カテゴリ:雑感( 7 )

旅を前にして・・・

 最近かなりサボり気味のこのブログ、なぜかというと待ちに待った旅行がもうすぐ始まるから。今年はミャンマーに行くぞと決めてから、航空券やビザなど色々必要な手配を進め、ミャンマーの主要民族の文化や歴史を調べ、なんてことをやっているので、音楽会やバレエも極力減らして、旅行の準備を進めている。

 ところがここへきて心配の種になっているのが、ミャンマーの隣国タイの洪水。今回のミャンマー行きは、いつもの旅の拠点のバンコクを経由するルートで計画していた。
 バンコクの洪水の状況は、先週末が大潮で一番危ないと聞いていたから、それを何とか乗り切ったようでホッとしていたのに、その後もバンコクの北に溜まった水が大量にバンコクに押し寄せてきていて、状況はひどくなるばかり。多少の浸水くらいなら、たくましいタイ人のことだから絶対に上手く工夫して生活しているに違いないし、僕もそういうしたたかなタイ人を見たいから行ってしまうつもりだけれど、空港が閉鎖になってしまうと厄介で、いま僕が一番懸念しているのもそれ。

 それにしても最近はアジアに行くたびに何かある。去年の年末は英国の大雪でロンドンの空港に30時間閉じ込められたし、3月にバンコクに遊びに行ったときにはちょうど日本の震災が起きてしまって休暇を楽しむどころではなかった。過去には2008年のバンコク空港閉鎖に巻き込まれ、急遽陸路でマレーシアに抜けて、クアラルンプールからロンドンまで帰ったこともあった。
 とはいえ、(震災はちょっと別としても)トラブルは旅のスパイス。犯罪などに巻き込まれない限りはあとで話の種にもなる(バンコクの空港閉鎖はれっきとした犯罪だとは思うけど・・・)。今回も、後から振り返って笑い話になるくらいで済めばいいのだけれど。
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by voyager2art | 2011-11-06 06:52 | 雑感

指輪

 来年の今ごろ、ロイヤルオペラハウスでワーグナーの「ニーベルングの指輪」が上演される。指揮がパッパーノというだけでも楽しみだし、ターフェルのヴォータンをはじめ歌手陣もなかなか充実しているように見える(僕はオペラに疎いので歌手の名前をあまり知らないけれど)。
 この指輪、来年の秋に4サイクル上演されるのだけれど、その各サイクルの通し券が今日発売になった。といっても今日はまだ一般発売ではなく、年会費を払っているフレンド会員向けの優先発売。高い会費を払っている上級の会員の人たち向けには数日前から発売になっているけど、僕は一番下っ端の会員なので、今日の発売で全力を尽くして安い席を狙った。
 ロイヤルオペラハウスの安いチケットを取るにはそれなりの小技も色々とあって、それらを駆使しながら朝から頑張り、一番安くてそこそこよく見える席を無事に確保。いやー、良かった。

 夕方になってロイヤルオペラのサイトをもう一度のぞいてみると、指輪のチケットはもう大半が売れてしまっていた。これだけオペラが日常的に観られるロンドンでも、やっぱり指輪は特別らしい。


 ちなみに、指輪はサイクルで4作品全てを観なければ意味がない。そして指輪を観るときは物語の構造やライトモティーフをそれなりに予習しておかないと、観る価値がぐっと下がる。指輪を観るとなると、僕にとってはこの予習という作業が何よりも鬼門となる。過去に指輪を二回観たことがあるけれど、あの予習をまたやるのかと思うと今から憂鬱になる。誰か楽に予習できる方法を知りませんか???
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by voyager2art | 2011-10-22 05:41 | 雑感

演奏者の視点

 昨日の続編として楽譜のことについて書こうかと思っていたけれど、YouTubeで面白いビデオがあるのを思い出したので、今日はそれをご紹介。演奏家がどんなことを考えているかを知るのも面白い。

 YouTube上での企画で、YouTube Symphony Orchestraというものがある。楽器ごとに課題曲があって、応募者はそれを演奏したビデオをアップロードし、そのビデオ審査で通った人がこのオーケストラのメンバーに選ばれる。こうやってできたオーケストラをマイケル・ティルソン・トーマスが指揮して、演奏会を行う。
 このビデオオーディションに応募する人たちのために、これまたYouTube上で「マスタークラス」が開かれる。ベルリンフィルやロンドン交響楽団の奏者たちが、課題曲を解説付きで演奏して、注意点やコツなどを説明してくれるというものだ。これが、かなり面白い。
 説明は全部英語だけど、字幕もついているので分かりやすいと思う。

 僕が一番好きなのが、ベルリンフィルのホルン奏者であるイェツィールスキによるこのレッスン。「こう吹いちゃいけないよ」という悪い例と、「こう吹いた方がいいよ」という良い例の差がものすごく微妙で、彼らがいかに高い水準で演奏しているのかということがよく分かる。


 同じくベルリンフィルのオーボエ奏者のハルトマン。彼のモーツァルトもとても美しい。


 我らがロンドン交響楽団からは、先日のマーラーの5番でものすごいソロを聴かせてくれたフィリップ・コッブが出演。そのソロもあるけど、YouTubeだと実演のすごさはちょっと伝わってこないかな。


 同じくLSOの1stヴァイオリン、マクシン・クウォク・アダムス。こんな奏者ばかりだとLSOの弦楽器があんなに上手いのも当然か。


 LSOのチェロ首席のレベッカ・ジリヴァーはウィリアム・テルの序奏。


 LSOのパーカッション奏者、ネイル・パーシー。この人も本当に上手い。速いリズムに余裕を持つために、より速いテンポで練習してみるというのは確かによくやることだけど、スネアドラムの倍速は凄すぎる。


 検索すれば他にもいろいろな楽器のマスタークラスがあるので、ぜひ調べてみて下さい。
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by voyager2art | 2010-12-15 06:26 | 雑感

聴くことと演奏すること

 楽器を演奏することは音楽を聴く際にプラスになるか。
 たぶん、プラスのことが(とても)多いと僕は思う。ただ、マイナスになる部分も間違いなくあるし、場合によっては、差し引きでマイナスになることもあると思う。このことについてコメントを頂いたので、ちょっと考えてみることにした。

 楽器演奏経験があると、その楽器の技術的なことがよく分かるから演奏もより楽しめるだろう、という考え方は間違っていないと思う。歌い口のうまさや、音色・リズムの特徴などは、その楽器をやっていた人ならすぐに分かるし、合奏をやっていればアンサンブルの良し悪しなども分かってくる。
 弦楽器や管楽器をやっている人なら音程の良し悪しにもとても敏感になるに違いない。例えば、日本の横断歩道で、目の不自由な方たち向けに青信号で音がなるものがある。これが横断歩道の両端で同じ音を同じタイミングで流すタイプの場合は、自分がその横断歩道を実際に歩いていると、ドップラー効果のために前と後ろの音程が微妙にずれてくる。ごくごくわずかなずれなんだけど、これに気付くことがある。自転車に乗って渡ったりすると、音程のずれが大きくなって気持ち悪い。
 また、自分が演奏したことのある曲を聴く場合は、音楽の構造も聴かせどころも分かっているので、普通に聴くよりも遥かに集中して聴ける。これは間違いない。

 でも、じゃあ良いことばかりかと言うと、そうでもない。
 例えば僕はアマチュアオーケストラでチューバを吹いていた。上手か下手は別にして(というか、下手だったけど)、練習にはかなり打ち込んでいた。前にも書いたとおり、学生時代は演奏会を聴きにいくときには楽譜を買って予習し、自分でチューバパートを吹いてみたり、トロンボーン吹きをつかまえて一緒に吹いてみたりということもよくやった。
 その結果はどうだったかというと、演奏会でもチューバの音ばかり聴いて、全体をちゃんと聴けていないことがほとんど。ベルリンフィルやシカゴ交響楽団の演奏を聴いても、ダイナミックレンジの広さやアンサンブルの精度、音色の美しさ、金管楽器が音を外さないことなど、技術的なことばかりに耳がいってしまい、肝心の演奏内容は二の次だった。半ば職業病のようなものだった。

 それから多分、もっと深刻なケースとしては、楽器を一所懸命に練習するうちに、なかなか上達しないことに追いつめられてきて、音楽を楽しめなくなってくることもある。僕が初めて大学オーケストラの演奏会に出たときがまさにそうだった。うまく演奏したいし周りからのプラッシャーも強いのに、いくら練習しても先が見えず、そのうちストレスで何も食べられなくなった。好きでやっているはずの音楽で、なぜこんなに苦しむのだろうかと何度も考えた。とても厳しいことで有名な団体だったので、その後も程度は軽くなったものの、退団するまで何年もずっとプレッシャーに耐えていた。
 そんな状態で音楽を聴いても、純粋に楽しむのはなかなか難しい。

 そういうことはあるけれど、僕自身は個人的に、やっぱり楽器をやっていて良かったと思う。それを一番実感するのは、自分が演奏したことのある曲を聴くときで、何度も同じ曲を繰り返し練習していると、自分の中でその曲のイメージや表現が固まってくる。そんなときにプロの実演を聴きにいくと(あるいは録音を聴いたときでも)、必ずと言っていいほど全体の構成も細部の表現も違っている。僕にとってその違いは、自分の世界を拡げるための、とても大切なきっかけだ。そこから新たに、その音楽の別の側面を発見し、曲に対する理解が深まっていく。

 また、楽器をやっていると「音を聴く技術」とでも言うべきものが身に付いてくる。例えばオーケストラで演奏しているときに、奏者は自分の楽譜を見てその楽譜を間違わずに演奏することだけを考えているのではない。指揮者の指示に従いながら、周りの奏者たちとタイミング、音色、音程、音量などをとても細かく合わせている。
 例えば僕がチューバを吹くときは、隣にいるトロンボーン奏者たちの呼吸とタイミングを合わせつつ、少し離れた場所にいるコントラバスの人たちの動きも見て、ファゴットと合わせるときはそっちを意識する。かつて、マーラーの復活を演奏したときには、ティンパニの音に意識を集中するあまり、自分の後ろの列にいて見えないはずのティンパニ奏者の動きが見えた気がしたこともあった。
 自分の楽譜を演奏しながら他のプレイヤーの音を聴くというのは、実際にやってみると結構大変で、たくさんの音を聴き分けるいい訓練になる。オーケストラではなくてピアノの場合でも、ちょっと複雑な曲になるとすぐに3声や4声になるので、そういう複数のパートの弾き分けの練習をしていると、同じようにたくさんのパートを聴き分けられるようになる。(そして同時に、グールドの対位法の演奏がいかにすごいかがわかってくるようになる。)

 最近の僕は、こういうメリットを享受しながら、ときどきチューバの音を聴いてその上手さにマニアックに感心して喜んだりと、いいとこ取りで楽しむことにしている。


 ここまで読んで頂いた方の中には、じゃあ楽器をやっていないと音楽が深く理解できないのか、と思う方がいらっしゃるかも知れない。僕はそんなことはないと思う。
 例えば、他人の演奏を聴いて自分との違いを感じるという点。これを、自分で楽器を演奏せずに代替するのはとても簡単。一つの録音を、体に染み込むまで何度も何度も、ほんとに何度も聴き返せばいい。一ヶ月間ひとつの録音ばかり聴いて、そのあと急に別の演奏家による同じ曲の演奏を聴いたら、誰でも同じことが体験できる。何度も同じ演奏を聴くときに、浮気さえせずに一つの演奏をしつこく聴き続ければ、他の演奏を聴いたときに構成・表現・テンポ・リズム・音色・音量などなど、驚くほど明確に違いが分かるだろう。これは音楽の判断基準を自分の中に作るという作業なので、本気でクラシック音楽を聴こうとするなら一度はやってみる価値があると思う。

 次の、たくさんの音を一度に聴く技術。これも、楽器を演奏しなくても身に付けられるんじゃないかと思う。どうやるかというと、楽譜を見ながら音楽を聴けば良いのだ。普通に音楽を聴くときは、たいていは聴こえてくる旋律を耳で追っているけれど、そのときに主旋律以外にどういう音があるか、ということを意識しながら聴けば、音楽をより立体的に聴けるようになってくる。
 例えばベースラインがどういうことをしているか、自分でも楽譜を読んで歌いながら演奏を聴いたりすると、より理解は深まるし、そこまでしなくても、楽譜だと他のパートの動きが視覚的に目に飛び込んでくるので、より主旋律以外のパートに目が向きやすい。そして不思議なことに、目がそちらを向くと耳もそっちを向いてくれて、今まで聴こえなかった音が聴こえるようになってくる。これを繰り返していれば、表面的に聴こえる音以外の音にも注意が向くようになってくるはずだ。

 この楽譜を読むということについては、書き始めるとまた長くなるので、稿を改めてまた後日書くことにします。
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by voyager2art | 2010-12-14 07:35 | 雑感

演奏会の予習に関する雑感

 クラシック音楽の演奏会に行くとき、皆さんはどのくらい予習しているのか、と思うことがある。かく言う僕は、最近はほとんど予習をしなくなった。初めて聴く曲でも平気で白紙のまま会場に行く。だから演奏会でかなりマニアックな曲を聴いていて、ちゃんとみんな曲の終わりを知っていて、正しい場所で拍手しているのに驚く。まあ現実問題として、今の頻度で演奏会に通っていると予習をしている時間がほとんどないのも事実だけれど。
 かつては、演奏会を聴きにいって一音も聴き漏らすまいと頑張っていた。日本ではチケットの値段も高いし、そうそう頻繁に行けるものではなかったから、一つ一つの演奏会が大きなイベントだったのだ。日常的に高水準の演奏会が手頃な値段で聴ける今は、そこまで頑張らなくなった。(そもそも、その日に行く演奏会の演目を当日になって確認していることすらある。)

 そんな僕なので、学生時代や社会人になりたての頃は予習に異常に力を入れていた。楽譜とCDは極力事前に入手し、しっかり勉強。今と違ってネットですぐに曲の背景などがわかる時代ではなかったので、CDの解説は重要だった。
 オーケストラ曲の場合は、チューバが使われている曲の場合は自分でも吹いてみた。トロンボーンの人間をつかまえてきてパート合わせをやったこともしょっちゅう。自分で音を出してみると、演奏のツボが分かってくることも多い。(この「演奏すること」と「聴くこと」の関わりについては、いつかまた稿を改めて書いてみたい。)

 オペラの予習になると更に頑張った。ロンドンと違って(東京以外の)日本ではなかなかオペラを観る機会がなかったので、オペラを観るとすれば、例えば海外の有名歌劇場の日本公演でワーグナーやシュトラウスの作品をわざわざ東京まで観に行くというような「大事件」だった。掛かるお金も半端ではないので、予習にも力が入る。
 その作品のビデオ(まだDVDは普及してなかった)とスコアを買い、できれば歌詞対訳集も入手する。ワーグナーの場合は分厚い解説書を買って物語とライトモティーフを頭に叩き込む。シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」を観に行ったときは、この作品がモリエールの「町人貴族」という戯曲に基づいていたので、モリエールの戯曲をいくつか買って読んだりもしていた。

 そこまで予習して、じゃあ完璧に舞台上の演奏が理解できていたかというと、そんなことはなかったと自分でも思う。そもそも今だってちゃんと理解できてない。でも、あの何かに取り憑かれたような予習が、今の僕の理解力の重要な土台になっていることは間違いないと思う。

 別に誰もがこんなしつこい予習をやる必要は、もちろんない。やりたいと思う人が、やれる範囲でやればいいだけのことだ。ただ個人的には、もし興味があるならある程度予習はした方が本番も楽しめるし、そもそもこの予習というプロセス自体も面白いものだ。
 予習をするときは、その曲の録音を聴くだけではなくて、できる限り楽譜を見てみることをお薦めする。楽譜を眺めると、耳で聴こえてくる以上に色々なことが行われているのがよく分かる。これは、外国の街に行くときに地図を調べるのによく似ている。観光バスに乗っていても一通りの見所は回ってもらえるし、それなりにその街の風景や雰囲気を感じることはできる。でも、地図を見ると、どの道とどの道がつながっていて、どこに何があって、それらがどう関連しているのかなどが分かってくる。そこに歴史・文化や社会の構造すら見えてくることも珍しくない。その街が、より立体的に、有機的に理解できるようになる。楽譜は音楽の地図なのだ。

 今は作品の予習が随分やりやすくなった。著作権が切れた作品であれば、ほとんど全ての曲の楽譜がインターネット上で無料で手に入る。iPadで有名になった青空文庫と同じようなプロジェクトが、楽譜の世界でも起こっている。

IMSLP(国際楽譜ライブラリープロジェクト)

 学生時代に楽譜代を捻出するのに四苦八苦していたことを思うと、これは本当に画期的だし今の学生さんたちがほんとに羨ましい。こういう情報は、頭の柔らかい若いうちに詰め込めるだけ詰め込んでおくに限るのだ。
 録音を探すのも楽になった。昔は珍しい曲は大きなCDショップに行ってもなかなかなくて、たまに東京に行くときなど渋谷のタワーレコードとHMVをはしごして、目を血走らせて珍しいCDを探しまくっていた。それが、今ではiTunes Storeなどで、在庫の心配もなく、いつでもすぐに欲しいものがピンポイントで手に入る。そして、曲の背景や内容はWikipediaが詳しく教えてくれる。まさに十年一昔。隔世の感がある。

 とりとめのない文章ですみません。結論も何もないけど、この稿はこれでおしまいです。
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by voyager2art | 2010-12-06 08:07 | 雑感

冬の風物詩/くるみ割り人形

 今日のロンドンは寒かった。昨日からの予報通り、朝起きたら街は薄く雪化粧。道路の渋滞もひどく、ちょっと遅刻気味で出社した。
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 雪つながりという訳ではないけれど、今日は行き帰りのバスでくるみ割り人形を聴いていた。今年の8月に発売になった、ラトル指揮のベルリンフィルによるとても楽しい演奏。
 おそらく多くのバレエファンと同様に、僕がバレエを観るようになったのはこの演目の舞台がきっかけだった。ロンドンに来て最初の冬、日本から来た出張者が、オペラかバレエを観たいというので、チケットの取りやすかったこの演目を観に行った。そのころはバレエに特別な興味は持っておらず、機会があれば観てみたいというくらいだった。
 今から思うと男二人でくるみ割り人形を観に行ったというのはどうなのかと思わなくもないけれど、そのときは何も考えずに劇場に行き、心の準備なしに生の舞台を観て、予想もしていなかった美しさに陶然となってしまった。本気でバレエ公演を観るようになったのはそのときからだ。
 その後、くるみ割り人形は何度も観た。その冬だけでなく、その翌年(=昨年)の冬も。そうやって何度も観ていると、ダンサーによって随分表現が違うということも次第にわかってきた。

 残念ながら今年はロイヤルバレエがくるみ割り人形を上演しないので、その穴を埋めるような感覚で買ったのがラトルとベルリンフィルのCDだった。
 このCDは組曲版ではなく、全曲が収録されている。実際の舞台だと、ダンサーの物理的な動きに合わせて演奏しないといけないので、どうしてもそれが演奏上の制約となるけれど、オーケストラだけだとそういう遠慮はないので、ラトルは思い切ってリズムと歌を活かした演奏をしている。自分で驚いたのは、ほとんどの曲で舞台上の風景が頭の中によみがえってきたこと。あっという間にお気に入りの録音に仲間入り。あと、ちょっとマニアックだけど、(元)アマチュア金管奏者としては、行進曲のトランペットの響きの信じ難い美しさに聴き惚れてしまう。

 このくるみ割り人形の音楽は、なんといっても組曲版が有名だけれど、組曲に収められていない曲の中にも名曲がほんとにたくさんある。クララの体が小さくなっていく場面、冬の松林、最後パ・ドゥ・ドゥ等々、数え出したらきりがない。これを聴かないのはもったいないので、是非多くの人に聴いてほしいと思う。
 それからもう一つ。この音楽は、それ自体としてもとても豊かで美しくて面白いのだけれど、機会があれば是非実際のバレエの舞台を観てほしいなと思う。まるで魔法のように、音楽の聴こえ方が全く変わってくる。これは白鳥の湖も同じ。日本のクラシック音楽ファンは潔癖な人が多いような気がしていて、そういう人たちはオペラ音楽やバレエ音楽も真面目に純音楽として鑑賞しているように思う(かく言う僕がそうだった)。それはそれで素晴らしいことなんだけど、同じように素晴らしい舞台の世界があるのも事実なのだ。チャイコフスキーが素敵な音楽を惜しげも無く使ったバレエの舞台がどれほど美しいか、観たらすぐに誰でも分かる。超を付けておすすめします。


 ということで、今日は雑談のみ。明日からまたしばらく演奏会で忙しくなります。
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by voyager2art | 2010-12-01 06:15 | 雑感

ポゴレリチに関する雑感

 先週のポゴレリチの演奏の衝撃が抜けない。どうしても気になって色々と調べてみた。そうして感じたことをとりとめもなく書くことにした。

 ポゴレリチといえば、まず何と言っても有名なのは1980年のショパンコンクールでの「ポゴレリチ事件」だろう。彼が一次予選を通過したことに抗議して、審査員の一人だったルイス・ケントナーが審査員を辞任。次いで、彼が本選に進めなかったことにアルゲリッチが猛抗議して、「彼は天才」と言い放って審査員を辞任した。このアルゲリッチの発言はコンサート主催者やレコード会社の格好の宣伝文句となってしまって、今も安易に使われ続けているのには呆れてしまうけれど、とにもかくにもこれで彼が有名になったことは間違いない。
 ただ、これよりは知られていない事実で(といってもかなり有名だけど)、かつ彼にとって遥かに重要な、というよりは、彼の人生で唯一と言っていいほどの決定的な影響力をもった出来事なのだろうと推測されるのは、彼が自分より21歳年上で、自分のピアノの師でもあったアリサ・ケゼラーゼと結婚し、その最愛の妻が結婚から16年後(1996年)に癌で亡くなったという事実だ。ケゼラーゼの死の後も演奏活動を続けたポゴレリチだったけれど、更に4年後に今度は父が亡くなったことをきっかけとして重い神経症を発症してドクターストップ。療養のため演奏活動をしばらく休止したという。この後、彼は別の女性と再婚したが、3年後に離婚した。
(このあたりの事情はこちらのサイトに非常に詳しく記載されていて、大変参考になった。)

 僕は普段、他人のゴシップ記事には全く興味を示さない人間なのだけれど、このポゴレリチの経歴(というか私生活面)にはどうしても踏み込まない訳にはいかない。というのは、彼が神経症を病んだ前後で、決定的に彼の演奏が変わったと思うから。
 彼はケゼラーゼの死後、一切CDを録音していない。今回彼の演奏に衝撃を受けて、いくつも彼の録音を購入して聴いてみたけれど、それらは全てケゼラーゼの存命中の録音。どの演奏ももちろん独特だし、たとえばブラームスの独奏曲なんかを聴いていると、極端におそいテンポをとったり、あるいは他人には理解できない独白や、唐突な怒りの爆発のような音楽を彼は演奏している。そういう意味で、もともと彼に極めて内向的な性向があったのは間違いない。それでも、これらの録音からは、たとえ陰鬱な音楽を演奏するときでも、彼が究極的には希望の存在を肯定していることが明瞭に読み取れる。その点で、先日の絶望に塗りつぶされた彼の演奏とは決定的な差があるのは明らかだ。
 また、これはあまりあてにならないのだけれど、僕は彼の実演を1999年に日本で聴いている。随分前のことなので彼の演奏についてはテンポの遅さ以外に何も覚えていないのだけれど、先日の演奏のような絶望感を感じることはなかったように思う(ただしこれは本当に自信がない)。
 こういうことから考えて、彼が最愛の妻の死と、その後の父の死によって極めて深刻で危機的な心の傷を負ったことはまず間違いない。そして今の彼の演奏は、その心の傷をそのまま掴んで突き出してきたような暗さと辛さと絶望に満ちているのだ。前回の演奏会のレビューで、彼の演奏が我と我が身を傷つけているような音楽で、演奏すること自体が自身を傷付ける行為のようだという印象を書いた。彼の経歴を知ると、改めて演奏という行為が彼にとっては危機的な行為なのではないかと思わずにいられない。もしかしすると彼は、亡き妻との何かの約束を果たすために、自分が傷つくことを承知で演奏を続けているのではないかとも思った。もしそうだとすると、凄絶としか言いようがない。

 彼の演奏が芸術としての意義を持つか、ということについても改めて考えた。少なくとも、一般的な意味でのクラシック音楽の演奏の枠組みからは完全に逸脱しているし、そこに表現されているものは狂気と絶望で塗りつぶされた世界であって、そこには何の慰めも救いもなかった。彼はチャイコフスキーの協奏曲を弾いたけれど、チャイコフスキーの作品はあくまでも彼が狂気と絶望を吐露するための契機に過ぎず、チャイコフスキーが作品に込めた感情や表現は完全に無視されている。これは演奏者として許されることなのか。
 ここで逆のケースを考えてみる。あるピアニストがチャイコフスキーの協奏曲を、創造の歓喜に満ちた音楽として演奏したとする。どこをとっても純粋な喜びに溢れている演奏。そういう演奏だと、おそらく多くの人に好意的に受け入れられるだろう。もちろん、チャイコフスキーの協奏曲はそういう音楽だから当然だろうと言われるかもしれない。でも、なぜそれが当然なのか。逆に絶望に満ちた音楽だったらだめなのか。
 それが作曲者の意図だから、というのは回答にはならない。現代においては、作曲家の意図に忠実な演奏であることが一つの規範であるかのように語られているけれど、全ての演奏家がそれぞれに趣向を凝らして演奏している現実、そして聴衆もそれぞれに好みの演奏家を支持している現実を考えると、それが単なるお題目に過ぎないことは明らかだ。そもそも僕は、唯一絶対の音楽、唯一絶対の演奏などという考え方は芸術に対する死刑宣告でしかないと思っている。芸術は、過去に創造された傑作を乗り越えることで発展しているからだ。

 クナッパーツブッシュと言う名指揮者がいた。彼がウィーンフィルを指揮してレオノーレの序曲の3番を演奏した映像が残されている。この演奏のテンポがびっくりするほど遅い。でもみんな、「クナッパーツブッシュだから」と許容している。一方で、現代の指揮者の中には、この曲をクナッパーツブッシュの倍も速いテンポで演奏する人がいるはずだ。つまり、テンポについては倍半分の振幅は許されるケースがあるということになる。
 テンポは表現の手段であって、その手段の違いと演奏の表現そのものの違いは別ものだ、と言う人もいるだろう。でも、テンポが違うことによって聴こえてくる音楽が違うことになること自体は間違いない。ここから言えるのは、程度の差はともかく同じ音楽から違う表現が聴こえてきても許されるということだ。では、どの程度の差までが許されるのか。
 ここから先は、価値観や信念の話になるだろう。僕は、許容範囲は無限だと思っている。最も過激なスタンスだけれど、僕はその演奏が何かを本気で表現している限りにおいて、それは芸術として許容されるべきだと考える。

 ただし一つだけ断っておくと、芸術として受容することと、その芸術作品に対する僕自身の(あるいは一人一人の鑑賞者の)好みとはまた別の話だ。これはちょっと紛らわしくて、誤解を招きやすい点かも知れない。
 芸術の善し悪しの判断と好き嫌いの判断は、ともに(ある程度以上は)主観的なものなので厳密な切り分けはできない。でも、芸術として受容するからそれが好き、あるいは嫌いだから芸術とは認めない、というのは話が単純に過ぎる。例えば今回のポゴレリチの演奏について、あれが好きかと訊かれると、僕の答えは恐らくNoと言う方がより正確だろうと思う。あまりにも絶望感が強すぎて、簡単に「あれが好き」などと言える代物ではない。でも、また聴きたいかと言われれば(頻繁にでなければ)聴きたいと思うし、芸術として認めるかと訊かれればYesだ。そしてまた同じ論理で、ポゴレリチの演奏を嫌う人がいることも当然あり得ることだと思う。

 こういう議論は現代アートの分野で盛んにやられていることではないかと思う(僕は「クラシック」音楽でももっと活発にやっていいと思うのだけれど)。今回のポゴレリチの演奏は、チャイコフスキーを題材にして現代アートの分野に踏み込んだものだったと思うし、それはまた、「クラシック」音楽が現代において生きた価値を持つ芸術形態であることを明確に主張した事件でもあったと思う。
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by voyager2art | 2010-11-30 07:56 | 雑感


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