演も聴いてみたい。

 このあと、アンコールを一曲。誰の何という曲かは知らないけれど、素朴なワルツ。気品のある艶やかな歌い口がとても魅力的で、ときどき少女のようにはしゃぐところもあって、彼女の別の魅力を堪能。色々な曲で聴いてみたいヴァイオリニストだなあ。
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 興奮冷めやらぬまま、休憩を終えてお目当てのペトルーシュカ。さっきまでは協奏曲の伴奏ということでかなり音量を落として演奏していたオーケストラだけど、ここではアクセル全開。そしてスミス氏のティンパニもエンジン全開。高周波成分が多く、バンとよく響く音の中に音程がしっかりと鳴っている、たまらない音。ストラヴィンスキーの音楽となると、もう水を得た魚のようにバシバシと決め所をことごとく決めていく。痛快。
 でも上手いのはスミス氏だけではない。実力派のフィルハーモニア、サロネンの明快な指揮の下で、どのパートも見事にソロとアンサンブルを決めて外すことがない。音色も普段の柔らかさに、更に強い輝きを加えて冴え渡り、リズムも安定していてアンサンブルも決して崩れない。このオーケストラで聴くことの多い、上手いけれども落ち着きすぎてしまった演奏では全くなく、今日はオーケストラが非常に充実した自主性を発揮していた。

 ただ、今日の演奏にはちょっと独特の印象もあった。サロネンは各楽器の間の関係を、今まで聴いたことのないようなバランスで構築していた。だから、今まで主旋律だと思っていた音が裏に回ったり、こんな音があったのかという思うようなのが表に出てきたりと、最初から最後まで常に発見があった(ただしこれは、版の問題なのかもしれない)。
 そして、何よりも独特だったのがその音楽の方向性。明快な指揮棒さばきで楽譜の隅々まで明確かつ正確に音にして、一点のごまかしもないのは指揮者とオーケストラ奏法の水準の高さの証明だろうと思う。その上で、今日の演奏には、都会的に洗練されてしまった先の居心地の悪さのようなものを感じさせるところがあった。これはネガティブな意味で言っているのではなくて、そういう表現をこの音楽に与え得ることが僕には新しかったという点で、非常に興味深かった。子供向けの素朴な歌の断片でさえ、コンピューターで正確に制御された演奏のように聴こえて、曖昧さはないかわりに僕のような古いタイプの人間が慣れ親しんだ人の素朴な暖かみもない。現代的に洗練され、必要な全ての機能が洒落たデザインで実装されたオフィスビルにいるような、そこはかとない不快感や不安と一体になった快適さ。
 かつてサロネンの指揮するフィルハーモニアで春の祭典を聴いたときは、まさにこの特徴ゆえにその演奏に全く共感できなかった。しかし曲目がペトルーシュカとなれば、その特徴が音楽に不思議な洞察を与えるのが面白い。現代の都会に舞台を移し替えた演出でこの演目を「観て」いるような、そんな印象的な演奏だった。
 

 最後はチャイコフスキーのフランチェスカ・ダ・リミニ。(いつものことながら)不勉強なことに、この曲の元となったダンテの「神曲」は読んだことがないし、実はこの曲自体いままで録音ですら聴いたことがなかった。どんな曲かと楽しみに聴き始めたけれど、どこかに旋律を置き忘れてきたかのような音楽で、普段聴くチャイコフスキーの音楽に濃厚に漂う、旋律の魅惑が全くない。オペラで歌手が不在のままオーケストラだけで演奏しているような物足りなさが作品のほとんどを覆っていて、演奏レベル自体は高かったものの、音楽を楽しんだとは言えない。この曲が滅多に演奏されない理由は明白だし、今日の演奏会でわざわざこの曲を最後に置く必要性は僕には理解できなかった。レベルの高い演奏会だっただけに、この一曲は蛇足だったという印象を拭えない。

 
 最後だけちょっとがっかりしたとはいえ、とにかく盛りだくさんで極めて充実した内容の演奏会だった。最近ぱっとしない演奏会が続いていただけに、地元のオーケストラで素晴らしい演奏を聴けたのは嬉しい。同時に、フィルハーモニア管のレベルの高さを再確認した演奏会でもあった。聴きに行って本当に良かった。
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by voyager2art | 2011-08-18 10:20 | オーケストラ


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