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テミルカーノフ/フィルハーモニア管弦楽団

2010年6月24日(木) Royal Festival Hall, Southbank Centre
19:30 -

曲目:
チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調

指揮:ユーリ・テミルカーノフ
ピアノ:デニス・マツーエフ

 サッカーW杯予選で、日本がデンマークと戦うという日に、(しょっちゅう聴いてるのに)突然オーケストラが聴きたくなって当日券でフィルハーモニア管の定期に出かけた。ロシア音楽界の重鎮・テミルカーノフの指揮でチャイコフスキーとプロコフィエフ。ピアノはマツーエフ。
 チャイコフスキーは僕の好きな作曲家。特に交響曲5番は、学生時代に二度、オーケストラで演奏した曲。今まで演奏した曲の中で一番強く印象に残っているのはマーラーの9番だけど、一番よく楽譜を覚えているのはこのチャイコフスキーの5番。何と言うか、頭の中に深く染み込んでいる感じ。
 マツーエフは3月にロンドン交響楽団との共演でショスタコービチを弾くのを聴いたけど、そのときは技術は凄まじいけど音楽が無機的で内容に乏しいという印象だった。プロコフィエフの協奏曲は音楽的にはより面白い曲で、しかも無機的な和声やリズムも含むので、彼のスタイルに合っているかもしれない、と期待半分。

 最初のポロネーズは、トランペットの華やかなファンファーレに続くオーケストラの全奏でいきなりタメを効かせる。けれん味たっぷりに始まったこの曲、華やかに進み、ときに憂愁の旋律を奏で、チャイコフスキーらしさが堪能できる。
 僕は、チャイコフスキーという人は人をのせるのが非常にうまい作曲家だと思う。聴いていて気分がのせられるだけでなく、演奏している方も、音楽の流れに乗っていると気持ち良くなってくる。気がつくと音楽に心を奪われてしまっている、そんな作曲家。もっともこれは、僕が金管楽器をやっていたので、強奏で酸欠気味になって脳が正常な判断をできなくなっていただけなのかも知れない。そういえば、弦楽器や木管楽器の人でチャイコフスキーが好きという人はあまり聞かないような気もする・・・
 とにもかくにも、ポロネーズは明るく楽しく、そして短い曲であっという間に終わった。

 続くプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、恐らく彼が作曲した協奏曲の中で最も有名で演奏頻度も高いものだと思う。技術的には呆れるような難曲だけれど、マツーエフならその点に不安はない。僕の興味は、彼がどういう「表現」を聴かせるかという点にあった。
 この日の演奏が始まるときに、一つ「おや?」と思うことがあった。普通、協奏曲を演奏するときは、指揮者がソリスト(独奏者)にアイコンタクトを取る。これは重圧の掛かるソリストへの気配りで、ソリストの方は軽く頷くことで心の準備ができていることを指揮者に伝える。これを確認してから演奏を開始する、というのが普通の流れ。ところが、この日は指揮者が背後のピアニストの方を見もせずに、いきなり演奏を始めた。
 その後の演奏を聴いていて思ったのだけれど、ともにロシア出身の指揮者とピアニストで、指揮者は大ベテラン、ピアニストは(腕が立つとはいえ)若手なので、何か序列のようなものがあるのではないか。この日の演奏も、通常とは逆にピアニストがオーケストラに合わせていた部分がいくつもあった。
 そういう状況ではあったけれど、マツーエフはこの日もパワー全開。この難曲をものともせずバリバリと弾き進む。今日はピアニストの手がよく見える位置に座っていたので、彼の指が非常に柔軟に動くさまがよく見えた。本当に呆れるくらい、よく動く。最後はもう演奏というよりアクロバットだったけど、彼は音を一つも外さない。彼の技術のすごさたるや、恐らく世界でも上から数えて何番目というほどの、恐るべき水準だろう。

 ただし残念ながら、やはりこの日もマツーエフの演奏は僕の心に響いて来なかった。彼の演奏はダイナミックだけれど、どうも心の奥底から出てきた表現とは聴こえない。一方で、彼の演奏は技術の面で驚異的な精度を誇りつつも、知的な演奏というわけでもない。非常にドライで、スポーツ的な演奏だというのが僕の感想。マツーエフの演奏は、若いときのポリーニよりも(表面上の)表情は豊かに見えるけれど、ポリーニの演奏では知性の深さががっちりと安定した土台となり、同時に知的な鋭さがきらめきとなって演奏を彩っていて、演奏の魅力という点では完全にレベルが違う。
 結局僕は、マツーエフがどのような音楽に向いたピアニストなのか、二度目の演奏を聴いた今もわからずにいる。


 休憩を挟んで再びチャイコフスキー。今回はステージ脇の席を取ったので、第2バイオリンの真後ろから聴いているような状態。右耳で弦楽器を聴いて、左耳で管楽器を聴く。正面から聴くときとは音のバランスもタイミングも違っていて、昔オーケストラをやっていた頃を思い出す。ホルンのベル(音が出てくる朝顔状の部分)がこちらを向いていたので、久々にホルンの直接音も聴いた。ホルンは柔らかい音が魅力の楽器だけれど、実は直接音は結構固くてゴツゴツしている。これが残響と混ざると、あのえも言われぬ美しい音になる。こういうのを聴いていると、またオーケストラをやりたくなってくる。

 チャイコフスキーの5番は、編成は標準的な二管編成で金管楽器をホルン4本、トロンボーン3本+チューバ1本としたシンプルな編成。打楽器はティンパニのみ。チャイコフスキーといえば大音響という印象があるけれど、編成も楽譜も実はかなり伝統的。特に5番は、初めて楽譜を見るとその古典的な書法に驚くに違いない。特殊楽器を必要とせず、演奏は比較的容易で演奏効果も高く、演奏していて気持ちいいので、ドボルザークの8番と並ぶ学生オーケストラの定番中の定番の曲でもある。

 第1楽章は冒頭の、殺風景な冬のロシアのさびれた街路を心身共に寒さを感じながら歩くような部分が印象的だった。あまり抑揚をつけ過ぎず、そのぶん却って寒さが身に沁みてくるような感じだった。
 その後はテミルカーノフ節が全開で、あちこちで頻繁にテンポとリズムを揺らす。その揺らし方が予定調和というか、なんだか見え透いた感じなのが鼻につく。ただし大音響が轟きわたる頂点への流れの作り方が自然で上手く、結局その頂点の部分で気持ちを持っていかれてしまう。チャイコフスキーとテミルカーノフの共同作戦にまんまとはまっているような感じ。
 第2楽章は冒頭のホルンのソロが素晴らしかった。イギリスのホルンらしい柔らかく稠密な音で、表情豊かに歌う。その後は再びテミルカーノフ節。テンポの変化が目立つ。
 第3楽章からは、表現のわざとらしさが気にならなくなってきた。こっちの頭がチャイコフスキー+テミルカーノフの音楽にチューニングされてきたのかもしれない。軽やかなワルツが心地よく流れる。
 そして最後の第4楽章。この曲は素晴らしい。聴いているこちらの本能に直接響いてくるような音楽で、聴いていると神経が痺れてくるような気がする。静かな部分と激しい部分、快活な部分などが、いちいち心地よく響く。この辺では僕はもう完全に乗せられて、コーダ(終結部)まで一直線。金管楽器のff(フォルティシモ)もきれいな響きで大満足。気分良く家路に着いた。
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by voyager2art | 2010-06-25 08:07 | オーケストラ

ロイヤルオペラ/カルメン

Carmen (Georges Bizet)
The Royal Opera, Covent Garden, London

6月21日(月) 19:00 -

指揮:Constantinos Carydis

出演:
 Micaela: Maija Kovalevska
 Don Jose: Bryan Hymel
 Carmen: Christine Rice
 Escamillo: Aris Argiris
 他

 ロイヤルオペラによる今シーズン二度目のカルメン。僕が観るのも前回に次いで二度目。歌手は初めて聴く人ばかり。
 舞台は古典的ながら光の使い方が印象的。そこへ最初に出てきたミカエラ役のコワレフスカは、声はやや鋭いものの表現的な歌を歌う。これに対し、ドン・ホセのヒンメルは初めはやや声が細く、きちんと歌ってはいるものの、それほど強い印象を受けない。良識ある「普通の」男性、という役としてははまっていたとも言えるのかもしれない。
 カルメンを歌うライスは、もともと持っている声は艶と潤いがあって心地よいのだけれど、カルメンを歌うということで強い声を指向して歌ったため、本来の声の美しさが損なわれたように思えた。また彼女の舞台姿は、容姿こそ美しかったものの、魔力的な魅力と毒を持つカルメンの凄みや深みが感じられず、普通の人という印象。エスカミーリョも初めのうちは声が軽く、前半はなんとなく盛り上がらないままに終わったという感じだった。

 後半になるとさすがにみんな声が出てきて、特にドン・ホセとエスカミーリョは恋敵同士の緊迫感やカルメンへの執着心などもよく出していた。ただ、やはり残念だったのはカルメンの魔性が出て来なかった点。これはしかし、恐らくはカルメンを歌ったライスのせいではない。
 カルメンというオペラは人気も高く頻繁に上演されている演目だけれど、このカルメン役は実は大変難しいに違いない。ビゼーがカルメンに与えた歌をきちんと歌うだけでは、この役の魔性が充分に表現されないように思うからだ。オペラ全編にわたってこれだけ名曲がちりばめられ、ドラマティックな効果もありながら、ことカルメンの魔性の描写という点に於いては、ビゼーの音楽は物足りない。従って、カルメンの魅力と毒が表現され得るとすれば、それは本質的に歌手本人が持つ人間性(あるいは演技力)に依っているに違いない。

 だから僕は、カルメンを歌ったライスが悪かったとは決して思わない。彼女の声は非常に美しく、魅力的である。ただ、彼女はカルメンという役を歌うのには向いていなかったと思う。彼女の本領は別の役、あるいは歌曲などでこそ発揮されると思う。

 カルメンの物語は、愛(と失恋)のため正気を失ったドン・ホセと、自分の気持ちを貫き通すカルメンの悲劇的な結末で幕を閉じる。どうにも救いようのない結末であり、しかも誰に起こってもおかしくはない話なので、余計にやり場のない苦さが観るものの心に残る。
 ただ、これも上述のカルメンの魔性が感じられないために、ただの愛憎劇に終わってしまったのが残念だった。この魔性が表現されていれば、恐らくこの物語は一気に深みと説得力を増して、サロメのような倒錯した美すら現れたかもしれない。それが表現されなかったのは、しかし、上述のとおり歌い手だけの問題ではない。
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by voyager2art | 2010-06-22 08:39 | オペラ

エトヴェシュ/ロンドン交響楽団 & ポリーニ

2010年6月20日 Barbican Centre
19:30-

曲目:
J. S. バッハ(ウェーベルン編曲):「音楽の捧げもの」より6声のリチェルカーレ
ラヒェンマン:Double (Grido)
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

指揮:Peter Eötvös
ピア ノ:Maurizio Pollini
London Symphony Orchestra

 ハンガリーの作曲家・指揮者のエトヴェシュとロンドン交響楽団によるコンサート。ピアノ独奏にポリーニを迎えてのブラームスがメインで、これをお目当てに出かけた。

 わざわざ人様に言うような話でもないのだけれど、僕にとってはポリーニでブラームスの一番の協奏曲を聴くというのは10年越しの夢だった。かつて、2000年頃だったと思うけど、NHKで「20世紀の名演奏」というテレビシリーズをやっていたことがあった。第二次大戦が終わって、日本が復興するにつれて欧米から有名な演奏家が次々と来日するようになり、そのときに収録された映像がいくつも放映された。中にはカラヤンとウィーンフィルとか、ミケランジェリのラヴェル演奏など、とてつもない価値を持つ記録がいくつも含まれていたけど、その中で僕に一番強烈な印象を演奏を与えたのが、ポリーニが1978年にNHK交響楽団と演奏したブラームスの第1協奏曲だった。

 ブラームスのこの曲は、一般のピアノ協奏曲とは異なり、ピアノの技巧や響きの美しさを楽しむための音楽ではない。ときに「ピアノ付きの交響曲」と言われるほど、音楽の表現の本質的な部分をピアノとオーケストラで分け合った音楽として書かれている。しかし同時に、ピアノ独奏部の演奏技術上の難しさも並大抵のものではない。楽譜を見ると分かるのだけれど、この曲のピアノパートは、呆れるほど難しい楽譜が続く。音楽的な内容の晦渋さも手伝い、この曲が作曲されてから約10年間、一般のレパートリーに定着する以前は、この曲を演奏したのはブラームス自身(彼自身すぐれたピアニストだった)とクララ・シューマン(かのシューマンの妻、当時の代表的なピアニストの一人)だけだったほどだ。

 このとき放映されたのは、最終楽章のコーダ(終結部)のほんの数分だけだったけれど、力強く輝かしい圧倒的な演奏にただ呆然としてしまった。録画したビデオを何度も何度も繰り返し見て、ひたすらため息をつく。その日のうちに20回は再生したと思う。そのくらいすごかった。
 この演奏を、最後の部分だけでなくて全曲放送してくれないものかと思っていたら、何としばらくしてN響アワーで全曲の映像が放送されることになった。待ちに待った放送が始まると、再びポリーニの演奏に圧倒された。驚異的な技術で、凄まじい圧力の演奏が繰り広げられていた。このときも録画したビデオを、その日のうちに何度も再生したのを覚えている。ただただひたすら、すごかった。

 このときのビデオはDVDにして今も大切に持っていて、折にふれ鑑賞していた。そしてこれを観るたびに、なんとかしてポリーニの弾くブラームスのこの第1協奏曲を、実演で聴けないものかと想い続けてきた。そんな中でふと見つけた演奏会情報が、この日の演奏会のものだった。もう、何が何でも行くしかない。チケットを買ってから、この演奏会はずっと楽しみにしていた。
 そして、その日が遂に来た。ビデオの中の演奏は、今から30年以上も前のものだ。当時のポリーニは技術的にはまさに絶頂期で、表現も一切の虚飾や感傷のない、最も先鋭的な時期のものだった。それから30余年。今のポリーニが、この曲をどう弾くか。


 演奏会の最初の曲は、ウェーベルン編曲のバッハ。指揮者の周囲に管楽器奏者を半円形に一列に配置し、その後方に二列で弦楽器(コントラバスを除く)を配置。舞台の中央奥にコントラバスが並ぶという、変則的な並び方。
 演奏は、音色旋律(一つの旋律を複数の楽器が交代で演奏する)が今ひとつ明瞭に現れず、バッハ=ウェーベルンという二人の組合せによるポリフォニーと音色の妙を楽しむ、というところまで到達していなかった。また、どちらかと言えば規模の小さい、室内楽的な指向のこの曲を、エトヴェシュはややもすれば近代的な大音響側にふくらませようとする。元来がそういう性質の音楽ではないので、むしろ小さな響きのままで演奏した方がかえって音楽の密度や崇高さの表現につながると思うのだけれど。残念ながら、この曲の演奏としては成功していたとは思えない出来だった。

 続く"Double"は、弦楽器のみの作品。先のバッハの楽器配置から、管楽器と打楽器を除いた形で、変則的なままの配置。
 この曲は、弦楽器のグリッサンド(二つの音を、連続的に音程を変化させてつなぐ奏法)や、フラジオレット(意図的に高次倍音を出す奏法)に始まり、弦楽器の駒の先を弾いたり、弓の背側で弾いたり(かすかに擦過音が出る)するなどの特殊奏法を多用して、この地球上の世界からは遊離したような、ある種の物理現象を客観的に観察しているような音楽だった。
 これは完全に僕が個人的にこの音楽から得たイメージだけれど、宇宙にビデオカメラを向けて、何十億年も連続撮影を続け、その撮影が終わった後に、10万年くらいを1秒に縮めて再生したらこういう感じになるのかなと思った。ある場所で発生した出来事(=ある楽器で演奏された音型)、たとえば超新星爆発などが、周囲の天体に何か影響を与える。それは直接的に同様の物理現象(=同じ音型)を引き起こすこともあれば、全く異なる現象として現れることもある。この物理現象の連鎖はあるときには近くに、あるときには遠くに伝播し、出来事が頻発することもあればしばらく何も起こらないこともある。一見無秩序に物事が進行しているように見えて、実はその奥にこれらの現象を支配する物理法則が存在している、そういう展開の仕方で音楽が進む。
 作曲者がどこに意図を置いていたのかは知らないけれど、この曲は人間の感情とは全く異なる何かを表しているように思えた。なかなか面白い音楽だった。


 休憩を挟んで、いよいよブラームスのピアノ協奏曲第1番。通常の配置に戻ったオーケストラの前に登場したポリーニは、非常に老いて見えた。前述の通り技術的に極めて高度なものが要求される作品なので、不安も頭をよぎる。どのような演奏になるのか。
 結論から言うと、不安が的中した部分と、素晴らしい部分の両方がある演奏だった。第1楽章で、比較的長い序奏が終わってピアノが入ってくるところで、すでにポリーニのタッチが不安定なのが見てとれた。続く両手のオクターブのトリルはしっかり弾いているものの、音に芯がなく、響きがオーケストラに負けている。第二主題の後半、複雑なリズムの対位法的な部分でも旋律で頻繁に音が抜け、聴いているこちらも落ち着かない。
 展開部以降のピアノパートは技術的にますます難度が上がるうえに、かなりの大音量を要求されるが、ここも安定しない。何よりショックだったのは、とにかくフォルテが鳴らないこと。オーケストラの打ち込みに合の手を入れるようなところでも、ピアノが響かないので効果が上がらない。結局、一楽章はピアノが不安定なまま終了した。

 第2楽章からは、比較的ピアノの音が安定してくるのが分かった。音に少し芯が出てきて、ポリーニの調子が上がってきたように思えた。一楽章もそうだったけれど、ポリーニはロマンティックに歌わせることはせず、どちらかというと前に進む圧力の強い表現をする。僕は過度の感傷に陥らない演奏が好きなので、このあたりはポリーニが昔から変わらないことに安心する。
 ただ、この楽章の最後の方で、突然彼が音を外し、ソロが乱れた部分があった。単純なミスではなく音を一瞬忘れてしまったようで、その後もしばらく動揺していたように僕には見えた。この楽章のカデンツァは両手のトリルと経過句の美しい交替が聴きどころだけれど、直前のミスが尾を引いたのか、効果を上げることなくこの楽章を終わった。

 第3楽章はアタッカ(前の楽章から切れ目なしに次の楽章を続けること)のように、前楽章から間をあけずにいきなり開始。2楽章のミスが尾を引かないか気にしていたけれど、この辺りから俄然ポリーニの調子が上がってきたらしく、突然音が強くなり、技術的にも安定を見せ始めた。途中のフーガが終わったあたりからは彼の演奏にも自信がみなぎり、3ヶ月前に素晴らしいショパンを聴かせた彼が戻ってきたようだった。速いパッセージも明るい音で弾き切り、ブラームスのこの楽章の醍醐味を存分に楽しめた。もちろんミスタッチがなかったわけではないし、30年前の演奏と比べると力強さの点で劣ることは否めないけれど、この曲の演奏として極めて高い水準のものだった。


 今日の演奏を聴いて、やはりポリーニが老いたという厳然たる事実を受け入れないわけにはいかない。ブラームスの第1協奏曲は、彼の若い頃の極めて野心的な作品である。一方のポリーニは、ある種の音楽については、かつて何かを成し遂げた人であり、既に彼が過去の人であるとは言わないまでも、彼がいい演奏を聴かせる音楽の種類は、以前と比べると変化しているのは事実であろう。そして、ブラームスのこの協奏曲は、今はその中には入っていないのかもしれない。
 とはいえ、彼の演奏を実際に聴けたこと自体は、僕にとってはかけがえのない体験だった。主観的で感傷的ではあるけれど、極めて個人的な経験として、非常に貴重で幸福な時間だった。

 ポリーニは来年の前半にロンドンに戻ってきて一連の演奏会を開く。そこにはバッハの平均律やシューベルトの後期のソナタなど、今の彼で聴くにふさわしい曲が並んでいる。そこではまだ、彼がいまも成し遂げる何かを持っていることは、間違いない。また、それ以外の曲(ブーレーズの第2ソナタ!やドビュッシーの練習曲など)についても、調子さえ良ければ今でもショパンの練習曲をバリバリ弾くポリーニのことなので、いい演奏が聴ける可能性は充分にある。それを楽しみにすることにしよう。
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by voyager2art | 2010-06-21 08:20 | ピアノ

バッハ/平均律クラヴィーア曲集第1巻 - 第3曲(嬰ハ長調)

 前奏曲の前半は右手と左手の旋律が交互に入れ替わり、後半は右手と左手のリズムが半拍ずれて交互に音を出す。ショパンの練習曲Op.10-4はこの前奏曲の前半部から発想を得たのだろうか。フーガはやや長めの3声のもの。楽譜はこちら
 ちなみに嬰ハ長調は#が7つ、即ちハ長調の音階の全ての音が半音上がる調性。同音異名の変ニ長調(♭が5つ)が使われることが多く、嬰ハ長調はほとんど使われることがない。慣れないからか、何となく譜面も読みにくい。

● エドウィン・フィッシャー
 明るく演奏されることの多いこの前奏曲を、フィッシャーは実に静かに、そして控え目に弾く。そしてそれがこの上なく美しい。前半部に現れる四分音符+八分音符で構成された旋律を弾くとき、彼は四分音符を充分に伸ばして、あたかも四分音符の音列が旋律であり、八分音符は装飾か何かであるかのように弾く。この四分音符の旋律の抑制された歌に湛えらた、えも言われぬ詩情の素晴らしさと、八分音符の絶妙な音色の美しさは他に例えようがない。この八分音符の音色は、右手に現れるときと左手に現れるときで全く異なるけれど、どちらもため息が出るほどきれい。また、そこに添えられる16分音符の細かい音型も、澄んだ湖の表面に現れる細かなさざ波のように、極めて繊細な美しさで弾かれる。
 後半部の息の長いデュナーミク(音量のコントロール)も気品と教養に裏打ちされており、一分のわざとらしさもない。前奏曲最後の、終結の和音を三つ弾くところで、「ああ終わった!」という感じで急に陽気になるところに、フィッシャーの無邪気な朗らかさが伺えて微笑ましい。
 フーガの主題も控え目な音量で始まるものの、ここでフィッシャーは16分音符をわずかに詰めて速めに弾き、八分音符はやや溜めて遅めに弾く。この微妙なリズムの息遣いが表現に生命の彩りを添え、穏やかながらも豊かな歌に満ちた演奏を実現する。この演奏でも彼は盛んに弾き間違いをやっている。ときには、右手が音を抜かしたのを左手が気付かずに入ってきて、無理矢理つじつまを合わせているような場所もある。でも、それはこの演奏の愛嬌を増しこそすれ、瑕疵になることはない。人間の営みの面白さの典型の一つだろう。

● ダニエル・バレンボイム
 師のフィッシャーほぼ同じスタイルの演奏。前奏曲ではフィッシャーが四分音符+八分音符の旋律を表に出すのに対し、バレンボイムは16分音符の細かい旋律の方を表に出す。全体として音量は静かに、しかし表現は豊かに弾く点はフィッシャーと共通だけれど、表現の頂点の構成の仕方はより現代的に洗練されている。また、弱音でも輝きを失わない音色の美しさも素晴らしい。
 フーガの主題のリズムの動かし方もフィッシャーと同じ。この歌い回しの表現の徹底はフィッシャーの上を行っており、曲中でフーガの主題が現れるたびに、このリズムの息遣いが聴こえてくる。

● フリードリヒ・グルダ
 極めて明瞭な音と精緻なリズムの演奏。音量の変化は付けられていないため、フィッシャーやバレンボイムのような「歌」の魅力ではなく、運動性の面白さが際立つ。
 フーガもノン・レガート(音と音をつなげない)、マルカート(一つひとつの音を明確に弾く)の音楽。中庸のテンポを正確に保ち、全ての声部を過不足なく完全に同等に弾き続ける。控え目でありながらも効果的な音量・音色の変化をつけることで、演奏に格調の高い表情が与えられている。

● グレン・グールド
 前奏曲は驚くような高速の演奏。それでも決して音とリズムは崩れない。グルダと同様の、精密な運動性の面白さがここにもある。最後の一節でふっと崩した表情を見せ、終結の和音を軽く弾くところの、遊び心のセンスの良さも印象的。
 フーガもグルダと近いスタイルだけれど、グルダがどちらかというと力強さを感じさせるのに対し、グールドは軽々と空を駆けるようなところがある。グールドの非常に軽い音でのノン・レガートの効果である。

● マウリツィオ・ポリーニ
 前奏曲は正確なリズムを維持しつつも、「歌」の表現の方に意欲的に踏み込んでいる。ただし響きの豊かさとは裏腹に、柔和な歌ではなくポリーニらしい硬派な歌い口。録音の残響が長い上に、右手の旋律と左手の旋律を完全に等価に扱うため、音型が入れ替わるたびに音響の変化が明瞭に現れて飽きさせない。
 フーガも前奏曲と同様に歌を聴かせるが、音量の変化による表情の幅の広さが感じられて少しほっとする。

● スヴィャトスラフ・リヒテル
 前奏曲はポリーニと極めて良く似た演奏。途中で急にくぐもった音色に切り替えるところがあり、その変化が非常に美しい。一度始まると音楽の流れが一切途切れることなく最後まで続く。
 フーガも速めのテンポで一気に弾き通すけれど、主題が現れるたびに強い音色で弾くので単調にはならず、曲の構造がわかりやすい。テンポが速く音色も明るいので一見輝かしい演奏だけれど、歌い口自体は非常に真面目。
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by voyager2art | 2010-06-19 18:29 | バッハ平均律1巻

バッハ/平均律クラヴィーア曲集第1巻 - 第2曲(ハ短調)

 細かい16分音符が連続する前奏曲と、3声のフーガ。前奏曲とフーガの主題には共通する音型が含まれる。楽譜はこちら

● エドウィン・フィッシャー
 前奏曲は第1曲同様に速めのテンポ。音量はかなり抑え気味に始まり、途中でプレストになるまで、レッジェーロ(軽い音)で弾き通す。抑えた音量の中でのデュナーミク(音量の制御)のつけ方が上手い。プレストの最初のバスのG音(ソの音)はオクターヴを重ねて重厚に弾き、アダージョの走句はややルバート(リズムの揺れ)を効かせるあたりに時代が感じられるけれど、全体としてはさっぱりした印象を残す。
 フーガは中庸のテンポで始まる。主題はレガートで奏されるが、途中から内声およびバス声部の16分音符の音階的なフレーズはノンレガートで弾くため、全体としてはべったりせず、フィッシャーらしい爽やかさが保たれる。テンポが安定せず、少しずつ速くなっていくのは演奏者の気持ちが乗ってきたからか。

● ダニエル・バレンボイム
 やや速めのテンポ設定。レッジェーロなのはフィッシャーと同じ。音の粒が少し乱れ気味なのが残念。バレンボイムのことだからプレストやアダージョの部分は派手に演奏するのかと思いきや、かなり抑制された表現。その雰囲気のままで、フーガの主題がレガートで奏される。全体に音量を抑えたままで、しかし彼らしく音色は多彩にコントロールしながら、神秘的な雰囲気の演奏。

● フリードリヒ・グルダ
 非常に遅いテンポ設定。この前奏曲は、各小節の1拍目と3拍目の最初の16分音符が旋律を構成していると見ることもできる。前述のフィッシャーやバレンボイムは全ての16分音符を均等かつ等価に扱うけれど、グルダはこの「旋律」を強調して弾く。最初の4小節間は、この「旋律」の音が4分音符の長さ(16分音符4つ分)で弾かれる。5小節目からはこれが短縮されて、8分音符(16分音符2つ分)になり、11小節目からは楽譜通り16分音符になる。そのまましばらく続いて、22小節目からはまた8分音符になる。
 グルダのテンポ設定だと、どういう弾き方をするにせよ、同じ弾き方でずっと引き続けては退屈するし、このような変化のつけ方は曲の構造に深さを与えることになる。恣意的ではあるが、成功している。
 フーガも遅いテンポで、ノンレガートで弾く。主題の特定の音符に装飾音がつくのは第1曲と同じ。この装飾音の効果は素晴らしく、音楽の立体感と生命感が一気に増す。

● グレン・グールド
 遅いテンポ設定。1拍目と3拍目の最初の音の長さを色々変えるのはグルダと同じだけれど、変え方は全く異なる。グールドはこの「旋律」の音をスタッカートで弾いたり伸ばしてみたり、右手につけてみたり左手につけてみたりと、グルダよりもはるかに自由に弾く。この発想の柔軟性は驚く他ない。ただし音型の変化に比べると、テンポの変化は極めて少ない。
 フーガは一転して速めのテンポ。レガートとノンレガートの差がくっきりと際立ち、グールドらしい切れ味のいいアーティキュレーションが心地よい。どの声部もいきいきと歌い、格段の音色・音量の変化なしで各声部の弾き分けをやってのけるのは、やはり何度聴いてもすごいとしか言いようがない。

● マウリツィオ・ポリーニ
 前奏曲は中庸のテンポ。フィッシャーやバレンボイムのように、全ての16分音符を均等に弾くスタイル。ペダルは踏んでいないと思うけれど、残響の極めて多い録音なので響きの豊かさが印象的で、また全体としてもレガート(音と音を滑らかにつなげる)で弾くので、グールドやグルダとは全く違う曲を弾いているように聴こえる。
 フーガも中庸のテンポで、レガート中心の弾き方。余分な感傷は一切省き、音楽の核心部分だけを追求するという彼のスタイルはここにも極めて明瞭に出ている。

● スヴィャトスラフ・リヒテル
 速めのテンポで、全ての16分音符を均等に弾くスタイル。プレスト→アダージョ→アレグロと変化するテンポに忠実なのはいかにも真面目なリヒテルらしい。
 フーガは速めのテンポでノンレガート。小手先の変化や余分な感傷がないのはポリーニと同じだけれど、ポリーニが一切の無駄を省いて客観的な真理に到達しようとするのとは対照的に、リヒテルは全ての無駄を省いて自分の良心を直截に表現しようとしている。
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by voyager2art | 2010-06-14 07:26 | バッハ平均律1巻

ロイヤルオペラハウス/歌劇「フィガロの結婚」(モーツァルト)

Le Nozze di Figaro (Wolfgang Amadeus Mozart)
The royal opera, Covent Garden, London

6月12日(土)18:30 -

指揮:Sir Colin Davis

出演:
Figaro: Erwin Schrott
Susanna: Eri Nakamura
Bartolo: Robert Lloyd
Marcellina: Marie McLaughlin
Cherubino: Jurgita Adamonyte
Count Almaviva: Mariusz Kwiecien
Don Basilio: Peter Hoare
Countess Almaviva: Annette Dasch
Antonio: Nicholas Folwell
Don Curzio: Christopher Gillett
Barbarina: Amanda Forsythe

 ロイヤルオペラによるフィガロの結婚。スザンナを日本人の中村恵理が歌う。
 最初の序曲で「おっ!」と思う。小編成のオーケストラから豊かな響きが立ち上る。コリン・デイヴィスは速めのテンポで快活そのものの指揮。ざわざわとした、いかにも何か始まるぞ、と告げるような序曲が終わると、そのまま速めのテンポで第1幕開始。今回の歌手は声の大きい人が多かった。フィガロもスザンナも声量十分で発音も明瞭、ヨーロッパの若いカップルの元気の良さが伝わってくる。
 ただ、フィガロにしても伯爵にしても、元気がよすぎて表現にややきつさが見られた。二人が対立する場面などでは最近のテレビドラマのようなどぎつい緊張感が出ていた。どうせ荒唐無稽な喜劇なのだから、もっと面白おかしくやる方が僕は好きだし、そもそもそういう場面でのモーツァルトの音楽自体が、緊迫感を演出しつつも、一方ではいたずらっぽく笑ってウィンクしてくるような、そんな音楽なのだから。

 少し残念だったのは伯爵夫人の声が細かったのと、この役に求められる気品が物足りなかったこと。とはいえ、彼女も最後の場面では調子を上げて歌も良かったし、伯爵を圧倒する存在感も見せていたので、はじめが調子が出なかっただけなのかもしれない。

 ケルビーノについても、もう少し個性的であって欲しかったというのが本音。大人達の計略や秘めた企みを天真爛漫に引っ掻き回すこの役が僕は大好きで、この役の出来でフィガロの印象も大きく変わると思うのだけれど、今回のケルビーノはおとなしめ。僕としてはもっと大暴れして欲しかったので物足りなかった。

 しかし全体としては歌手も実力のある人が揃っていてアンサンブルも美しく、笑わせるところはしっかりと笑わせていて、水準の高い舞台だった。スザンナ役の中村嬢も個性的で愛嬌のある役柄を素晴らしい歌と演技で演じ切っていた。
 全幕を通して舞台の光の使い方も非常に美しく、オーケストラも好演。モーツァルトとダ・ポンテの喜劇をお腹いっぱい楽しめる、愉快なひとときだった。
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by voyager2art | 2010-06-13 19:22 | オペラ

松竹大歌舞伎/市川海老蔵 「義経千本桜」

松竹大歌舞伎 ロンドン公演
Sadler's Wells Theatre
2010年6月11日(金) 19:30-

演目:
 義経千本桜 「伏見稲荷鳥居前」「吉野山」「河連法眼館の場」

出演:
 忠信/源九郎狐:市川海老蔵
 源義経:大谷友右衛門
 静御前:中村芝雀

 他


 歌舞伎のロンドン公演で市川海老蔵が来る、というのはしばらく前からロンドンにいる日本人の間では結構話題になっていた。僕は今まで猿之助のスーパー歌舞伎を一度見ただけで、いわゆる「普通の」歌舞伎を見たことがなかったのだけれど、海外にいると日本の文化を知らないことに恥ずかしさを感じることもあり、いい機会なので観に行った。そしてこれが、非常に面白かった。

 この物語のストーリーについては、恐らく本舞台を観に行く前の僕と同様に全く知らないという人が少なからずいると思うので、松竹のサイトのあらすじをリンクしておく。
 ちなみにこの義経千本桜という演目には、ある程度独立したエピソードが多数含まれていて、今回上演された「伏見稲荷鳥居前」「吉野山」「河連法眼館の場」の三つの幕は、その中の中心となるストーリー。題名には義経の名が付されているものの、ここでの主役は佐藤忠信/源九郎狐(一人二役)で、市川海老蔵がこの役を演じる。

 最初の「伏見稲荷鳥居前」は派手で賑やかな幕。幕が開くと義経と静御前の豪華な出立ちで華やかな舞台が始まる。木にくくり付けられた静御前を発見した逸見藤太(はやみのとうた)のコミカルな演技に思わず笑いっていると、そこへやってくるのが佐藤忠信。海老蔵は驚くほど華がある役者で、かっこいいし男の色気もある。やや高めで柔らかさのある声もすばらしい。隈取りした海老蔵が、藤太とその一味と繰り広げる荒事も、動きの一つ一つが洗練され、型がいちいち決まるのがとにかく痛快。
 続く幕の「吉野山」は、浄瑠璃(三味線の伴奏で歌が歌われる)に乗って静御前と忠信(源九郎狐)が義経のこと、かつての平家との戦いのことなどを回想する。桜が満開の吉野山を背に、人目を忍ぶ逃避行の二人の束の間の平和なひとときは、ゆるやかな浄瑠璃の調べに浮かびかつ沈み、ゆったりとした非現実的な時間が流れる。ちなみに正直に言うと、美しい着物を着た静御前よりも、源九郎狐の海老蔵の方がよほど色気を放っていた。

 休憩を挟んで最終幕の「河連法眼館の場」。ここでは静御前に付き添っていた忠信が実は狐であったことが明かされ(そのため「源九郎狐」と呼ばれる)、その狐が、静御前の持つ「初音の鼓(はつねのつづみ)」が自分の母狐と父狐の皮で作られていることを語る。「鳥居前」では勇壮で頼れる存在であった源九郎狐が、ここでは親を慕う気持ちをあらわにして見るものの涙を誘う。悲痛極まりない狐の独白と、その話に感じ入った義経が鼓を狐に与えた後の、狐のほとばしる喜びの発露の表現は見事。

 歌舞伎の動きは本当に洗練されている。直接的な動きによる表現は注意深く退けられ、全ての表現を形式に昇華しているように僕には見えた。形式主義というと通常悪い意味で使われるけれど、歌舞伎における形式主義は、表現の一般化・抽象化の果てに辿り着いた表現形式の一つの極致であり、その形式と感情の表現の絶妙のバランスが歌舞伎の魅力であるように思えた。そしてまた、形式を極めた先にまだ残る何かが、役者一人ひとりの個性であり、海老蔵の放つ魅力もそこにある。歌舞伎が世界に誇れる日本の芸術であることは間違いなく、その歌舞伎を今まで見て来なかったことが悔やまれる。

 今回上演された義経千本桜という演目は、派手な場面(鳥居前)、耽美的な場面(吉野山)、そして人情話(河連法眼館)と多彩で見所が豊富なので、これが歌舞伎の三大傑作と呼ばれることにも充分納得がいった。ただ、歌舞伎に疎い僕ではあるけれど、上に書いたような表現の洗練をもっと突き詰めたような作品もあるのではないかとふと思った。そういう話があれば、是非見てみたい。
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by voyager2art | 2010-06-12 20:13 | その他

ロイヤルバレエ/Croma, Tryst & Symphony in C

The Royal Ballet
2010年6月10日 19:30 -

Chroma
 作曲:Joby Talbot, Jack White III
 振付:Wayne McGregor
 指揮:Daniel Capps

 Federico Bonelli
 Ricardo Cervera
 Mara Galeazzi
 Sarah Lamb
 Steven McRae
 Raura Morera
 Ludovic Ondiviela
 Tamara Rojo
 Eric Underwood
 Jonathan Watkins
 Edward Watson


Tryst
 作曲・指 揮:James MacMillan
 振付:Christopher Wheeldon
 照明:Natasha Katz

  Melissa Hamilton, Eric Underwood 他
 
 
Symphony in C(交響曲ハ長調) 
  作曲:Georges Bizet
 振付:George Balanchine
 指揮:Dominic Grier

 第 1楽章:Sarah Lamb, Steven McRae 他
 第2楽章:Marianela Nunez, Rupert Pennefather 他
 第3楽章:Yuhui Choe, Sergei Polunin 他
 第4楽章:Tamara Rojo 他


 先日観に行った演目を再び観に行った。ただし主役級ダンサーは完全に入れ替わっている。
 最初のChromaはやはり音楽が良くない。ただしダンスの方は、前回見たときはさっぱりわからなかったのが、今回は少しだけとっかかりがつかめたような感じ。ただしまだ理解はしていない。例えて言えば、以前はただの音の羅列にしか聴こえなかったものが、今回は外国語のように聴こえた、という感じ。

 次のTrystは、今シーズンFirst Artistに昇格したばかりのメリッサ・ハミルトンが素晴らしかった。小柄で舞台映えする美人である上に、踊りの表現力が豊かだった。また、マクミランの音楽の素晴らしさにも改めて感心した。「現代音楽」でありながら、ただ自己満足的な難解さや奇矯さに陥らず、かと言って大衆迎合的な効果も全くない。今年のPromsで彼の作品が取り上げられる演奏会があるようなので、足を運んでみようかと思う。


 ビゼーの交響曲ハ長調は、第1楽章がサラ・ラム。ロイヤルバレエのPrincipalではあるけれど、こぢんまりとまとまって今ひとつ個性がよく分からない。美人だし上手いと思うけれど、そこにプラスαの何かがない。
 第2楽章はヌニェス。堂々とした女王の貫禄すら感じさせる。動きが大きくてはっきりしていて、色で言うと原色をたくさん使ったような印象。この人は以前舞台を見たときに、明るくて健康的すぎると思ったこともあったけど、この日は神秘的な深みも感じさせて好演。さすがに人気のあるダンサーだなと思った。
 続く第3楽章は日本で生まれ育った韓国人のチェ・ユフィの無垢で可憐な踊りが良かった。前回の公演でこの楽章を踊ったロベルタ・マルケスがやはり無垢とはいえ、大人の色気を持っていたのと違い、チェ・ユフィは少女の純潔さそのものという感じ。
 最後の第4楽章はスペイン人のPrincipal、タマラ・ロホの踊り。これがすごかった。スペイン人、と聞いて納得せずにはいられないような、全身から発散された表現意欲に圧倒される。またこの人は、この日踊った誰よりも自分の身体の動きを意識的に把握してコントロールしているようだった。ピアノで言えば、ベネデッティ・ミケランジェリがそういう人だった。また、身体の柔軟性も特に優れているようで、その身体を素晴らしくコントロールして濃厚な踊りを見せていた。悪い意味ではなく「裏のボス」といった雰囲気の、清濁あわせ呑むような底知れない精神の深淵を垣間見せるようなすごさがこの人にはあった。
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by voyager2art | 2010-06-12 19:10 | バレエ


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