カテゴリ:詩( 2 )

黄昏/海潮音(上田敏)

 最近詩を読むのが面白くてたまらない。小説と違って最初から最後まで順に読む必要も無いので、気の趣くままに詩集を手にしては想像力の飛翔や言葉の冴えを楽しんでいる。
 今日は上田敏の名訳詩集「海潮音」から、ロオデンバッハの「黄昏」。


* * * * * *


黄昏(たそがれ) ジョルジュ ロオデンバッハ


夕暮がたの蕭(しめ)やかさ、燈火(あかり)無き室(ま)の蕭(しめ)やかさ。
かはたれ刻(どき)は蕭やかに、物静かなる死の如く、
朧々(おぼろおぼろ)の物影のやをら浸み入り広ごるに、
まづ天井の薄明(うすあかり)、光は消えて日も暮れぬ。

物静かなる死の如く、微笑(ほほゑみ)作るかはたれに、
曇れる鏡よく見れば、別(わかれ)の手振(てぶり)うれたくも
わが俤(おもかげ)は蕭(しめ)やかに辷(すべ)り失(う)せなむ気色(けはひ)にて、
影薄れゆき、色蒼(いろあを)み、絶えなむとして消(け)つべきか。

壁に掲(か)けたる油画(あぶらゑ)に、あるは朧(おぼろ)に色褪めし、
框(わく)をはめたる追憶(おもひで)の、そこはかとなく留まれる
人の記憶の図の上に心の国の山水や、
筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。

夕暮がたの蕭(しめ)やかさ。あまりに物のねびたれば、
沈める音の絃(いと)の器(き)に、かせをかけたる思(おもひ)にて、
無言(むごん)を辿る恋(こひ)なかの深き二人の眼差(まなざし)も、
花毛氈(もうせん)の唐草に絡みて縒(よ)るゝ夢心地。

いと徐(おもむ)ろに日の光(ひかり)陰(かぐ)ろひてゆく蕭(しめ)やかさ。
文目(あやめ)もおぼろ、蕭やかに、噫(ああ)、蕭やかに、つくねんと、
沈黙(しじま)の郷(さと)の偶座(むかひゐ)は一つの香(こう)にふた色の
匂交(にほひまじ)れる思にて、心は一つ、えこそ語らね。



* * * * * *


 この詩を読んで、何よりもまず起句の「夕暮がたの蕭やかさ 燈火無き室の蕭やかさ」のあまりにも音楽的な韻律に強い印象を受けた。七五調に整えられた詩とはいえ、それだけでは説明のつかない、強くて豊かなリズムがある。
 恐らくこれは、前半の「夕暮がた」の最初の三音がウ段の音、後半の「燈火(あかり)」の最初の二音がア段の音となっている一方で、前後半で「蕭やかさ」が繰り返されることで、音のコントラストやリズムが強調されるためだろうと思う。
 僕は詩を読みはじめて日が浅いので、言葉がこれほど音楽的に響くということに強烈な感銘を受けずにはいられない。

 この最初の段落と、次の段落で現れる「かはたれ」は「彼は誰」であって、文目も分かぬ薄闇の中で、「あの人は誰?」と問うという連想から、昼と夜の間の薄暗い時間帯を指す言葉。「たそがれ」も「誰(た)ぞ彼」から来た語であって、発想は全く同じ。調べてみると「かはたれ」は現在では朝の日が昇る前の薄暗い時刻を指すらしいけれど、この詩ではそれでは意味が通じない。もともとの薄暗い時刻という意味を、夕暮れ時に使っている。

 最初の段落は、起句から素直に延長した夕暮れの寂しげな情景描写が展開される。しかしその次の段落では、鏡に映った自分の影が次第に薄れていくと歌い、人が薄暮のころに感じるそこはかとない不安感を不気味に強調しつつ、焦点を情景から人に移していく。
 これがさらに深く広く展開されるのが次の段落。壁に掛けられた油絵を、「框をはめた追憶」、「人の記憶の図」、「心の国の山水」と形容して、絵の掛かった部屋とその絵自体を描写しつつ、同時に空想の大きな広がりを暗示して、心象の描写も並行させる。この詩人の想像力と言葉遣いの妙! 更にここに迫り覆いかぶさってくる夕闇を「黒き雪」と喩える暗い想像力のはばたきは圧巻。

 一方で、夕暮れは夜が華ひらくときでもある。静寂と闇の奥には艶かしく甘美な夜があって、夕暮れはその入り口。恋人たちは目で語り合い、毛氈の唐草紋様は彼らのいる室の情景描写であるとともに、情熱的に絡み縺(もつ)れ合う彼らの想いの交錯の軌跡でもある。
 こうしてコントラストの強い内容が語られるにもかかわらず、起句の前半が繰り返されていることで、詩の構成にぐっと一本の筋がとおり、印象が引き締まる。

 最後の段落のはじめ、「いと徐(おもむ)ろに日の光(ひかり)陰(かぐ)ろひてゆく蕭(しめ)やかさ」という句は、起句の印象をさらに強く深める。起句はあくまでも、夕暮れのある一瞬間の情景を静的に切り取ったものであるのに対して、この句は夕闇が時間の経過に伴ってより深まっていく、その過程を動的に描き出す。同時にここでも「蕭やかさ」という語が繰り返され、起句との強い連関を保っている。
 そして結句。一つの香からふたつの(ここでは「複数の」という意味でとらえるのが正しいだろう)匂いを感じるかのように、深まさりゆく夕暮れに包まれている一つの心も・・・と終わる。えこそ語らね、説明することなどできないと言っているけれど、これが何を指すかは前段までから明らかだ。明らかだけれど、それは語らない。すっと終わって広く深い余韻を残すとともに、それを香で喩えることで、薫香が立ちのぼる匂わしい色合いを添える。


 詩をこうやって解説することに意味があるのかどうかよく分からない。でも音楽を言葉で説明することが許されるなら、詩を言葉で説明しても悪いことはあるまいと思う。この詩全体に満ち満ちた、深い色合いと余韻の薫りに浸るひとときの至福。この詩集が名訳と言われる所以を、この一編の詩から存分に感じ取ることができる。翻訳が本質的に創作だということは、実際に翻訳をしたことのある人、あるいは音楽作品を別の楽器向けに編曲したことのある人ならすぐに納得がいくだろうと思う。この詩集は、古今の詩人と訳者の上田敏の想像力が共同で創り上げた、類稀な芸術の果実だと思う。
 この作品は著作権が切れているので、青空文庫全文を読むことができる。興味のある人は、ぜひ。
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by voyager2art | 2011-03-23 07:06 |

詩:旅へのいざない/ボードレール

 今回の地震および津波のひどさとその影響の深刻さについては僕も認識しているけれど、芸術についての記事を書き続けます。こんなときに芸術なんて不謹慎という人もいるかもしれませんが、こんなときだからこそ芸術を必要とする人も(少なからず)いるはずです。本当に苦しいときほど芸術が発揮する力を僕は信じています。
 バンコクでの休暇中、僕は全く活動的なことをしなかったので、ここでご紹介できるようなネタがありません。かわりに今日は、バンコクでたくさん買い込んできた詩集からボードレールの詩を一つ書き写すことにします。


* * * * *


旅へのいざない (新潮文庫「ボードレール詩集」より:堀口大學訳)



  わぎ妹子(もこ)よ、わが恋人よ、
  思いみよ、その楽しさを
もろ共にわれらゆき、かの国に住み!
  心ゆくばかり、恋をし、
  恋をして、さて死ぬる、
汝(なれ)に似る、かの国に行き!
  曇りがちなる、空に照る、
  うるみがちなる、日のひかり、
それさえ、われに、なつかしや、
  不可思議めきて、
  涙のかげに輝ける、
いつわり多き、汝(な)が眼(まなこ)とも。

ああ、かしこ、かの国にては、ものみなは、
秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)。

  経る年に、光沢(つや)つきて、
  時代めく古き家具、
恋の間(ま)に、われらかこまん、
  珍らにも、見知らぬ花の香(か)に匂い、
  ほのかなる竜涎(りゅうぜん)の香(こう)とまじらん。
きらびたる五彩の梁(はり)は、
  そこひなき鏡の面(おも)は、
  東(ひんがし)の国ぶりはでに、
ものみなは、そことなけれど、
  しみじみと、
  人の心に、語るらし、
おのがじし、おのが言葉に。

ああ、かしこ、かの国にては、ものみなは、
秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)。

  見よや、かの舟つきの岸へ、
  来て眠むるかの大船の、
無頼なるその姿、
  遠く世界のはてしより
  大船のここに来(きた)るは
せめて汝(な)が小さき望み、
  叶えんと、ただに希えば。
  ー 沈む日は、
野にも、川にも、都にも、
  ひた塗りぬ金と紫、
  わが世いま、眠り行くかな、
狂おしき光のうちに。

ああ、かしこ、かの国にては、ものみなは、
秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)。


* * * * *


 この詩に込められた憧憬の広大さと空想の鮮やかさ、そして綴られた言葉から立ちのぼる陶然たる官能の香りの妖しい美しさ! 僕はフランス語がわからないのでこの詩を原語で鑑賞することはできないけれど、堀口大學の日本語の美しさと奥深さは、この訳詩を日本人として鑑賞する幸せを与えてくれる。僕はこれを読んで酔ったような気持ちになった。

 僕が詩を読むようになったきっかけはまさにこのブログで、自分が聴いた音楽の印象を言葉でどう表現していくかということを色々と考えていたときに、ふと詩を読もうと思い立ったのが始まりだった。
 僕もいつかこんな言葉の使い方ができるようになりたい。
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by voyager2art | 2011-03-17 06:50 |


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