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バンコク便り

 ベトナムで1週間ちょっと過ごした後は、タイのバンコクへ移動しました。バンコクにはもう何度も来たことがあって、バンコクの空港に到着すると、ベトナムでずっと感じていた緊張感もほぐれ、本当にほっとしました。いつものホテルに落ち着いて、数日ののんびり休暇が始まりました。

 昨日はロンドンから来て合流した日本人の仲のいい同僚と、ロンドンで知り合ったタイ人の友人とともに、ロンドン東部にあるエラワンミュージアムという場所に行ってきました。はじめて行く場所で、予備知識もほとんどなしに行ったのですが、想像を絶するぶっ飛んだ場所でした。

 ここはその名のとおり美術館です。美術館の本体は小さなところです。
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 でも、この美術館の上に、頭が三つある巨大な象が乗っています。これが本当にでかい!
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 こういうものをこの大きさで作ってしまうだけで、もうめちゃくちゃ可笑しい。友人いわく、この脇の幹線道路を車で走っていて、夜間にライトアップされたこの象をはじめて見たときはギョッとしたそうです。
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 もともとタイの神話ではエラワンというのは頭が32個ある象として登場するらしいのですが、さすがにそれは作れないので頭を3つに減らしたとか。このあたりで既に発想が面白すぎます。

 内部の美術館は、タイの骨董品を集めたなかなか真面目なものでしたが、ここで一番まともなこの美術館が、写真撮影禁止。

 その上は派手に飾ったホールになっています。
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 ホールには柱が4本。1本ずつに、主要な宗教のストーリーを現すレリーフが施されています。
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 中華のスプーン。
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 階段の手すりも象が支えます。
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 これは何でしょうか?
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 最上階はお祈りの部屋になっています。ここは象のお腹の中にあたる場所です。
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 タイの仏教では宇宙は7つか8つのレベルがあって、これは上から二つ目の世界なのだそうです。一番上の世界は完全な空(くう)なのだとか。この辺は日本人にも馴染みやすい発想です。

 ただ、美術館と華美なホールと奇妙な照明のお祈りの場を一緒くたにして、巨大な象を上に置くという発想は、僕のイマジネーションの限界をはるかに突き抜けていました。なんだかやられっぱなし。

 タイ人というのは縁起を担ぐのが好きな人たちらしくて、ここも人気のあるお祈りの場になりつつあるそうです。
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 そのお祈りをしている人たちのすぐ脇には・・・
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 もう、まったく理解の限界を超えています。日本でこれをやったら、悪い冗談か怪しい新興宗教くらいとしか受け入れられないでしょうね。写真は撮りませんでしたが、頭が3つある象のみやげ物もたくさんありました。


 タイ人の発想をさんざん楽しんだ後は、友人たちとレストランへ。僕の大好きなプーパッポンカリー(カニのカレー炒め)がこの日の一番のお楽しみでした。
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 これがとにかく美味しい。ほかにもいろいろ食べました。
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 マンゴーともち米のデザート。ココナッツミルクをかけて頂きます。一見奇異な組み合わせですが、やみつきになります。
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 訳の分からないテーマパーク(?)と素晴らしいご馳走。タイを目一杯楽しんだ一日でした。
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by voyager2art | 2010-12-31 13:27 | 旅行記

ベトナム便り (4) ~ 元気なサイゴン

 フエからサイゴンに戻ってきました。サイゴンは現在では「ホーチミン市」というのが正式名称ですが、現地の人たちはみんな旧称の「サイゴン」を使うので、僕も今ではサイゴンという方が自然に感じます。

 サイゴンは賑やかな街です。通りという通りは無数のバイクで埋め尽くされ、道を歩けばバイクタクシーのドライバーや物売りからひっきりなしに声をかけられます。こういう雰囲気が苦手という人は多いと思いますし、僕もしんどいなと思うことも多いのですが、それでもエネルギーにあふれたサイゴンの人たちを見ていると、何だか楽しくなってきます。
 今日は、そんなサイゴンの風景をご紹介します。

 サイゴンの道を歩いていると、必ず何か面白いものが道を走ってきます。電線にも注目。
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 日本食レストランもたくさんあります。僕は一度も入りませんでしたが。
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 途中でコーヒーを一杯。ベトナムコーヒーは濃くて強く、練乳入りで更に甘く濃厚になります。
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 通りはひたすらバイク・バイク・バイク・・・
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 横断歩道はあっても信号はほとんどないので、車列の中をすり抜けて道を渡ります。怖い!
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 宿のある一帯の脇には公園があり、蓮の花が咲いていました。
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 朝の公園では体操やスポーツをしている人がたくさんいます。
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 シャボン玉のおもちゃ売り。けっこうたくさんいます。
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 南国のサイゴンですが、クリスマスには雪、というイメージは強いようです。
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 サイゴンにもオペラ座があります。演目はチェックしていませんが、ここでもオペラをやっているのでしょうか?
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 巨大な街サイゴンですが、どんな通りにも豊かな表情があって魅了されます。僕はこの街が大好きです。
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by voyager2art | 2010-12-28 23:29 | 旅行記

ベトナム便り その3 〜 古都フエ

 ホイアンの次は鉄道で二時間半ほどの場所にあるフエという街に移動しました。
 今日はあいにく朝からずっと雨が降り続いています。今のベトナムは乾季のはずですが、先日のミーソン遺跡のときといい、よく雨に降られます。もっともフエの観光は昨日のうちに済ましてしまったので、今日は観光疲れを取るための休養日に充てることにしました。

 ベトナムでは長い間、北部・中部・南部に分かれていたということを前回書きましたが、北部と中部を統一した阮朝(1802 - 1945)が都を置いたのがフエでした。したがって、フエでは阮朝の都としての跡を巡るのが観光の中心になります。
 フエは一国の都にふさわしい大きな街で、観光の目玉も広い範囲に分散しているので、現地で一日観光ツアーに参加するのが一番です。泊まっているホテルでツアーを申し込み、参加してきました。

 午前中は、阮朝歴代の皇帝の陵墓を見学。最初に訪れたのは、阮朝4代目のTu Duc(嗣徳)帝の陵墓です。

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 広い庭園という佇まいの場所で、落ち着いた場所でした。

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 次に訪れたのは第12代Khai Dinh(啓定)帝の陵墓。陵墓といっても、Khai Dinh帝自身はここで過ごすことも多かったとかで、宮殿も兼ねていたようです。極めて豪華なために建造には11年を要し、その負担の大きさが社会の不満を招き、クーデター未遂まで起こったそうです。

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 ちなみにKhai Dinh帝には104人の妃がいたものの、子供は一人も授かることがなかったそうです。

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 午前中最後に訪れたのが二代目Minh Mang(明命)帝の陵墓。Minh Mang帝は謹厳な人だったらしく、本人の希望なのか陵墓も他の皇帝に比べると質素に見えます。でも場所自体は自然の中にあって、落ち着いた雰囲気の場所です。

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 この後お昼ご飯を食べ、フエの王宮へ。城壁に囲まれた巨大な地域に、紫禁城や政府庁舎、礼拝堂などがありましたが、第二次世界大戦後の対フランス独立戦争と、それに続くベトナム戦争での爆撃で大きな損害を蒙りました。修復作業が進められてはいますが、今もまだ往時の姿からは程遠いのが現状です。

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 この日は天気が良く、暑かったのでこのあたりから疲れが出てきました。

 最後に訪れたのはThien Mu(天姥)寺院。ここは仏教寺院です。ベトナムの仏教は日本と同じ大乗仏教ですが、中国様式の影響が強いようで、日本のお寺とはだいぶ雰囲気が違います。

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 ちょうど読経が始まったのですが、日本で言う「 念仏を唱える」というのとは全然違っていて、完全に音楽になっていました。

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 このあとは、フエの市内を流れる香江という河をボートで下り、宿に戻りました。ガイドさんの説明も良く、充実した一日でした。

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by voyager2art | 2010-12-26 18:37 | 旅行記

ベトナム便り その2 〜 ミーソン遺跡

 ホイアンの街から南西に30kmほど行ったところに、ミーソン遺跡という、1500年の歴史を持つ寺院跡があります。
 ベトナムは今でこそ南北に長い一つの国として認識されていますが、歴史的には中国支配の長かった北部、ヒンドゥー教(後にイスラム教)を受け入れたチャンパ王国が治める中部、カンボジア系の王朝に支配されてきた南部と分かれていた時期の方がはるかに長く、細かくみると地域による文化や人の性格の違いも大きいそうです。

 ホイアンや近隣のダナンは海上交易の拠点として栄えた街でしたが、この海上航路は非常に長い歴史を持ちます。

 奈良の正倉院の品物の中に、ペルシャの影響を受けたものがあるのは有名で、そこからシルクロードの存在に話を進めるのはよくある話ですが、一般にシルクロードといえば、中国から中央アジアを抜けてペルシャ、トルコへと至るルート(実際には一本の道ではなく、無数のルートからなるネットワーク状のルートの総称です)を思い浮かべることが多いと思います。
 しかし、そのほかにももう一本、重要なルートとして存在したのが、ペルシャ湾からインド沿岸を伝い、マレー半島を回ってマカオ等に至る、いわゆる海のシルクロードです。ホイアンもこの中継地点に位置します。

 この海上ルートの歴史は極めて古く、紀元一世紀にはすでに交易路として確立されていたそうです。
 海路の開拓といえばヨーロッパ人による15世紀からの大航海時代が有名ですが、これはヨーロッパとインド航路を結びつけるものであって、インド航路自体ははるかに古い歴史を持ちます。

 ちなみに、陸上のシルクロードは古来、多数の民族が入り混じる地域を通っていたため、交易の富の独占を巡って幾多の王朝が栄枯盛衰を繰り返してきました。そんな中でルート全域を支配下に収めたのが、かのチンギス・ハーン率いるモンゴルの大帝国で、彼の死後もしばらくは陸のシルクロードの平和は保たれました。これをパクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)と呼ぶこともあります。

 この時期には政治的な安定を背景に陸上交易が栄えましたが、やがてモンゴル帝国が衰えると再び群雄割拠の時代に入ります。
 折しもヨーロッパでは香辛料の需要が増え、一攫千金を夢見た船乗りたちが海路による安定した交易路を開拓したのが、大航海時代の始まりの背景でした。
 こういうことを考えると、世界のグローバル化なんてものは今に始まったものではないと強く思います。昔から人間は、それが本能であるかのように地球上を駆け巡っていたのです。


 この海のシルクロードを通ったのは人と商品だけではなく、文化も運ばれました。タイ・ラオス・カンボジア・ミャンマーの主要な宗教である上座部仏教は、セイロン(今のスリランカ)から海を渡って東南アジアに伝わりました。インドからは仏教だけではなくヒンドゥー教も伝わっています。また、イスラム商人たちによってイスラム教も東南アジアに伝搬しました。

 イスラム教については、今もマレーシアやインドネシアがイスラム国であることから簡単に理解出来ると思いますが、ヒンドゥー教については見落とされることが多いように思います。しかし現に、タイの古代神話はラーマキエンといって、インドのラーマヤナのタイ版です。タイやカンボジアに共通する創世記である「乳海撹拌」の神話もインドからそのまま輸入されたものです。
 乳海撹拌のモチーフはバンコクの空港にも大きく飾られていますし、カンボジアのアンコールワットもヒンドゥー寺院であって、乳海撹拌の大きな壁画が飾られています。
 また、バンコクの市内にはブラフマーやガネーシャを祀った場所がいくつもあり、タイ王室の正式な寺院であるワット・プラケオも、仏教寺院でありながら、階段の手すりがナーガというヒンドゥーの蛇神になっていたりします。

 このヒンドゥー教の伝搬はタイとカンボジアで終わらず、ベトナムにも伝わりました。今回訪れたミーソン遺跡も、そんなヒンドゥー教寺院の遺跡で、最も古いものは4世紀頃には建てられ始めたそうです。


 人の少ない朝一番の遺跡に入場するため、午前5時出発のツアーに参加しました。天気はあいにくの雨。先日の飛行機以来どうもついてないと思いながら、バスにゆられてサイトに向かいました。
 到着後、入場券を買い、ついでに脇の売店でレインコートを購入。ところが、いざ入場というところで突然雨が止みました! ラッキー!

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 サイトは森の中という感じで、雨の後なので空気はとても湿っていましたが、気温が低かったのでしっとりと気持ちよかったです。

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 遺跡はさすがに古いため、一番保存状態が良いものでも、もう崩れかけ。はっきりとした装飾などはもうあまり残っていません。

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 でも、こういうのを見ていると、昔の人たちがここで活発に寺院を建て、信仰を捧げた風景が見えてくるようで感慨深いものがあります。

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 首のないシヴァ神の像。

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 シヴァリンガは男根と女陰を合わせた豊穣のシンボル。ヒンドゥーの典型的なシンボルの一つです。

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 下の碑文の文字は未だ解読されていないそうです。僕はこういう古代文字になぜか非常に惹きつけられるものを感じます。大英博物館のヒエログリフなども大好きです。

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 もうこんなになって土台だけ残った場所もあります。

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 結局、観光中は雨は降らずじまい。バスに戻って帰路についたところでまた雨。本当に運のいい日でした。

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by voyager2art | 2010-12-25 23:57 | 旅行記

ベトナム便り その1 〜 ホイアン

 このブログの主旨からは全く外れますが、せっかくなのでベトナムで僕が見ている風景をここでご紹介することにしました。最初の目的地は、ベトナム中部のホイアンです。

 ちなみに日本でもニュースになったのでご存知の方も多いと思いますが、欧州では先週末の雪で陸と空の交通が大混乱に陥りました。ヒースローとガトウィックが数日にわたって閉鎖され、多くのフライトが欠航。気温は-5℃くらいで、もちろん寒いといえば寒いのですが、それでもこの混乱ぶりはちょっと異常。イギリス人の呑気さが悪い方に出てしまいました。

 僕はというと、スタンステッド空港からの便を予約していたので、何とかイギリス脱出に成功。予定より30時間遅れのフライトになってしまいましたが、飛行機が飛んだだけラッキーで、これが遅れではなく欠航だったらイギリスで年を越すことになっていたと思います。

〜 〜 〜

 ホイアンは古い港町で、東南アジア有数の交易拠点として、17世紀から19世紀にかけて栄えました。今ではベトナムでも人気のある観光地で、多くの観光客が訪れます。ここの見所の一つが来遠橋という、16世紀に日本人が建てたと言われる橋です。有名な場所なのでどんなに立派なのかと思って行ってみると、思いのほか小さい橋でした。

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 ちなみに舞台裏はこんな感じ。

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 この日のお昼ご飯はホイアン名物のカオラウという麺料理。うどんのような麺に、豚肉と香草、野菜が添えられ、少し濃いめのつゆがかかっています。

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 ホイアンはその古い街並が魅力、ということになっています。ただ、実際には観光地化が進み過ぎて、旧市街の通り沿いには、観光客向けの土産物屋やレストランばかりが並び、あまり風情はありません。

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 僕が本当に面白いと思ったのは旧市街の端の一画にある活気のある市場。何を隠そう、僕は市場マニアです。

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 ベトナムらしく、何でもどこでもバイク。

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 卵の品揃えが豊富でちょっとびっくり。

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 ガチョウがおとなしく売られているのにはかなりびっくり。

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 市場のそばの美容院。

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 僕は観光客向けに作られた風景よりも、こういう地元の生活感が漂う場所を見る方が好きです。

他の場所も順次ご紹介していきます。
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by voyager2art | 2010-12-23 23:51 | 旅行記

このブログのこと、僕のこと

 先日の演奏会が僕にとっては最後のものだったということは前回の記事の最後に書きました。来週は休暇を取ったので、明日から東南アジアを放浪してくる予定で、次の演奏会は1月の上旬。なので、しばらくは音楽関係の記事はお休みします。こっそり細々と始めたこのブログですが、少しずつ読んで下さる方も増えてきて、書く側としても読んで下さる皆様に感謝で一杯です。
 演奏会で忙しい日々も一段落したし、ちょうどいいタイミングなのでこのブログに対する僕の思いや、僕自身について少しだけ書いてみようと思います。


 元々このブログは、自分が聴いた演奏会や観た舞台について、自分自身のための記録として書き始めました。全く読者のことは意識せず、自分が読んで思い出せれば良いというくらいの態度で書いていました。とはいえ、凝り性なところもある人間なので、一度書き始めるとやはり、できる限りきちんとしたものを書きたいという気持ちはあって、次第に本気で書くようになりました。

 特に10月後半以降は、色々なきっかけや思うところもあって、自分でも無茶だと思う頻度で演奏会に通い、意図的に自分を追い込んで、許された時間の中でいったい自分がどこまで音楽が聴けてどこまでそれを文字にできるのか、自分の限界を探ろうとしていました。

 結果としては、自分を本当に限界の近くまで追い詰めることができたと思っていて、その中で自分が聴き取ったこと、書いたことについては手応えを感じている点もあれば不満な点も多々あるのですが、そのプロセス自体には満足しています。


 と、少し抽象的な書き方になってしまいましたが、こういうわけでこのブログは僕にとって自分自身の実験の場でもあったので、そんな身勝手なブログに毎日訪問して下さる方々がいて、貴重なコメントまで頂いたというのは本当に申し訳なくもありがたいことだと心より皆様に感謝しています。
 来年は、4月以降は仕事の都合で今のような頻度で演奏会に通うことはできなくなると思うのですが、それまではまた限界を攻めるつもりです。特に2月は今から恐ろしくなるような予定を組んでいます。どうなることやら・・・


〜 〜 〜


 次に僕自身について少しだけ書きます。(あくまでも自己申告なので、信憑性は保証しません。)


 僕はロンドン在住です。
 音楽は昔から好きで、ピアノを習っていたこともあって自然にクラシック音楽の世界に入りました。高校時代からは吹奏楽部でチューバを吹き始め、大学でオーケストラ部に入ったことで本格的に音楽に打ち込みました(もちろんアマチュアとしてです)。
 社会人になってからもオーケストラ活動をやめられない不良サラリーマンで、大好きだったマーラーの9番が演奏したくてたまらず、一発企画でオーケストラを組織して、演奏会を開いたこともあります。
 日本で働いていた会社を辞めた後、1年ちょっとの間、アジア各国をバックパックを担いで放浪し、その後ロンドンで働き始めました。



 好きな作曲家は、と聞かれるといつも困るのですが、ブラームス、マーラー、後期のドビュッシー、ラヴェル、シベリウスあたりは特に好きな作曲家に属します。特に最近は現代音楽にも興味を持つようになっていて、どんな音楽でも心を開いて聴くことを心がけています。ただし、なぜかショスタコーヴィチだけは苦手意識が消えません。

 僕は、「どの作曲家が一番」とか「この演奏家が最高」という考え方とは対極的な立場を取っていて、芸術とは常に進化するものと思っています。ベートーヴェンが最高と言ってしまうとブラームスやワーグナーやマーラーは無かったことになりますし、ドイツ音楽が唯一絶対と言っていればドビュッシーやラヴェルの音楽は生まれませんでした。ロマン派までが音楽と決めつけるとストラヴィンスキーやメシアン、武満徹は出てきません。

 もちろんこれは、昔の人が劣っていて新しくなるほど良いという意味ではなくて、その時代その時代に現れた天才たちが、その当時の状況の中で、常に新たな地平を切り拓いてきたという意味です。その開拓と挑戦の歴史が、すなわち芸術の歴史であり、厚みだということです。



 演奏についても、誰が一番とは考えません。むしろ、演奏家によって同じ曲でも驚くほど多彩に変化することの方に、僕は魅了されます。人の数だけ芸術がある、というのが僕の芸術観で、これについてはかつて、別の場所でこういうことを書いたことがあります。

 それにしても、と思う。僕の好きなピアニストを挙げてみる。アルゲリッチ、ポリーニ、ホロヴィッツ、グールド、グルダ、ベネデッティ=ミケランジェリ、リヒテル、バックハウス、ケンプ。みんなそれぞれに素晴らしい。そしてもう一つ素晴らしいと思うのは、みんな違うということだ。そう、同じではないからいいのだ。彼らの演奏が違うのは、彼らがみな自分自身の音楽を演奏しているからだ
  本当に素晴らしいものが幾通りにもあって、それが人間の数だけあり得るということは、芸術にとって本当に幸運なことだ。全ての人の心が互いに影響し合い、 絡み合い、ときに励まし合い、ときにいがみ合いながら、心の世界が広がって行く。その総体が芸術という文化を構成する。


 もちろんこれは僕の芸術観なので、皆さんに同意を求めている訳ではありません。芸術観だって一人ひとり違って当然なので、これはあくまでも僕がこう思っているというだけです。

〜 〜 〜

 年が明けたらまた演奏会通いとレビューを再開しますが、とりあえずしばらくはアジアの旅でリフレッシュして、1月からの第2ラウンドに備えようと思います。旅先で面白いものをみつけたらご紹介するかもしれません。
 それでは皆様、良いお年をお迎えください。
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by voyager2art | 2010-12-18 07:33 |

元気の出る魔法/五嶋みどり & パッパーノ & ロンドン交響楽団

 ヴァイオリンソロに五嶋みどりを迎えて、ロンドン交響楽団の演奏会。指揮は先日に続いてまたパッパーノ

Midori (Violin)
Antonio Pappano (Conductor)
London Symphony Orchestra

Ligeti: Concert Românesc (Romanian Concerto)
Bruch: Violin Concerto No.1
(Interval)
Rimsky-Korsakov: Scheherazade

2010年12月15日(水) 19:30 -
Barbican Centre, London

 最初の曲はリゲティの20代の頃の作品(「ルーマニア協奏曲」とでも訳すのかな?)。彼が蝋(ろう)管蓄音機に記録されていたルーマニア民謡を元に作曲したという音楽。前衛的な和声を巧みに採り入れた音楽だけど、聴いていると現代性よりも民族性の方が強く出ている。驚いたのはオーケストラの使い方の上手さで、シンプルな二管編成なのに実に多彩な響きを実現していて面白かった。

 続いてブルッフの協奏曲。ステージに現れた五嶋みどりはとても小柄。体の大きな人の多いロンドン交響楽団の前に立つと、本当に小学生か中学生くらいにしか見えない。コンサートマスターから音をもらって、少し時間をかけて調弦をしてから、演奏開始。ティンパニのトレモロに続く木管楽器の響きがほの暗くて、ブルッフらしいなと思ったのも束の間、続くソロに心を奪われた。小柄な彼女が、もう本当に全身を使って弾いていて、奏でられる音楽の情念の深いこと! 単にロマンティックな協奏曲くらいにしか考えてなかったので、彼女が紡ぎ出す音楽のただならぬ表情の深さと濃さに思わず固唾をのんで聴き入ってしまった。

 序奏に続く主題も、彼女はそのままの緊張感と表現力で演奏する。かなり強い弾き方・音色も多用しているけれど、彼女の演奏は強さや鋭さよりも、芯の通ったしなやかさを持っている。音色は豊かというよりもやや細めだけどきつさは全くなく、表現と同じくきれいに芯が通っているという印象。音量もどちらかといえば控え目。でも、不思議に彼女の音はオーケストラに埋もれることがない。もちろん指揮者が音量をうまくコントロールしているからなんだろうけど、必ず彼女の音はオーケストラの中からすっと通って聴こえてくる。

 彼女は豊かに華やかに聴き映えのする演奏をするタイプではなくて、彼女が全身全霊を打ち込んで創り出す音楽は軽い気持ちで聴けるようなものではない。しかし彼女の演奏はこちらに重くのしかかってくるというのではなくて、むしろこちらが知らず知らずに強く引き込まれてしまうというタイプのものだ。彼女は決して高圧的にならない。そして一見情熱的なようだけれど、その音楽の根底には、限りないやさしさと愛情の深さがある。

 オーケストラの伴奏の上で彼女が装飾的な音階やアルペジオを弾くと、その優しさが音楽を自在に編み上げて、オーケストラ全体が彼女の優しさで包み込まれてしまう。だからヴァイオリンのソロが休みでオーケストラだけで演奏するところでも、普通ならそれまで音量を抑えていたオーケストラが一気に音量を解放させるところなのに、今日の演奏はオーケストラが彼女の音楽に優しく応えていて、派手にも華美にもならない。迫力で押すのではなく、優しくぴたりと彼女の演奏に寄り添っていた。
 そして再びヴァイオリンソロ。広い音域に渡る音階などを彼女が弾くと、本当に滑らかに音がつながり、しなやかな曲線を描いて頂点に向かって高揚する。自在に旋律を歌わせつつも息の長いフレージングも見事という他ない。

 一楽章から切れ目なく続く二楽章では、打って変わってとても静かな愛情の表現になる。単にきれいなだけではなく、誰も知らない山奥の小さな泉で、澄んだ水が地下深くから絶え間なく涌き出し続けているように、純粋で深い情愛が途切れることなくしっとりと歌われる。とても優しくて、清らかで、この人は人間的にも本当に素直で素敵な人なんだろうなと思った。きっと男性からも女性からも好かれる人に違いない。
 この楽章の最後の最後に、弦楽器の和音に乗ってとても小さな音でヴァイオリンが歌うところがある。これが遥かかなたから聴こえてくるような弾き方で、どんなに遠く離れても彼女の愛情が相手にはっきりと伝わる、というように僕には聴こえた。

 そして終楽章。再び強い弾き方と鋭いリズムになるけれど、しなやかな歌い口なのは変わらない。華美に流れないのも同じ。どこまでも純粋に、素直に、明るくやさしくこっちを励ましてくれているよう。絶対に声高にも雄弁にもならないのに、彼女の前向きな気持ちはとてもよく伝わってくる。色々と辛いこともあるけれど、前向きに頑張ろうと本気で思った。涙が出そうになった。
 演奏を聴いていて、こんなに幸せな気持ちになったことは過去にない気がする。演奏が終わってほしくなかった。ずっと演奏を聴いていたかった。

 曲が終わると、拍手がなかなか鳴り止まなかった。僕もいっぱい拍手をした。アンコールなんか弾かなくてもいいから、少しでも長くステージにいて欲しかった。でも、それも終わってしまった。終わってしまったけど、幸せな気持ちは心の中に残った。音楽には(「彼女の音楽には」と言うべきかな?)、人を幸せにする力が間違いなくある。

 実は僕は彼女の演奏を学生時代に聴いたことがある。ウィーンフィルの来日公演で、彼女はメータの指揮でブラームスの協奏曲を弾いた。でも情けないことに、ぼくはそのとき彼女の演奏から何かを感じ取る力がなかった。音楽というのは本当に怖いところがあって、作品あるいは演奏がどんなに素晴らしくても、それを聴くこちら側が準備できていなければ、その素晴らしさを全く理解できないこともあり得るのだ。前回彼女の演奏を聴いたときの僕がまさにそうだった。
 でも今日は彼女のすごさが分かった。これからは彼女の演奏をもっと聴こう。

 〜 〜 〜

 このブルッフだけで充分かなとも思ったけれど、ロンドン交響楽団と相性のいいパッパーノが指揮しているので、後半もやっぱり楽しみだった。しかも今日のコンサートマスターは、先日の演奏会でも素晴らしい演奏を聴かせてくれたRoman Simovic(ローマン・シモヴィッチと読むのかな?)。シェエラザードはヴァイオリンソロが極めて重要な曲なので、これは楽しみにするなという方が無理な話だ。

 演奏が始まると、もう最初から本当に上手い。くっきりと彫りの深いパッパーノの音楽作りに、ロンドン交響楽団が完璧に応えるという構図は前回と同じ。今日も万全の相撲で勝ち星を重ねる横綱。
 第一楽章の「海とシンドバッドの船」では、冒頭のシャフリヤール王の堂々たる主題に次いで現れるヴァイオリンソロがいきなり素晴らしい。艶のある明るくて豊かな音色と、絶妙の歌い回し。五嶋みどりのヴァイオリンが、素直で心優しい大和撫子だったとすると、このシモヴィッチのソロはまさに妖艶なペルシャ美人。グラマラスというよりはすっきりと細めの女性という印象だったけど、こんな美人なら騙されてもいいという感じ(←大バカ)。荒れる海の描写も太く大きくうねり、満足。

 続く第二楽章「カランダール王子の物語」では、管楽器のソロの上手さが際立っていた。最初のファゴットのソロは音色が非常に厚くて、しかも微妙かつ鮮やかに変化する。歌い回しも本当に上手くて絶品。それからオーボエ。なかなか聴けないような厚みと柔らかさと輝きのある音色。ベルリンフィル黄金時代の名手コッホを思わせるような素晴らしい演奏だった。こんな人たち前からいたかなとメンバー表を見ていると二人ともどうやらエキストラ奏者だったみたい。こういう名手には是非入団してほしい。

 第三楽章の「若い王子と王女」は、何と言っても冒頭のヴァイオリン。何十人というヴァイオリン奏者たちが、一斉にD線(途中からG線)で奏でる旋律の甘くて切ない音色がたまらなくきれい。もちろん音楽的にも素晴らしく憧れに満ちた歌になっている。全体として歌の甘さと豊かさが堪能できる演奏だった。ちなみに最後に弦楽器奏者全員で弾いたピチカート、ふわっとやわらかく音が膨らんで、信じられないくらいきれいだった。

 終楽章は圧巻のクライマックス。かなり速めのテンポで音量も一気に解放。パッパーノは頻繁にテンポを変えるけど、これがいちいち格好良く決まる。ぐんぐん盛り上げて、最後の嵐の海での船の難破シーンは映像が目に見えるよう。そのあと急に静かになって、岩に小さな波がちゃぷちゃぷと打ち寄せ、ふと視線を上げると遠くで海が相変わらず大きくうねっている・・・そういうお話なのですよ、と突然シェエラザードのヴァイオリンソロが入ってきて、幻が消えるように目の前の映像がかき消える。そういえばこれは彼女の語る物語なんだった、と理解したところで演奏が終わり、シェエラザードの幻も消える。
 そう言えばこれはシェエラザードが物語を語るのを描写した音楽なんだった。


 今日の演奏を聴いていて発見したのは、パッパーノがただ音楽を豊かに歌わせるだけではなくて、緻密に構成を計算している点。最初の二つの楽章では、ここというところではしっかりと音を鳴らしつつも、絶対にクライマックスを盛り上げ切ってしまわない。聴いていて、あともう少しというところで音量を上げるのを止めてしまうので、音楽の流れは妨げられないけれどこちらは徐々に欲求不満が溜まってくる。しかし終楽章では一気に音楽をヒートアップさせて、聴き手はお釣りがくるくらいすっきりする。この構成力と表現力は、やっぱり彼のオペラ経験(パッパーノはロイヤルオペラの音楽監督)の賜物なのだろうか。


 僕にとっては、今日の演奏会が今年最後の演奏会だったけど、一年の締めくくりとしては、最高の演奏会だった。
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by voyager2art | 2010-12-16 09:54 | オーケストラ

演奏者の視点

 昨日の続編として楽譜のことについて書こうかと思っていたけれど、YouTubeで面白いビデオがあるのを思い出したので、今日はそれをご紹介。演奏家がどんなことを考えているかを知るのも面白い。

 YouTube上での企画で、YouTube Symphony Orchestraというものがある。楽器ごとに課題曲があって、応募者はそれを演奏したビデオをアップロードし、そのビデオ審査で通った人がこのオーケストラのメンバーに選ばれる。こうやってできたオーケストラをマイケル・ティルソン・トーマスが指揮して、演奏会を行う。
 このビデオオーディションに応募する人たちのために、これまたYouTube上で「マスタークラス」が開かれる。ベルリンフィルやロンドン交響楽団の奏者たちが、課題曲を解説付きで演奏して、注意点やコツなどを説明してくれるというものだ。これが、かなり面白い。
 説明は全部英語だけど、字幕もついているので分かりやすいと思う。

 僕が一番好きなのが、ベルリンフィルのホルン奏者であるイェツィールスキによるこのレッスン。「こう吹いちゃいけないよ」という悪い例と、「こう吹いた方がいいよ」という良い例の差がものすごく微妙で、彼らがいかに高い水準で演奏しているのかということがよく分かる。


 同じくベルリンフィルのオーボエ奏者のハルトマン。彼のモーツァルトもとても美しい。


 我らがロンドン交響楽団からは、先日のマーラーの5番でものすごいソロを聴かせてくれたフィリップ・コッブが出演。そのソロもあるけど、YouTubeだと実演のすごさはちょっと伝わってこないかな。


 同じくLSOの1stヴァイオリン、マクシン・クウォク・アダムス。こんな奏者ばかりだとLSOの弦楽器があんなに上手いのも当然か。


 LSOのチェロ首席のレベッカ・ジリヴァーはウィリアム・テルの序奏。


 LSOのパーカッション奏者、ネイル・パーシー。この人も本当に上手い。速いリズムに余裕を持つために、より速いテンポで練習してみるというのは確かによくやることだけど、スネアドラムの倍速は凄すぎる。


 検索すれば他にもいろいろな楽器のマスタークラスがあるので、ぜひ調べてみて下さい。
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by voyager2art | 2010-12-15 06:26 | 雑感

聴くことと演奏すること

 楽器を演奏することは音楽を聴く際にプラスになるか。
 たぶん、プラスのことが(とても)多いと僕は思う。ただ、マイナスになる部分も間違いなくあるし、場合によっては、差し引きでマイナスになることもあると思う。このことについてコメントを頂いたので、ちょっと考えてみることにした。

 楽器演奏経験があると、その楽器の技術的なことがよく分かるから演奏もより楽しめるだろう、という考え方は間違っていないと思う。歌い口のうまさや、音色・リズムの特徴などは、その楽器をやっていた人ならすぐに分かるし、合奏をやっていればアンサンブルの良し悪しなども分かってくる。
 弦楽器や管楽器をやっている人なら音程の良し悪しにもとても敏感になるに違いない。例えば、日本の横断歩道で、目の不自由な方たち向けに青信号で音がなるものがある。これが横断歩道の両端で同じ音を同じタイミングで流すタイプの場合は、自分がその横断歩道を実際に歩いていると、ドップラー効果のために前と後ろの音程が微妙にずれてくる。ごくごくわずかなずれなんだけど、これに気付くことがある。自転車に乗って渡ったりすると、音程のずれが大きくなって気持ち悪い。
 また、自分が演奏したことのある曲を聴く場合は、音楽の構造も聴かせどころも分かっているので、普通に聴くよりも遥かに集中して聴ける。これは間違いない。

 でも、じゃあ良いことばかりかと言うと、そうでもない。
 例えば僕はアマチュアオーケストラでチューバを吹いていた。上手か下手は別にして(というか、下手だったけど)、練習にはかなり打ち込んでいた。前にも書いたとおり、学生時代は演奏会を聴きにいくときには楽譜を買って予習し、自分でチューバパートを吹いてみたり、トロンボーン吹きをつかまえて一緒に吹いてみたりということもよくやった。
 その結果はどうだったかというと、演奏会でもチューバの音ばかり聴いて、全体をちゃんと聴けていないことがほとんど。ベルリンフィルやシカゴ交響楽団の演奏を聴いても、ダイナミックレンジの広さやアンサンブルの精度、音色の美しさ、金管楽器が音を外さないことなど、技術的なことばかりに耳がいってしまい、肝心の演奏内容は二の次だった。半ば職業病のようなものだった。

 それから多分、もっと深刻なケースとしては、楽器を一所懸命に練習するうちに、なかなか上達しないことに追いつめられてきて、音楽を楽しめなくなってくることもある。僕が初めて大学オーケストラの演奏会に出たときがまさにそうだった。うまく演奏したいし周りからのプラッシャーも強いのに、いくら練習しても先が見えず、そのうちストレスで何も食べられなくなった。好きでやっているはずの音楽で、なぜこんなに苦しむのだろうかと何度も考えた。とても厳しいことで有名な団体だったので、その後も程度は軽くなったものの、退団するまで何年もずっとプレッシャーに耐えていた。
 そんな状態で音楽を聴いても、純粋に楽しむのはなかなか難しい。

 そういうことはあるけれど、僕自身は個人的に、やっぱり楽器をやっていて良かったと思う。それを一番実感するのは、自分が演奏したことのある曲を聴くときで、何度も同じ曲を繰り返し練習していると、自分の中でその曲のイメージや表現が固まってくる。そんなときにプロの実演を聴きにいくと(あるいは録音を聴いたときでも)、必ずと言っていいほど全体の構成も細部の表現も違っている。僕にとってその違いは、自分の世界を拡げるための、とても大切なきっかけだ。そこから新たに、その音楽の別の側面を発見し、曲に対する理解が深まっていく。

 また、楽器をやっていると「音を聴く技術」とでも言うべきものが身に付いてくる。例えばオーケストラで演奏しているときに、奏者は自分の楽譜を見てその楽譜を間違わずに演奏することだけを考えているのではない。指揮者の指示に従いながら、周りの奏者たちとタイミング、音色、音程、音量などをとても細かく合わせている。
 例えば僕がチューバを吹くときは、隣にいるトロンボーン奏者たちの呼吸とタイミングを合わせつつ、少し離れた場所にいるコントラバスの人たちの動きも見て、ファゴットと合わせるときはそっちを意識する。かつて、マーラーの復活を演奏したときには、ティンパニの音に意識を集中するあまり、自分の後ろの列にいて見えないはずのティンパニ奏者の動きが見えた気がしたこともあった。
 自分の楽譜を演奏しながら他のプレイヤーの音を聴くというのは、実際にやってみると結構大変で、たくさんの音を聴き分けるいい訓練になる。オーケストラではなくてピアノの場合でも、ちょっと複雑な曲になるとすぐに3声や4声になるので、そういう複数のパートの弾き分けの練習をしていると、同じようにたくさんのパートを聴き分けられるようになる。(そして同時に、グールドの対位法の演奏がいかにすごいかがわかってくるようになる。)

 最近の僕は、こういうメリットを享受しながら、ときどきチューバの音を聴いてその上手さにマニアックに感心して喜んだりと、いいとこ取りで楽しむことにしている。


 ここまで読んで頂いた方の中には、じゃあ楽器をやっていないと音楽が深く理解できないのか、と思う方がいらっしゃるかも知れない。僕はそんなことはないと思う。
 例えば、他人の演奏を聴いて自分との違いを感じるという点。これを、自分で楽器を演奏せずに代替するのはとても簡単。一つの録音を、体に染み込むまで何度も何度も、ほんとに何度も聴き返せばいい。一ヶ月間ひとつの録音ばかり聴いて、そのあと急に別の演奏家による同じ曲の演奏を聴いたら、誰でも同じことが体験できる。何度も同じ演奏を聴くときに、浮気さえせずに一つの演奏をしつこく聴き続ければ、他の演奏を聴いたときに構成・表現・テンポ・リズム・音色・音量などなど、驚くほど明確に違いが分かるだろう。これは音楽の判断基準を自分の中に作るという作業なので、本気でクラシック音楽を聴こうとするなら一度はやってみる価値があると思う。

 次の、たくさんの音を一度に聴く技術。これも、楽器を演奏しなくても身に付けられるんじゃないかと思う。どうやるかというと、楽譜を見ながら音楽を聴けば良いのだ。普通に音楽を聴くときは、たいていは聴こえてくる旋律を耳で追っているけれど、そのときに主旋律以外にどういう音があるか、ということを意識しながら聴けば、音楽をより立体的に聴けるようになってくる。
 例えばベースラインがどういうことをしているか、自分でも楽譜を読んで歌いながら演奏を聴いたりすると、より理解は深まるし、そこまでしなくても、楽譜だと他のパートの動きが視覚的に目に飛び込んでくるので、より主旋律以外のパートに目が向きやすい。そして不思議なことに、目がそちらを向くと耳もそっちを向いてくれて、今まで聴こえなかった音が聴こえるようになってくる。これを繰り返していれば、表面的に聴こえる音以外の音にも注意が向くようになってくるはずだ。

 この楽譜を読むということについては、書き始めるとまた長くなるので、稿を改めてまた後日書くことにします。
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by voyager2art | 2010-12-14 07:35 | 雑感

バリショーエでハラショー/ラザレフ & シュミット & フィルハーモニア

Alexander Lazarev (Conductor)
Benjamin Schmid (Violin)

Prokofiev: Suite, Lieutenant Kijé
Mendelssohn: Violin Concerto in E minor
(Interval)
Tchaikovsky: Suite, The Nutcracker (excerpts by Lazarev)

2010年12月12日(日) 15:00 -
The Royal Festival Hall, Southbank Centre, London


 今日コンサートに行こうと思って、鞄の中のチケットを確認すると、あれ? ない。今年行くコンサートのチケットは全て鞄の中に、日付順に並べて入れておいたはずなのに。もしかしてチケットを買ったつもりで買っていなかったのかも(買ったチケットの数が多すぎて正確に覚えてないのだ)と思ったけど、とりあえず鞄に入れていないチケットの束を調べてみてようやく発見。確認してよかった。
 ちなみになぜこういうことが発生したかというと、ロンドンでは同じオーケストラの演奏会のチケットをまとめ買いすると割引があるから。来年フィルハーモニアがやるマーラーサイクルのチケットをまとめ買いしたときに、あと一枚買えば割引率が上がる、というところで今日のコンサートのチケットを追加した。そのチケットが届いたときに、鞄に移し忘れていたのが原因だった。危ない危ない。


 今日の演奏会は日曜日のマチネー(昼公演)で、曲目もくるみ割り人形とあって、子供連れのお客さんが多かった。子供はやっぱり元気で、マフラーで縄跳びをしたり、遊び回っている。いつもと違う明るい雰囲気で演奏会が始まった。
 最初のキージェ中尉は、いままでちゃんと聴いたことがなかったけれど、いざ曲が始まると知っているメロディーが結構出てくる。ああこの曲か、という感じ。コミカルで楽しかったけれど、演奏としてはやや雑さが残っていた感じ。曲想が頻繁に変わってテンポが変化するところでアンサンブルがやや乱れる。それでも、きちんと曲想の変化はついていたので、出だしとしてはなかなか良い。

 続くメンデルスゾーンの協奏曲。この曲は中学生の頃、初めて買ってもらった3枚のCDの中に入っていた曲で、他にCDがなかったので何度も何度も、本当にしつこく繰り返し聴いた。そういう意味で思い入れのある曲で、実演で聴くのは恐らく10年ぶりくらいなので楽しみにしていた。
 ところが実際に演奏が始まると、ソロヴァイオリンは音の線が細く、音程もかなり不安定。しかも節回しがぎこちなくて不自然。一気にこちらの気が抜けて、そのまま夢の世界に落ちてしまった。最近ちょっと陥落しすぎだ。
 ちょっとだけ起きていたときに聴いた限りでは、節回しの方は後になるとかなり良くなっていた気がする。ただし音色と音程はそのままで、僕はシュミットの演奏にはあまり感心しなかった。

 休憩を挟んでくるみ割り人形。会場のウェブサイトでは特に注釈もなく組曲とあったので、例の組曲かと思っていたら、当日会場で掲示されていた曲目リストにはラザレフによる抜粋版とある。僕は以前も書いたとおり、通常の組曲に含まれない曲の中に好きな曲がたくさんあるので、これは期待が膨らんだ。

 演奏は、いきなりクリスマスパーティーが終わるところから始まる。さすがに小序曲や行進曲くらいはやるだろうと思っていたので意表を突かれた。でも、ここから開始ということは、と思っていると案の定、僕の大好きな、クララの体が小さくなっていく場面の音楽をちゃんとやってくれる。ところが演奏の方がちょっとおとなしい。ラザレフは極端なくらいにオーケストラを煽って歌わせようとしているのに、オーケストラの方がちょっと大人しくてついていけない感じ。

 ただ、その後のネズミ部隊との戦いの辺りからオーケストラもラザレフの指揮に応え始めた。僕はくるみ割り人形をロイヤルバレエでしか観たことがないけれど、この場面はロイヤルバレエでは子供向けのお伽噺らしく可愛らしい演出になっているのに対して、ラザレフの演奏はもっと激しい肉弾戦。さすがに北斗の拳のようなことはないとしても、かなり生々しい戦いの描写だった。続く「冬の松林」あたりからはオーケストラも本当に乗ってきた。たっぷりと音を鳴らして、もはや優雅さや洗練を失うことを恐れず、ドラマティックで激しい演奏。ロシア人指揮者によるチャイコフスキーというステレオタイプそのまんまの演奏で、それがまた聴いていて気持ちいい。

 第一幕の最後まで演奏したら、拍手する暇を与えずに第2幕のパ・ドゥ・ドゥを開始。通常の組曲で演奏される曲を、「こんぺい糖の精の踊り」以外全部すっ飛ばした。このパ・ドゥ・ドゥも激烈で力感たっぷりの演奏。これでバレエを踊ったらどんな舞台になるんだろう? 弦も管も打楽器も、みんなそれまでより一段以上音量が上がり、ラザレフもそこをどんどん押す。タランテラの直前の、ものすごい音量のティンパニはちょっと見ものだった。勝手に奏者の気持ちを代弁すると、「物理的には不可能な音量じゃないけど音色がきたないからやりたくないし、でも指揮者がどうしてもやれって言うから、もうやけくそ」というところじゃないかと想像する。
 こんぺい糖の精の踊りは今まで聴いたことのないような遅さだったけど、これもラザレフ流のバランスの取り方なんだろう。その後はコーダから終曲にかけて、ぐいぐい怒濤の進撃。煽りに煽って、普段は大人しい演奏の多いフィルハーモニアも今日ばかりは古き良きロシアのグランドスタイル。ちなみに最後の音では、ラザレフはオーケストラではなく客席の方を向いて棒を振り終えた。このときばかりではなく、この人は演奏中に何度も客席に向かってジェスチャーをやっていた。かなりのエンターテイナー。

 今日のような「古い」スタイルの演奏でも、ここまで魅力的にやられると、これはこれで完成された形だなあと思う。何よりラザレフはこのくるみ割り人形の音楽を本当に良く知っていて、それは組曲の選曲だけでもよくわかるし、演奏でもどこを盛り上げたら説得力が出るのかも完全に把握して、その通りにオーケストラをコントロールしていた。100人の指揮者が100人ともこんな演奏をしたのでは聴く方もたまらないけど、たまにこういうのを聴くと本当に面白かった。
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by voyager2art | 2010-12-13 05:26 | オーケストラ


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