カテゴリ:演劇( 1 )

Complicite / Simon McBurney: 春琴

2010年11月6日(土)19:45 -
Barbican Theatre

演目:春琴(原作:谷崎潤一郎「春琴抄」)

監督:Simon McBurney

出演:
 春琴:深津絵里
 佐助:チョウソンハ(若い頃)、高田恵篤(中年の頃)、笈田ヨシ(老年)
 三味線:本條秀太郎
 他

 二日続けてバービカンセンターへ。ただし今日はいつものように演奏会ではなく、谷崎潤一郎の「春琴抄」に基づく演劇を見に行った。何とも恥ずかしいことに僕はこの原作をまだ読んだことがない。でも最近になって日本の文学作品を色々と読むようになってきて、この演目が気になって仕方なかったので行ってみた。こういうとき、海外に住んでいるとすぐに日本の本が手に入らないのでもどかしい。
 なお、この演目は日本で2008年に制作されたということで、既に観た人も多いかもしれない。ロンドンでの公演も実は昨年に次いで2年目ということだけど、僕は去年は全く知らなかった。

 ちなみにこの舞台で春琴を演じるのが深津絵里という人だということを、直前になって知った。この人がどうやら有名な女優さんらしいということも、そのときに初めて知った。僕は映画をほとんど観ることがなく、しかも日本にいたときもテレビで民放の番組を見ることがほとんどなかったので、いわゆる芸能人についての知識がほとんどない。深津さん以外の役者の皆さんもひょっとしたら有名な人たちなのかも知れないけれど、僕にとっては名前を聞いたことのない人たちばかり。

 この舞台の演出で面白かったのは、大掛かりな舞台セットを使わずに、2mほどの長い棒と一畳ほどの大きさの板をたくさん使って、それらを自在に組み合わせて配置しながら、巧みな照明とともにその場その場の情景を上手く作り出していた点。抽象的でかつ豊か、というのは僕は大好きだ。また、この話をラジオ番組か何かの収録という設定にしていたのも、まさか原作がそうなっているわけではないと思うけど、なかなか面白かった。そして何より、春琴。主演の深津さんは春琴役ということになってはいるけれど、途中までは黒子のように(ただし顔は隠していない)春琴の人形を操りながら台詞を話す。彼女自身が春琴役を実際に演じるのはかなり後になってから。これがすばらしく成功していたと思う。

 物語自体は、細部を省略しつつ谷崎潤一郎の小説をそれなりに忠実になぞっているのではないかと思われた(早く原作を読みたい!)。攻撃的でしかも美しい春琴を、深津さんが実にうまく演じていた。少女時代はまだ「気が強い」程度だったのが、時間の経過に伴って次第に激しい態度で佐助に接するようになる。この変化がとても自然かつ印象的に表現されていた。そしてまたチョウソンハさん演じる佐助が本当に素晴らしく、恋い慕う春琴に一途に誠心誠意尽くし、同時に春琴からのきつい仕打ちに性的亢進を感じる佐助を見事に演じていた。
 自分に対する相手からの愛を信じられさえすれば、傍目にはどんなに異常に見える関係でも、当の二人にとってはそれがあるべき形であるという、倒錯した愛のありようの描写は非常に印象的だった。ただ、演出上の強調なのかなと思うところで、気になるところがなかったわけでもない。春琴が顔に火傷を負ったあと、佐助に自分の醜い顔を見せたがらなかったのを思いやって佐助が自身の目に針を刺すシーンの後。この物語のクライマックスの一つだと思うけれど、ここで春琴は「他の人はまだしも、お前(佐助のこと)にだけはこの醜い顔を見られたくなかった」と言い、佐助はそれに対して「そう言って頂けるだけで幸せです」と言う。恐らくこのやりとりは原作にもあるのだろうけれど、舞台ではやけにこの部分が強調されていて、物語として辻褄が合いすぎてしまったような気がする。ここを原作がどのようなニュアンスで描いているのか気になった。

 その後、共に目の見えない二人のその後の物語が短いながらも印象的に演じられる。春琴の死が語られ、その後佐助もこの世を去る。このあたりは間と沈黙と暗闇が極めて効果的に使われ、素晴らしい余韻を感じさせる。
 そして最後。この最後の部分に、この演出の最大の問題点が来る。最後になって突然、「昔の人は暗闇の中で、微妙な陰影を認めてそこに美を見出していた。しかし現在の明るい世界に住む人は、その陰影に気付く感性を失っている」ということが語られる。
 僕はこれに非常に混乱した。まさか谷崎潤一郎が春琴抄の小説でこれを書いたとは思えなかった。確かに佐助が自ら光を捨てたところで、「目が見えなくなってから春琴の声、手足の柔らかさ、三味線の音色が本当に理解できるようになった」と語るシーンはあったし、ここからの関連であろうということは僕にも分かった。しかし、だからといって「現代人は陰影を忘れた」などと説教めいたことを最後に賢しらに語るのは、それまで語っていた春琴と佐助の心の奥底の美しく激しい交流の物語を台無しにするように僕には思えた。なぜ最後になって急に世間的な辻褄を合わせようとするのか。どうして最後に「教訓」のようなものを聞かされなければならないのか。
 繰り返しになるけど、それまでの話から考えて、谷崎潤一郎がこれを小説の最後に書いたとは僕には信じられなかった。もし作者自身が本当にそう書いたとすれば、この作品の読み方自体が変わってくる。帰りの地下鉄の中でもずっとこのことが気になって、頭の中がぐるぐる回っていた。

 家に帰ってこの文章を書くにあたって、インターネットで色々と調べているうちに、少しずつ背景が分かってきた。この"Shun-kin"という演劇は、「春琴抄」だけではなく同じ作者の「陰翳礼賛」という文章も原作としているらしい。その中では、陰翳をなくすために明かりを増やす方向に進んだ西洋に対して、日本ではその陰翳を認めた上で、その陰翳の上に美的感覚を発達させた、ということが語られているという。
 これでようやく事情がわかった。この舞台の監督を務めたSimon McBurneyは谷崎潤一郎の作品を読む中で、この「陰翳礼賛」から、彼にとって何か新しい認識を得たのだろうと思う。そしてその認識が、彼には春琴抄を読み解く鍵と見えたのに違いない。その結果が、今回の舞台なのだろう。
 しかし、春琴抄と陰翳礼賛がいかに関連しているとはいえ、春琴抄の最後に上に書いたようなエンディングを持ってくるのはやはり誤読だと僕は思う。陰翳礼賛は谷崎潤一郎の美学上の信念の一つであり、春琴抄を書く上での重要な拠り所ではあっただろうけど、春琴抄の結論ではないはずだ。表面的な論理的整合性に満足してしまうのは西洋の思考方式の悪い癖だと思うし、そういう点で最後にこういう安易な辻褄合わせを持ってきてしまったのは残念だった。
 もちろん、舞台が原作に忠実でなければならないという必然性は何もない。原作に触発されて生み出される芸術がそれ自体として価値があるなら、それがどんなに原作とかけ離れていても、そしてたとえ原作者がそれに同意しなかったとしても、僕は全く構わないと思う。ただしそれは新たな価値を生み出していればの話だ。今回の舞台の最後の部分は、残念ながらそうではなかったと思う。

 いずれにしても、この舞台は原作を読んでからもう一度観てみたい。今までお芝居を観てこなかった僕だけれど、解釈はともかくとして、演劇も面白いと納得できるだけの水準であったことは間違いない。
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by voyager2art | 2010-11-07 10:10 | 演劇


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