カテゴリ:室内楽( 1 )

魂が震えた/五嶋みどり ヴァイオリンリサイタル

 今日からベルリンフィルのロンドン公演が始まった。初日の今日は室内楽公演でとっても行きたかったけど、気付いたときにはチケットは完売。ずっと手に入らず、諦めて他を色々見ていると、たまたまこの五嶋みどりの演奏会を見つけた。彼女の演奏は昨年末のロンドンシンフォニーの演奏会でブルッフの協奏曲を聴いていて、その素晴らしさに感銘を受けていたのでまた聴きたいと強く思っていたので、すぐにチケットを購入。フランクのソナタを弾くというのも嬉しい。
 会場はウィグモアホールで、今まで名前は知っていたけどきっかけがなくて来たことがない会場。いろいろと楽しみに演奏会に出かけた。


Midori (Violin)
Charles Abramovic (Piano)

Ludwig van Beethoven: Violin Sonata No.1 in D
Brett Dean: Berlin Music for violin and piano
(Interval)
Franz Schubert: Sonatina in G minor D408
César Franck: Violin Sonata in A

20/Feb/2011 (Sun) 19:30 -
Wigmore Hall, London



 最初のベートーヴェン。非常に鮮やかなリズムで奏された導入部に続き、明るく伸びやかに歌う音楽が続く。五嶋みどりのヴァイオリンは、昨年聴いたブルッフのときと同じように細くて強い芯のある音で、でも今日は会場が小さくて僕の席も舞台のすぐそばだったので、その芯の周りにとても豊かな響きもある。とくに和音を弾いたときの響きの厚さに驚いた。ヴァイオリンってこんなに鳴る楽器だったのかという感じ。

 ブルッフは非常に情念の深い演奏だったけど、今日のベートーヴェンはもっと颯爽として力強い。もちろんこの曲はベートーヴェンの初期の曲なので、古典的な装いの曲ではあるけれど、ここで彼女が演奏したのは、将来の芸術の革命家としての素質を予感させつつもまだ古典の世界に留まるベートーヴェンではなく、既に探求の一歩を踏み出して積極的に未知の世界を開拓し、自己の芸術をたくましく誇りと確信を持って打ち立てつつあるベートーヴェン。どこをとってもよく歌っていて、振幅の広い表現で奏される音楽は自信に満ちて豊かな壮大さがあり、前向きで創造の喜びに溢れている。

 最近聴いたばかりなのでどうしても比較してしまうのだけれど、先日のジャニーヌ・ヤンセンも表現力が豊かで、伸びやかによく歌うヴァイオリニストだった。ヤンセンのヴァイオリンの魅力は、音楽を通して彼女の魅力が放射されているところで、その魅力というのも彼女自身の女性としての魅力と直接につながっていると思うけれど、五嶋みどりはそれに比べると一歩下がって、献身的に音楽自体の魅力を抽き出すことに専心しているように思える。だから彼女の演奏には、女性的というよりも彼女自身の人間性の深さと豊かさが魅力となって立ち現れてくるし、その演奏から受ける感銘は一段深いものになる。
 またヴァイオリンを弾くという技術について言えば、五嶋みどりはヤンセンの遥か上を行く。そもそも五嶋みどりの演奏技術は、現代の並み居るヴァイオリニストたちのなかでも最上位に位置すると言っていいのではないかと思う。どんなに難しい楽譜でも豊かに歌い上げ、音程やリズムも全く崩れないのはすごいとしか言いようがない。
 アブラモヴィッチのピアノも非常に安定した技術の上で暖かく共感に満ちた演奏で、優しくしっかりと五嶋みどりのヴァイオリンを支えていた。


 続くディーン(と読むのかな?)の曲は英国初演。ヴァイオリンのG線を全音下げたF(ファの音)で調弦するので、最初のチューニングがいつもと違ってちょっと面白い。
 音楽自体はいわゆる無調の曲だけど書法がとてもこなれていて聴きやすい。聴きやすいけど、一方で内容は極めて緊張感のある音楽で、周囲の雑音を完全に遮断した環境で自分自身と真剣に向き合うような印象だった。厳しさと心象の豊かさが音楽全体に満ちていて、五嶋みどりとアブラモヴィッチの演奏もこの曲への共感に満ちた素晴らしいものだった。
 ベートーヴェンのときよりも遥かに多彩な技巧を駆使したこの曲を、二人は素晴らしい技術で音にするだけでなく、抽象的な緊張感も、ドラマティックな部分も、どこを取っても有機的な音楽に編み上げる。この曲は間違いなく素晴らしい内容を持つ音楽だと思ったけれど、この二人が演奏するのでなければ、これだけ面白い演奏になったかどうか。作曲家と演奏家がそれぞれに全力を出して作り上げた、見事な音楽だった。


 休憩を挟んでシューベルトのト短調のソナタ。ソナチネと呼ばれることも多い曲。ここでも五嶋みどりのヴァイオリンはよく歌う。ベートーヴェンと同じように古典的なスタイルの曲だけれど、ベートーヴェンと違ってシューベルトなので、ここではベートヴェンのときのような挑戦の気概はなく、もっと肩の力が抜けた演奏。でも仲間内での親密な演奏というのとも少し違って、コンサートピースとして音楽を伸びやかによく歌わせる。
 この曲の2楽章は素朴な歌で始まる曲だけれど、この中間部で突然音楽の表情が変わる。それまでの平和に満ち足りて美しい音楽から、急に不安な胸騒ぎが始まり、やがてぽっかりと空いた穴を覗き見るような、深い虚無感に触れる音楽に移り変わっていく。心の奥の熱くて傷つきやすい部分を直接触られるような感覚に襲われる。
 この部分が終わると、何事もなかったかのようにまた素朴な歌が繰り返される。シューベルトはこういう音楽の組み立てをすることがときどきあって、こういうときに僕はいつも自分の心が遠くへ持っていかれるような心地がする。


 最後のフランクのソナタは僕の大好きな曲。序奏のヴァイオリンがとにかくよく歌う。まるでオペラ歌手の歌を聴いているかのように、彼女のヴァイオリンは息の長い旋律を、一杯にロマンティックに歌い切る。ブルッフのときに感じた情念の深さが一気に解き放たれた感じで、ベートーヴェンとシューベルトの、表現力ゆたかに歌いつつ均整の取れた演奏から音楽が表現ががらりと変わった。五嶋みどりという人の芸術家としての精神世界の広さと奥の深さに圧倒される思いだった。静かな部分の濃厚な集中力と、大きく歌うところの精神の雄大な飛翔は桁違いに素晴らしい。

 第2楽章はその表現の烈しさにまた圧倒される。これだけ烈しい音楽でありながら、ここでも彼女の演奏は音楽が本当によく伸びてきて、聴き手の心に直接飛び込んでくる。この楽章のピアノパートは難曲で有名(そもそもこのソナタのピアノはとても難しい)だけど、アブラモヴィッチのピアノも冴え渡り、力強さと表現力の点でヴァイオリンと対等の素晴らしい演奏。二人の技術、集中力、表現力が完璧に噛み合って、烈しくも美しい巨大な音楽が構築されていった。圧巻の演奏。

 この2楽章に圧倒されているうちに始まった第3楽章。この楽章は今までこのソナタの中で一番印象が薄い楽章だったけど、五嶋みどりはこの楽章でも素晴らしい演奏を聴かせる。厳しい集中力から生み出される濃厚な表現力は凄まじく、曲からロマンティックな情念が溢れ出し、立ちこめてくる。
 特に途中から提示される、終楽章でも使われる主題の美しさは信じられないほどで、静かに演奏される旋律の優しさと憧れと慰めの入り混じったような表現から、次第に力強さをまして歌い込まれる旋律から迸り出る揺るぎない愛情まで、表現の幅の広さと真正で純粋な心の清らかさに深く心打たれる。本当に、何という豊かな音楽なんだろう!

 もうここまでで完全に圧倒されているんだけど、その先の終楽章がまたすごかった。
 冒頭のカノンはこの曲でも一番好きな部分で、さぞかし美しく弾いてくれるだろうと思っていたら、これが期待を裏切って驚くほどあっさりと弾かれる。この時点では彼らの意図が分からず僕は混乱していた。でもこの後に続く中間部が一気に白熱し始め、二人の演奏の力強さと伸びやかさと情念の深さが最高潮に達する。もう誰にも止められないような凄まじい圧力の音楽で、魂を深く揺さぶられ続ける。

 このあと、カノンが戻ってくるところで、彼らはまたカノンの主題を控え目に弾いた。でも今回は全く違って聴こえた。五嶋みどりは、この上なく美しいこのカノン主題をとても大切に弾いた。弓の圧力を減らして、音楽がとても遠くから響いてくるようだった。まるで、心から愛する美しいものが絶対に傷ついたり損なわれたりしないように、母親が我が子の幸福のために命を捨てるような覚悟で、誰の手にも、自分の手にすら届かない遠くへと自ら置いたかのような愛に満ちた演奏だった。切実だけど純粋で清らかで、こんな美しさの表現があったのかと思えるような、奇跡的な美しさ。
 その後は身悶えするような愛惜の情が再び激しく燃え上がる。遠くから響いてきた天国的に美しいカノンの直後だったので、その直接的な感情の発露が一層痛切さを増す。そのまま一気に曲が終わった。

 演奏が終わってもしばらくはぼーっとしていた。余りにも深く音楽が心に食い込んできたので、なかなか元に戻れなかった。


 その後、アンコールが2曲。どちらも初めて聴く曲だったけど、一曲目がドビュッシーの(たぶん)「美しき夕暮れ」、二曲目がクライスラーの「中国の太鼓」。ドビュッシーはむせ返るような感覚美の音楽。続くクライスラーは技巧的でとても楽しい音楽で、ようやくこれで現実の世界に戻って来れた。五嶋みどりから、気をつけて帰りなさいと促されたような気持ちだった。
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by voyager2art | 2011-02-21 10:16 | 室内楽


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