<   2010年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

ゲルギエフ/ロンドン交響楽団

2010年9月26日(日)19:30 -
Barbican Hall, London

演奏:
 Andrew Marriner (Clarinet)
 Rachel Gough (Bassoon)
 Valery Gergiev (Conductor)

 London Symphony Orchestra

曲目:
 Rodion Shchedrin: Concerto for Orchestra No.1 "Naughty Limericks"
 Richard Strauss: Duett-Concertino for Clarinet and Bassoon
 Gustav Mahler: Symphony No.5

 先日のユロフスキ/ロンドンフィルに続き、ゲルギエフとロンドン交響楽団でマーラーを聴いた。ゲルギエフがマーラーの5番を演奏するのは、何年か前に彼がマリインスキー劇場のオーケストラと来日したときに聴いたことがある。そのときは余り強い印象を受けなかった覚えがあって、今回はどういう演奏をするのかという点に興味があった。

 最初のシチェドリンは初めて聴く曲。サブタイトルは英訳で、ロシア語の原題では「お茶目なチャストゥーシュカ」というものらしい。チャストゥーシュカというのは、今日もらったプログラムによれば「品のない歌詞を持った、元気でユーモラスな農村の歌」とのこと。ただし古い歴史を持ったものではなく、20世紀になってからできたスタイルらしい。
 最初はジャズのような響きで始まったこの曲、ポップカルチャー的な活きの良さはサブタイトルそのもの。オーケストラの響きが非常に明るくて(これはロンドン響自身の音色も大いに寄与している)、弾けるような色彩が強烈。ポップカルチャー的なのはしかしその表面だけで、実際にはかなり変則的なリズムを駆使したこの曲は、むしろその色彩感と直截的な表現意欲で、爽快、明快かつ痛烈に聴いているこちらの本能を直撃してくる。この面白さは、もうストラヴィンスキーやピカソと並ぶのではないかと思うほどの水準で、これほどの音楽を今まで聴き逃していたことがもったいないと思うと同時に、この曲を採上げてくれたゲルギエフ/ロンドン響には心から感謝する。

 続くシュトラウスのデュエット・コンチェルティーノは、作曲者晩年の名曲の一つ。実は恥ずかしながら、この日の演奏会でプログラムの解説を読むまで、この曲が「美女と野獣」のようなストーリーを持っているとは知らなかった。クラリネットが王女様で、ファゴットが野獣、途中で王子様に変身、ということらしい。
 面白かったのは、野獣のはずのファゴットを吹くのが長身で美人の女性奏者レイチェル・ゴウで、王女様役のクラリネットをずんぐりむっくりのおじさん(失礼!)であるアンドリュー・マリナーが吹いていたので、見た目と役が完全に逆だったこと。しかしこの、マリナーのクラリネットが素晴らしかった。
 この人のクラリネットは、まず何と言っても柔らかくて艶のある芯が通った音色がとてもきれい。こういう音は他で聴いたことがなくて、この音色を聴いているだけで幸せになれる。そしてその上、とても表情豊かに歌うので、もう聴いているとそこに王女様がいるのが目に見えるよう。一方のファゴットは上手だし音色も豊かだけれど、表現力でマリナーのクラリネットにかなわないという感じ。王女様と野獣(王子様)の素敵な愛の物語という印象ではなく、おませで好奇心旺盛な女の子が、どんどん積極的に野獣にちょっかいをかけているような、そんな演奏になってしまった。でも、これはこれでマリナーのクラリネットの素晴らしい魅力を堪能できたので非常に楽しめた。


追記:
このクラリネット首席奏者のアンドリュー・マリナー氏は、かの指揮者ネヴィル・マリナー氏の御子息とのこと。
驚くべき一流音楽家一家で、普段家ではどんな会話をしているのだろうか、と思う。
(案外サッカーやクリケットのことで盛り上がっているのかも知れないけれど。)


 休憩を挟んでいよいよマーラーの5番。トランペットの首席奏者フィリップ・コッブによる冒頭のソロでいきなりノックアウト。あまりにも上手すぎる。危なげない、というレベルを遥かに突き抜けていて、威風あたりを払う、圧倒的な演奏。この曲はこれまで何度か実演で聴いてきたけれど、この日のコッブの演奏はずば抜けていた。
 しかしその後弦楽器がゆったりとした葬送行進曲を奏で始めると、音楽の印象が何となく薄くなる。ゲルギエフという人は指揮棒を使わず、手のひらや指を細かく動かして表情付けの指示を出しているように見えるけれど、実際に出てくる音楽はかなりさっぱりとしている。個人的には、マーラーの5番の第1楽章には、払っても払っても立ちこめるスラブ的な憂愁といったイメージを持っているので、あまりあっさりした演奏になるとどこに注意して聴けばいいのか僕にはわからなくなる。随所に出てくる盛り上がりは、ロンドン響の金管楽器の上手さも手伝って見事に決まるのだけれど、盛り上がりが収まるとまたあっさりに戻る。僕の中で演奏に対する焦点が定まらないまま1楽章は終了。

 続く第2楽章は、冒頭の低弦の分厚くて鋭い音が素晴らしかった。そのまま強い響きで主題になだれ込む。ここでは1楽章に比べてやや表情付けが深くなったように思ったけれど、それでも濃厚な、という印象ではない。しつこいアクセントや誇張したクレッシェンドなどはあまりなく、音楽がどこかさらりと流れてしまう。ただ、途中の盛り上がりを経て、再び冒頭の主題が戻ってきたときに、フレージングは変わらないのに演奏に何となく深みが出たように思えた。単にオーケストラが鳴り出したというのとも異なる不思議な変化で、理由がよくわからない僕に多少の混乱を残しつつこの楽章を終えた。

 第3楽章も重心が軽い。音色の重心が軽いというだけではなく、音楽の表現自体も深刻な方向に振れることがないので、どうにも音楽が上滑りしているように思えてならない。ゲルギエフの表現が薄いというわけではないけれど、濾過されて蒸留されような、奇妙な透明さがある。音楽が盛り上がるところではしっかりと盛り上げているだけに、静かになったときのさっぱりした旋律の歌い方にどうもアンバランスなものを感じないではいられなかった。ちなみにホルンの首席奏者デイヴィッド・パイアットのソロは見事なものだった。

 第4楽章のアダージェットは、もうここまでくると予想通りというか、さらっと流れて停滞しない。これまた僕の好きなスタイルとは大きく異なっていて、ゲルギエフの演奏のどこに焦点を合わせればいいのか分からずに戸惑う。ただ、この楽章の中間部で一度音楽が盛り上がった後に主題が帰ってきたところで、2楽章で感じたのと同様に、フレージングが変わっていないにもかかわらずまた表現が濃くなった。これが不思議でたまらなかった。恐らくゲルギエフの演奏を読み解くヒントが、ここにあるに違いない。でも、それが何かはっきりしない。もどかしい時間が続く。

 休みを入れずに第5楽章。ここへ来て、僕はゲルギエフがマーラーの曲をスラブ的なるものから解放された音楽として再構築しようとしてるのだろうと思い始めた。彼はマーラーの音楽に、音響の面からアプローチして音楽を組み立てているのではないか。それ以外に彼のマーラーを説明する術を僕は見いだせない。
 突飛な連想ではあるけれど、ロシア人は強い愛国心を持ちながらも、文化の点でヨーロッパの一部でありたいと願いつつ同時に自分たちはヨーロッパからはずれたところにいるという劣等感を抱いているという意見を聞いたことがあるのを思い出した。もしかしてゲルギエフも同じような感情をどこかに持っていて、同じスラブ系のマーラーの音楽から、敢えてスラブ色を抜こうとしているのだろうか。真相は全くわからないし、恐らくこれは見当違いの愚考だとは思うけれど、ゲルギエフのマーラーはそういうことを考えずにはいられない演奏だった。
 狙いが何であるにせよ、音響的に極めてドラマティックなクライマックスを、ゲルギエフはロンドン響の力強い響きで完璧に組上げて、最後は圧巻のフィナーレ。べとべとしない、爽やかな後味だった。

 僕にはまだゲルギエフのマーラーがよく分からない。でも、僕の気付いていないところで何かを狙っているような、そんな漠然とした印象も受ける。もう少し彼の演奏は聴いてみる必要があるように思う。
[PR]
by voyager2art | 2010-09-27 08:30 | オーケストラ

ユロフスキ/ロンドンフィルハーモニー管弦楽団

2010年9月22日(水)19:30 -
Royal Festival Hall, London

演奏:
 Petra Lang (Mezzo Soprano)
 Vladimir Jurowski (Conductor)
 Ladies of the London Philharmonic Choir
 Trinity Boys Choir

 London Philharmonic Orchestra

曲目:
 Alexander von Zemlinsky: 6 Mäterlinck Songs, Op.13
 Gustav Mahler: Symphony No.3

 2010/2011シーズン最初のコンサートは、ユロフスキ指揮のロンドンフィルによるマーラーの3番。実はこのコンビを聴くのを僕は意図的に避けてきた。以前彼らの演奏会でブラームスの一番を聴いたときに、奇をてらったとしか言いようのない演奏だったのでユロフスキという指揮者に対してはかなりネガティブな印象を持っていた。また、ロンドンフィルについても、ロンドンの5つのメジャーなオーケストラ(ロンドン交響楽団、BBC交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団、ロンドンフィルハーモニー管弦楽団)の中では技術的に一番弱いので、どうしても他のオーケストラばかり聴いていた。
 ただ、ユロフスキという人は巷での評判はかなり高く、まだ若い(38歳!)にも関わらず、期待の新星という評価もあちこちで見かける。この人はマーラーで聴くと面白いかも知れないと思い、ほぼ2年ぶりに彼らのコンサートに出かけてみた。

 最初のツェムリンスキーは初めて聴く曲。最後期ロマン派の例に漏れず、拡大された調性を用いて書かれている。ただ、プロムスでベルリン・ドイツ管弦楽団が演奏したシュレーカーのような色彩感には乏しく、今ひとつ何かが足りていないような気がした。
 彼の音楽では、あくまでも当時の主流だった様式に従って、拡張された調性という極めてロマンティックな音楽語法を用いているものの、彼の音楽自体はもう少し真面目なものを主張しているように思える。言ってみれば、語っている内容とその語り口に無視できない溝がある。最後期のロマン派の書法は、どこまでも快楽の海に溺れていくような、退廃的な香りに満ちたものだけれど、ツェムリンスキーはむしろ内省的な精神を持っていたに違いない。
 ただ、これ一曲でツェムリンスキーという作曲家を評価してしまうのは早いとも思う。この日演奏された曲の中にも、部分的には非常に美しい音楽もあった。もう少し探求する価値のある作曲家であることは間違いないと思う。
 ペトラ・ラングの歌は、きちんとした技術的・音楽的基礎の上に豊かな表情を持った立派なものだった。

 続いてマーラーの最長の交響曲である第3番。8本のホルンの斉奏で勇壮に始まる。ユロフスキはいよいよここで本領を発揮し、極めてアクセントとアタックの強いフレージングで、速めのテンポでぐいぐいと押しまくる。かなりの高揚感と緊迫感を効かせた演奏でドラマティックに聴かせる。そのまま最後まで突っ切ると演奏者も聴衆も神経が持たないのではないか、と思っていたらそこはさすがに音楽の経過に従ってやや柔和さが加わってきて少し落ち着いた。
 このユロフスキという指揮者は、音楽がその瞬間瞬間に産み落されていくような、生命感の溢れる演奏が非常に印象的だった。特にフォルテで盛り上げる部分の音楽の高揚のさせ方のうまさは、持ち前の生命感と相俟って素晴らしい水準に達している。彼の評判はここから来ているというのは間違いないだろうし、その判断は正しいと納得できた。おそらくブラームスでは偶然うまく行かなかった演奏に立ち会ったのだろうと思う。

 ただし、彼のマーラーに欠点がなかった訳でもない。マーラーの交響曲ではしばしば、曲中のクライマックスに続いて、断片的な旋律が薄い伴奏に乗って奏されるという音楽が現れる。こういうところでは、感情の爆発の後に自分の心の奥深くの内省あるいは虚無感、脱力感などを表現する必要があるのだけれど、ユロフスキは薄い音の断片の表面を追いすぎてしまい、そこに聞こえるのは単なる音の集まりとなる。結果として、音楽が音楽として成り立たなくなってしまう。
 こういう部分では、心理の深淵を底流する抑えがたい何かが聴こえてきてほしい。そのためには、表面に聞こえる音の向こうにある響きの世界に耳を傾けて、音の一つ一つにこだわりすぎずに囁くような奏法で演奏する必要がある。恐らく一つ一つの音に最大限の効果を求めるのはユロフスキの音楽家としての本能なのだろうと思うけれど、目に見える音だけでなく、その向こうにある何かを感じ取れるようになったときに、彼の演奏は一段高いレベルに到達するだろうと思う。

 第1楽章以降も、レントラー風の2楽章や森の中を散策しているような3楽章は彼らしい鋭敏なリズム感に支えられた生命感溢れる演奏ですばらしかった。個人的には、第2楽章はたくさんの花が咲き乱れ、絢爛たる色彩と馥郁とした香しさが匂い立つような演奏が好みだけれど、ユロフスキはもっとすっきりと清潔な印象を与える演奏をした。これはこれで別な美しさがある。第3楽章のポストホルンのソロも美しくて秀逸。第4楽章はメゾソプラノ(ペトラ・ラング)を伴う神秘的な音楽で、速めのテンポにも関わらず深みのある表現になっており良かった。第5楽章の合唱も非常に美しく、中間楽章は概して充実していた。
 最後の第6楽章はしっとりとした表現で豊かに歌う。ただしここでも、ユロフスキの音楽はピアノの部分よりフォルテの部分でより冴え渡り、クライマックスの作り方のうまさで最後は否応なく気分を乗せられるのだけれど、全体として見ると、クライマックスが上手ければ上手いほど、表現の幅に偏りが生じるのは避けがたい。それによって、より一層の深みが感じられず物足りなさが残ったのも事実だ。

 ロンドンフィルについては、個々の奏者の実力はかなり高く、どのパートが弱いというような穴もない。ただ、どういうわけかこのオーケストラは合奏が弱く、各楽器が有機的に合わせるべきところで綻びが目立つ。
 また、非常に残念なのはその音色に魅力が乏しいことで、これも特に汚い音がするという訳ではないけれど、ロンドン交響楽団のような芯のある華やかさや、フィルハーモニア管弦楽団のような心の奥の襞に染み入るような切ない音色の魅力といったものが感じられない。あと一歩オーケストラの実力が上がれば、ユロフスキの指揮も更に活きてくるのではないかと思う。そういう意味でまだまだ発展途上の、前途あるコンビだというのがこの日の演奏を聴いた僕の結論だった。
[PR]
by voyager2art | 2010-09-23 09:07 | オーケストラ

プロムス/ラトル指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(第2夜)

PROM 66

2010年9月4日(土)19:30 -
Royal Albert Hall, London

Karita Mattila (Soprano)
Berliner Philharmoniker
Sir Simon Rattle (Conductor)

演目:
 Wagner: Parsifal - Prelude (Act 1) (1877-82)
 R. Strauss: Four Last Songs (1948)
 Schönberg: Five Orchestral Pieces, Op.16 (Original version, 1909)
 Webern: Six Pieces for Orchestra, Op.6 (1909, rev. 1928)
 Berg: Three Orchestral Pieces, Op.6 (1914-15, rev. 1929)

 前日に続いてベルリンフィルの演奏会。僕の大好きなシュトラウスの「4つの最後の歌」が一番のお目当てだった。ただし新ウィーン学派の音楽は僕には苦手な部類に属する。実演で聴くのはもとより初めてで、こちらについてはちゃんと理解できる自信はあまりなかった。

 この日のプログラムは、時系列的に見るとシュトラウスの歌曲が突出して遅い1948年(作曲者の死の前年)に書かれているけれど、音楽史的に見ると並べられたとおりの順に音楽のスタイルが変遷していく。ワーグナー最後の楽劇パルジファル、後期ロマン派の最後を飾る傑作の4つの最後の歌、そして、新たな時代を切り開いたシェーンベルクとその弟子のウェーベルン、ベルク。ウィーンの世紀末から20世紀初頭にかけての音楽の系譜が明瞭にわかるプログラムになっている。
 ちなみにシュトラウスは亡くなったのが85歳と非常に長生きした人で、若いときこそサロメやエレクトラで革新的な仕事をしたけれど、その後は作曲スタイルとしては後退した。晩年には「自分がいま生きているのは偶然でしかない」ということを言っていたらしいけれど、実際にシェーンベルクらの新ウィーン学派やストラヴィンスキーが「現代音楽」の世界を開拓し、更にメシアンやブーレーズすら現れていた時代には、音楽史的な観点だけで見ればシュトラウスは生きた化石のような存在だったに違いない。実際、4つの最後の歌が作曲されたときには既にベルクとウェーベルンは世を去り、春の祭典は作曲されて四半世紀が経過し、メシアンが彼の代表作であるトゥーランガリラ交響曲を作曲し終えていた。
 しかし、この「偶然」による「時代錯誤」な作曲によって、人類は恐らく史上最も美しい歌曲を手に入れることになった。この音楽を「究極の美を具現化したもの」と言うことを、僕はためらわない。


 最初のパルジファルは、ベルリンフィルらしい分厚い音色の弦楽器でゆっくりと始まる。息の長い旋律を、ラトルの美しい指揮のもとで、ベルリンフィルは素晴らしく荘厳で美しい音楽として奏でていく。ラトルという人は、前任者のアバドにも増してオーケストラから非常に明るい音を出す人だと思うけれど、ここではかつてのベルリンフィルの音を思い出させるような重心の低い響きを作り出していた。金管楽器も木管楽器も、統一感のある厳かな音色でパルジファルの神聖な音楽を作り上げていた。

 続くシュトラウス。一曲目の「春」の冒頭で、オーケストラによる序奏が終わってソプラノが入ってくるところで、ソプラノとのバランスを取るためにオーケストラがぐっと音量を落とす。音量は落とすけれど音色の鮮やかさは一切変わらない。こういうのはあくまでも名人芸の範疇であって、音楽の本質的な表現とは異なるものだけれど、とはいえそのあまりの見事さに身体が震えるような快感を覚えた。こういうところも、上手いオーケストラを聴く楽しみの一つだ。
 ソプラノのマッティラは、艶があるというわけではないものの、豊かな声と表現の持ち主。この4つの最後の歌には、ヤノヴィッツが歌い、カラヤンとベルリンフィルが伴奏をした名録音が存在する。ヤノヴィッツの強くて透明な歌声と、カラヤン・ベルリンフィルの流麗な伴奏が、現世を超越した絶対的な美ともいうべき奇跡的な音楽を作り上げている。僕の場合はこの録音によってこの曲を知ったので、どうしてもこれとの比較になるのだけれど、マッティラとラトルによる演奏は、このカラヤン盤とは対照的で、むしろ徹頭徹尾、一人ひとりの人、それも特別な才能を持った誰かではなく、どこにでもいる普通の人間としての自分自身に根付いた、人間的な営みを土台とした音楽だった。誰もが迎える老いを、誰もが感じる人間臭い悲しさや諦観をもって淡々と受け入れていく。伴奏のオーケストラが鮮やかに情景を描写すればするほど、その中で老いていく自身の小ささを認識するような、そういう印象だった。演奏が終わっても、みんなしばらく拍手はせずにじっと心の中に沈潜していた。僕は思わず深く息を吸ってふーっと長い息を吐いたのだけれど、図らずも隣の席の年配の女性と呼吸のタイミングが完璧に一致した。彼女も、同じことを感じていたに違いない。
 この演奏でのオーケストラの見事さは特筆に値する。カラヤンの録音でこの曲の鮮やかさは知っていたつもりだったけれど、実演で聴くと、それもベルリンフィルで聴くと、もう形容のしようがないほどの色彩の豊かさがただひたすら心地良かった。また、遅めのテンポで演奏された第4曲の息の長い音楽の流れも驚異的で、曲の最初から最後まで、濃厚な表現の一本の流れがずっと途切れずに、同じペースで延々と進み続けた。この集中力と表現力は、ラトルの完璧な構成力と、他の追随を許さないベルリンフィルの音楽性の高さの明白な証だろう。


 ロマン派の後期に焦点を当てた前半から、「現代音楽」の創世期に焦点を当てた後半に移る。演奏される曲目については楽譜も手に入れて予習をしたけれど、正直なところよく理解できないままこの日の演奏会に臨んだ。しかしこれが、実演で聴くととても面白かった。
 シェーンベルクは、「浄められた夜」くらいなら素直にいい音楽と思えるのだけれど、12音技法に入ってからはよく分からなかった。ところがこれが実演だとなぜかよく分かる。シェーンベルク以前にも、ワーグナーやマーラーによって調性音楽はもう限界まで拡張されていた。誰もが、その限界の外は音楽の秩序が失われる領域であり、音楽の世界とはその境界の内側のみと信じて疑わなかった。その境界の外、それまで「非世界」と思われていた領域を、初めて「新たな世界」と認識して、積極的にそこに入っていったのがシェーンベルクだった。
 その新しい領域は、それまで「世界」と思っていた領域と同じくらい、あるいはそれよりもはるかに広く、そしてまだ誰もそこに入ったものはいなかった。その広大な空白の領域を前にして、シェーンベルクが成し遂げたことの偉大さが、この日演奏された「5つの管弦楽曲」から明確に伝わってきた。
 強い意志の前進を感じる第1曲、深い叙情を湛えた第2曲、無調ゆえに可能となった音響作曲の創始点となった第3曲、そして動的かつ劇的な第4曲と第5曲。もちろんそれまでの数百年に及ぶ西洋音楽の伝統があったからこそとはいえ、新たな領域で新たな秩序と法則を確立し、様々な表現の可能性を実現した彼の功績はあまりにも偉大だということが、この日の演奏によってようやく理解できた。

 続くウェーベルンも極めて面白かった。師のシェーンベルクの後に続いて12音技法の世界に飛び込んだ彼は、シェーンベルクにも増して際立った知力を武器に、極度に切り詰められた、しかも美しい世界を構築した。切り落とせる要素を限界まで切り落とした彼の音楽は、概してオーケストレーションも薄く、時間も短い。しかし音の薄さに反して、そこに見られる表現の密度の高さと美しさは比類がない。これは、薄くはあっても実に巧みなオーケストレーションによるものだ。

 シェーンベルクとウェーベルンの二人に比べると、最後に演奏されたベルクの音楽は革新性の点で一歩も二歩も劣るように思えた。ベルクの音楽は、書法こそ12音技法を用いているものの、精神はあくまでも後期ロマン派に留まっているのではないかと思えた。私小説的なドラマと感情の奔流による音楽で、何かマーラーの時代の音楽を12音技法に「翻訳」したような印象の音楽だった。表現の密度や振幅は激しいものの、シェーンベルクとウェーベルンを聴いた後では何か陳腐な音楽を聴いているような気がして仕方がなかった。
 ただし演奏自体は素晴らしかったことは付け加えておく。
a0169844_7533519.jpg

[PR]
by voyager2art | 2010-09-05 20:40 | オーケストラ

プロムス/ラトル指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(第1夜)

PROM 65

2010年9月3日(金)19:30 -
Royal Albert Hall, London

Berliner Philharmoniker
Sir Simon Rattle (Conductor)

演目:
 Beethoven: Symphony No. 4
 Mahler: Symphony No. 1


 ここ最近仕事が忙しかったのでコンサートに行けない日々が続いていた。それが、ちょうど一区切りついた日の夜に、今回のプロムスの目玉公演だと思っていたベルリンフィルの演奏会。学生時代、ベルリンフィルとウィーンフィルの主要メンバーは名前まで覚えてしまうくらいのオーケストラ小僧だった僕にとって、ベルリンフィルの演奏会は常に特別な、大切なイベント。

 演奏が始まる直前に、奏者が入ってくるだけで興奮してしまうのは、やはりベルリンフィルに名物団員が多いから。フルートのパユ、オーボエのマイヤー、ホルンのドール、ファゴットのシュヴァイゲルトなど、DVDで見慣れた名人・達人たちがぞくぞくとステージに現れると、もう僕は冷静ではいられない。
 また、この日の演奏会では、安永徹氏の後任として去年ベルリンフィルに加わった樫本大進がコンサートマスターを務めていた。若くて才能のある日本人が、こうやって世界のトップで活躍しているのは非常に嬉しい。現在試用期間中の彼には、是非本採用を勝ち取ってほしい。


 一曲目のベートーヴェン。編成はかなり小さい。冒頭はややゆっくり目のテンポと抑えた音量で、非常に濃密で神秘的に開始。こういう音楽を音量を抑えて演奏するのは、技術的にはかなり難しいのだけれど、そこは天下のベルリンフィル。全く難しさを感じさせない。殊にファゴットのシュヴァイゲルトの上手さは際立っていた。
 その後Allegro vivaceに入ると今度はぐっと快速テンポ。ただし音量は今ひとつ。意図的に抑えているというより、音が鳴り切っていないという印象。ホールが大きいからかな、と思っていたけれど、続く第2楽章から急に音が鳴りはじめた。木管楽器のソロも、他では絶対に聴けないような美しい音色が素晴らしい。第3楽章からは完全に調子が出てきて、メリハリの効いたフレージングといきいきとしたリズムの、非常に動的な演奏になった。そのままの勢いで第4楽章も一気呵成に終わった。
 この演奏を聴いていた感じたのは、各楽器が有機的にアンサンブルを行っているというところ。単に同じタイミング、適切な音量で音を出すというだけではなく、同時に音を出す楽器とは音色、音の出し方、音の切り方まで完璧にそろえて、あたかも別の音色を持った一つの楽器であるかのように演奏する。こういうことはもちろん他のオーケストラでもやっていることだけれど、ベルリンフィルでは信じられない程高いレベルでこれをやっているので、演奏を聴いたときに極めて有機的なアンサンブルとして聞こえてくる。


 休憩を挟んでマーラーの一番。ベートーヴェンに比べると奏者の人数が倍くらいに増えて、ベルリンフィル大好き人間の僕は更に興奮。
 ちなみにこの曲の導入部は、ベートーヴェンの4番の導入部と酷似している。マーラーは生前は作曲家としてよりも指揮者として有名だった人で、後にはウィーンの宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)の指揮者になった人なので、当然ベートーヴェンのこの曲を知らなかったはずはない。ある程度意図的に、この"引用"をやったに違いない。そして、ラトルもそれを分かった上でこのプログラムを組んだのだろうと想像している。

 なお、2010/2011年のシーズンはマーラーの生誕150年かつ没後100年にあたり、世界中でマーラーが演奏される。ベルリンフィルもちょうど一週間前に、同じプログラムで彼らのシーズン開幕演奏会を開いたばかり。そのときの評判が良かったので、ロンドンでその演奏を聴くのを非常に楽しみにしていた。

 冒頭の弦楽器のフラジョレットは、もう本当に聞こえるか聞こえないか、というくらいのかすかな響き。よく言われる「凍りついた冬の大地」ではなく、凍りついた空気を表しているような感じ。その後の管楽器も、限界まで抑えた音量で、ゆっくりと季節が進み、春の兆しが現れるのを表現する。
 この第1楽章では、序奏が終わってチェロが主題を演奏するところでふわっと春が訪れたような演奏をするケースが一般的だと思っていたけれど、ラトルはまだまだ手綱をゆるめない。日は差してきたけどまだまだ空気は冷たく、春はまだ咲き切っていないという感じで、音量を抑えたまま音楽を進める。この効果は素晴らしく、欧州の春の空気を見事に表現するとともに、鳥の鳴き声を模した木管楽器の動きが明瞭に前景に浮かび上がって春の風景も鮮やかに描写する。そしてトランペットのヴァレンツァイの吹く主題の美しいこと!柔らかく、暖かく、厚みがあってしかも明るい音。この音を聴いているだけで幸せになれるのに、これがまた何度も繰り返される。至福という他ない。
 また、ずっと音量を抑えてきたことで、この楽章のクライマックスの盛り上がりが非常にドラマティックに響く。そして、このクライマックスがあっけないほど早く終わってしまうことで、この楽章があくまでも全曲のイントロダクションであることが明瞭に伝わる。ラトルの心憎いまでの構成力を、この楽章の演奏で完璧に納得させられた。

 第2楽章のスケルツォはレントラー風の舞曲だけれど、ベルリンフィルで聴くとゴージャスそのもの。厚くて鮮やかな響きが、理屈抜きで心地いい。ホルンがベルアップしてゲシュトップでタタタタタタターとやるのもコミカルで楽しい。音楽は多彩で良く流れ、ベルリンフィルの上手さも堪能できる。
 続く葬送行進曲。この楽章がこんなに面白い音楽であるとは今まで認識していなかった。途中の酔っぱらったような歌の哀愁もさることながら、中間部の夢を見ているような、弱音器付きのヴァイオリンの旋律の美しさには参ってしまった。ラトルはベルリンフィルの音楽監督に就任して最初の演奏会でマーラーの5番を採り上げており、そのアダージェットでテンポと音色を見事にコントロールして素晴らしく幻想的な歌を聴かせているけれど、それを思い出させる素晴らしい演奏だった。

 そして終楽章。もうここは何も細工せず、一気に音楽を爆発させて、息もつかせぬ勢いで怒濤の演奏。それに応えるベルリンフィルのパワーもすごい。手に汗握る音楽がひとしきり続いた後、音楽がようやく落ち着く。故郷の春を思い返すような感傷的な旋律、勝利のファンファーレといった風情のトランペットの旋律などが次々と出てきて、一つ一つがいちいちかっこよく決まる。このあたりのマーラーの音楽はかなりくどいけれど、演奏の表情の豊かさでついつい聴いてしまう。様々な情景が現れては消え、最後のクライマックスはもう圧巻。特に、譜面の指示通り一斉にホルン奏者が立ち上がってからの演奏はすごかった。どこにこんなパワーを溜めていたのかというくらいの圧力でぐいぐい押され、幕切れ。もう、言葉に表しようのない興奮状態に陥った。

 やっぱり凄いベルリンフィル。その彼らの演奏会を、今夜も聴きにいく。もう僕は完全にお祭り気分だ。
[PR]
by voyager2art | 2010-09-04 20:52 | オーケストラ


ロンドンを起点に、音楽、写真、旅などについて書いていきます。メールは voyager2artアットマークgmail.comまでお気軽にどうぞ。


by voyager2art

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
オペラ
オーケストラ
ピアノ
室内楽
器楽
バッハ平均律1巻
バレエ
ジャズ
写真
絵画
演劇
雑感
楽譜

旅行記
旅行情報
旅行下調べ

その他
未分類

最新の記事

こっそりとお知らせ
at 2012-04-10 06:02
このブログを終了します
at 2012-03-01 06:35
超期待!の若手/ブニアティシ..
at 2012-02-26 02:18
寄り道香港
at 2012-02-14 07:13
京都
at 2012-02-13 04:54

最新のトラックバック

Debussy & Sz..
from MusicArena
Brahms: Vn-C..
from MusicArena
音遊びをする人たち シベ..
from miu'z journal ..
どんちゃん騒ぎのカタルシ..
from miu'z journal ..
LSO/ティルソン=トー..
from LONDON BORING ..
例えばE=mc2の美しさ..
from miu'z journal ..
フィルハーモニア管/マゼ..
from LONDON BORING ..
ロイヤルオペラ/『三部作..
from ロンドン テムズ川便り
久しぶりに上手いオーケス..
from miu'z journal ..
新しい注目株の予感
from miu'z journal ..

以前の記事

2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月

検索

その他のジャンル

ブログパーツ

  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧