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ゆく河の流れは絶えずして/マウリツィオ・ポリーニ ピアノリサイタル

 ずっと楽しみにしていたポリーニのリサイタル。演目はバッハの平均律クラヴィーア曲集の第1巻全曲。ポリーニは今年、ロンドンで「ポリーニ・プロジェクト」と銘打って5回の演奏会を開く。今日はその第1回。
 実は今日、バービカンセンターでデュダメル指揮のロサンジェルスフィルによるマーラーの9番の演奏会も開かれた。マーラーの9番は本当に好きでたまらない曲で、デュダメルも以前からずっと聴いてみたいと思っていた指揮者なのだけれど、ポリーニは僕にとって誰よりも好きなピアニストで、その彼が僕の大好きなバッハの平均律を弾くとなれば、やはり聴き逃すわけにはいかない。


Maurizio Pollini (Piano)

Johann Sebastian Bach: The Well-Tempered Klavier, Book 1

27th Jan, 2011 (Fri)
Royal Festival Hall, Southbank Centre, London


 ポリーニは昨年、二度聴いた。一度はショパンばかりのリサイタルで、もう一つはロンドン交響楽団と共演してのブラームスの第一協奏曲。ここ数年の彼は好・不調の波が大きく、実際昨年のリサイタルは素晴らしかったけどブラームスは終楽章以外は非常に不安定で、彼の老いを感じずにはいられなかった。今日のバッハはどうなのだろうか。

 舞台に現れたポリーニは相変わらずというか、実年齢よりもだいぶ歳を取って見える。楽譜を持った譜めくり係の男性も一緒に登場。この曲集を全曲暗譜で演奏というのはいくら何でも無茶だと思うので、これはこちらも安心感を覚える。

 最初のハ長調の前奏曲は、最近の録音と同様に淡々と開始。速めのテンポでほとんど強弱の差をつけず、一直線に音楽の核心に迫ろうとするスタイル。若干音の粒が揃わないところもあったけれど、何となく調子は良さそうなのではないか、という印象で始まった。
 続く4声のフーガは、明るい曲想で短いけれど実はかなり複雑な対位法で構成されている。ポリーニのCDではこの4つの声部がきちんと分離せず、特に内声部はほとんど聴き取れない。僕はこの点について、実演で彼の演奏を確認することをとても楽しみにしていた。

 ポリーニは例えばベートーヴェンやショパンを弾くときに、複数の声部が不協和音でぶつかるときでも、どちらかの声部を弱めたり音色を変えることで音の衝突を避けるということをしない。どちらの声部も彼特有のよく響く明るい音で鳴らし切り、平気で不協和音をぶつける。でもどちらの声部も充実した音で歌っているので、音がぶつかってもきちんと二つの独立したパートとして聴こえてくるのだ。
 このハ長調の4声のフーガでも、きっと同じなのではないかとずっと思っていた。そして、録音が悪いか僕の再生装置が悪いかのどちらかだろうという予想は、やはり正しかった。コンサート冒頭の演奏だったので彼の音は充分に鳴り切ってはいなかったけれど、彼が各声部をきちんと歌わせていることは明瞭に聴き取れた。

 最初の数曲はどこかぎこちないようなところも感じたけれど、4曲目(この稿では前奏曲とフーガをまとめて1曲とカウントする)の嬰ハ短調のフーガあたりからぐっと音楽の密度が上がった気がした。このフーガは、平均律第1巻に2曲しかない5声のフーガの一つ(ちなみに残りは2声のフーガが1つあるだけで、あとは全部3声か4声)。この曲集の中でも屈指の傑作と僕は思っていて、冒頭に提示される主題と、途中で新たに提示される別の主題による二重フーガとなっている。この二つの主題の緊密で絶妙な絡み合いと、そこから生まれる音楽の深さは尋常ではない。

 ポリーニもこの曲にはかなり気合いが入ったようで、音と響きのコントロールがぐっと良くなった。ポリーニはことさらに強弱や音色の変化をつけず、フーガの二番目の主題が現れるたびにそれを強めに弾くほかは、全てのパートをほぼ均等に鳴らす。その着実に流れ続ける音楽から放射される密度の高い緊張感と感銘は相当なもので、この演奏は本当に良かった。


 この後も、本当に厳しい演奏がずっと続く。嬰ハ短調のフーガの次にくるニ長調の前奏曲は、明るい曲想が前のフーガと対照的なので、普通はここで聴き手はホッとする。ところがポリーニで聴くと、これがまたとても厳しい演奏で、全然気分転換にならない。弾く曲弾く曲みんなそんな感じで、聴いていてもいつの間にか奥歯をぐっと噛み締め、全身に力が入ってしまっている。だから、例えば7曲目(変ホ長調)の前奏曲の、トッカータ風の走句が終わった後の、宙を漂うような音楽も、ゆったりと静かに流れているはずの音楽なのに、その静かな音楽が例えようもなく厳しく、その後音楽が動きを増すにつれて更に密度を高め、最後は圧倒的な圧力を持った音楽になる。
 また、続く8曲目(変ホ短調)の前奏曲も、静かで瞑想的な音楽では全くなく、ただならぬ緊張感を伴った演奏で、さらに続くフーガも輪をかけて厳しいのに、9曲目(ホ長調)の前奏曲がまた通常のように単純に明るく演奏されないので、もうこっちは彼の演奏に圧倒されっぱなし。


 僕はこれらの演奏を聴いていて、ポリーニがバッハと直接に対話をしているように思えた。二人の偉大な音楽家が、300年の時を超えて、楽譜を通して真剣勝負で向かい合っている。グールドとバッハの対話のときは、彼らの中の豊かで知的な詩情が響き合った。エドウィン・フィッシャーのときには、彼らの中の人間的な暖かさが触れ合った。今日のポリーニとバッハの対話では、彼らの中の厳しさが共鳴し合い、とてつもない圧力でこちらに迫ってくる。
 僕は今回、クワイア席(舞台後方を取り囲む場所にある席)の、ポリーニの正面の側に座ったのだけれど、彼はどの曲を弾く時も、本当に厳しい表情を崩さなかった。

 この時点で既にすごい演奏だと思っていたけれど、ここからまだ奥があった。10曲目(ホ短調)の前奏曲が終わると、ポリーニが譜めくりを待たずにフーガをいきなり猛然と弾き始めた。突然予想外のところから火の柱が吹き上がったような衝撃で、彼の音楽がまた一回り大きくなる。とんでもない勢いと圧力でこのフーガを一気に弾き終えると、ここからは彼の演奏がいよいよ自由になってくる。
 パート間の音量と音色のコントロールも格段に冴えてきて、上声、中声、下声のどこに主題が現れても、極めてクリアに浮き上がってくる。しっかり響き切った音の美しさは本当に一級品。また、演奏の厳しさの土台はそのままに、音楽に本来の歌を歌わせる余裕が生まれ、会場を覆い尽くすような巨大な音楽が構築されていく。音楽がどこまでも無限に広がって行くような感覚に酔った。


 演奏の印象が余りに強かったので、前半の12曲が終わっても休憩時間にうまく頭と気持ちをリフレッシュできなかった。前半の気分をかなり引きずったまま、後半開始。
 ポリーニの集中力は全く途切れておらず、後半の演奏も前半の最後のスタイルの演奏が続いた。15曲目(ト長調)の前奏曲なども明るくて活発というよりも激しい演奏で、一方16曲目(ト短調)の前奏曲などは、まるで月明かりに照らされた無人の野の夜の川を、黒々とした水が途切れることなく流れ続けているような、底光りのするような強い静けさが印象的だった。この演奏を聴いていて、僕は金子光晴のマレー蘭印紀行を思い出した。

 その後は、曲自体を自然に歌わせるような演奏がしばらく続いたけれど、20曲目(イ短調)の前奏曲からまた激しさが戻る。続く4声のフーガは、4つの声部でほとんど休みなく細かい音符を弾き続ける曲なのだけれど、かなり長く続くこの音の森をポリーニは凄まじい圧力で驀進する。
 一方で、22曲目(変ロ短調)の演奏をどう評したらいいのだろう? ここに聴かれるのは悲しみとか孤独といった単純な感傷ではない。表面上は静かだけれど力強く純粋で、極めて充実した音楽でありながら、現状に決して安住しない。本質的にやはり厳しい演奏で、この無類の厳しさはポリーニが彼のキャリアを通して自分自身に向け続けてきたものだ。
 同じ変ロ短調のフーガは、この曲集のもう一つの5声のフーガ。あちこちに主題が現れたときの彼の主題を弾く音色の厳しくも美しいこと! 嬰ハ短調の5声のフーガに比べると音楽の構成としては単純だけれど、表現の深さはこれに全く引けを取らない。そしてポリーニの演奏も、やはり厳しさと深さの高次元での結合となる。

 このフーガに続く可憐なロ長調の前奏曲(23曲目)も、ポリーニの手にかかると、その愛らしさの奥にもう一段の深みを持っていることが明らかになる。ただし続くフーガはテンポが随分と前のめりになってちょっと不安定な印象なのが残念だった。
 しかし、その後の24曲目、つまり第1巻最後の曲は、やはりポリーニの渾身の演奏だった。最初の前奏曲は、やや長めのノンレガートの伴奏に乗って、右手の2声の音楽が豊かに歌う。これは右手一本で弾いているとはちょっと信じられないほどの素晴らしい歌い口で、淡々と進みつつも完璧なバランスで歌い合い、絡み合って、この曲の崇高さを際立たせる。
 そして最後のフーガ。現代音楽に近いような半音階と不協和音を含むこの曲を、ポリーニは正にポリーニ節で弾き通す。このフーガに頻繁に現れる、二度音程の衝突を、彼はむしろアクセントを付けて強調し、これによって強烈な緊張感を生み出す。バッハの音楽の深さと高さを、ある面から完全に表出し切った演奏だった。



 ポリーニは老いた、という声はここ数年非常に多い。僕も昨年6月のブラームスの協奏曲を聴いてそう思った。でも、今日の演奏を聴いて、彼の音楽の本質的な部分は相変わらず極めてラディカルで、非常に厳しくて知的に熱いものであることが明確に理解できた。彼の指は確かに老いたけれど、彼の精神は今も若いときのままだ。昔のポリーニからは考えられないような技術的なミスは散見されたけれど、それはあくまでも副次的な話であって、厳しく激しく巨大な彼の音楽は今も音楽の世界の最前線を走っている。
 今回のポリーニプロジェクトの、残りの演奏会が本当に楽しみになってきた。


※追記

ポリーニが使っていた楽譜はベーレンライター版。僕が持っている楽譜と同じ表紙だったのでちょっとびっくり。
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by voyager2art | 2011-01-29 10:29 | ピアノ

希薄で濃厚な関係/ブロンフマン & サロネン & フィルハーモニア管

 久しぶりのコンサートでオール・バルトーク・プログラム。先日のロンドン交響楽団の演奏会のレビューで、実はR.シュトラウスが長く苦手だったということを書いたけれど、バルトークもシュトラウスと並ぶ苦手の筆頭だった。
 学生時代に、所属していた大学のオーケストラがバルトークの舞踏組曲を演奏したことがあった。僕は当時はまだ舞台に乗せてもらえず、裏方をやりながら何ヶ月も練習を聴いていたけど、最後までよく分からなかった。その後次第に面白さが分かってきたシュトラウスとは対照的に、バルトークは今でも勘所がつかめずにいる。

 そんなバルトークの中でも、例外的に好んで聴くのが3曲のピアノ協奏曲。といっても、手持ちの録音はポリーニによる1番&2番と、アルゲリッチによる3番のみ。1番は難解な曲だけれど、ポリーニの極めて硬派で鋭角的な演奏が好きで、自分の気持ちを奮い立たせたいときによく聴いている曲。その1番が演奏されるというので、この演奏会の切符を買った。


Bartók: Kossuth
Bartók: Piano Concerto No.1
(Interval)
Bartók: The Miraculous Mandarin, Op.19

Yefim Bronfman (Piano)
Esa-Pekka Salonen (Conductor)
Philharmonia Voices
Philharmonia Orchestra

27th Jan 2011(Thu)
Royal Festival Hall, Southbank Centre, London


 最初のコシュートは初めて聴く曲。バルトークがブダペストの音楽アカデミーを卒業する際に作曲したものらしい。ハンガリーの独立のために尽力した(ただし独立は果たせなかった)国民的英雄のコシュートを題材にした曲で、バルトークが当時傾倒していたシュトラウスの「英雄の生涯」の影響を強く受けた作品、とパンフでは説明されていた。
 実際に演奏を聴いてみると、初期の作品だけあって旋律的で、後年の先鋭的な抽象はまだはっきりと姿を現してはいない。若い頃の作品としては完成度が高いと思うけれど、演奏を聴いていて、どこかバランスが取れ過ぎていて、表現の振幅が常に一定という印象だった。ただし、僕はこの曲を全く知らないので、これが曲によるものか演奏によるものかはよく分からない。
 サロネンの指揮するフィルハーモニア管は、いつものようにバランスの良いきれいな音色で質の高い演奏をしていた。

 続くピアノ協奏曲。ブロンフマンは随分と恰幅の良い人で、サロネンが小柄なのでより大きく見える。どっしりと腰を下ろして、演奏開始。
 演奏される音楽を聴いて、正直な感想を言うと戸惑った。ポリーニの録音しか聴いたことがなかったので、それとはだいぶ違う演奏に、自分の波長をすぐに合わせられなかった。ブロンフマンが下手というのではない。彼の演奏は本当に見事で、細かい音符はもちろん完璧に弾いているし、芯のあるしっかりした音色で力感もたっぷりある。彼の演奏には歌心も存分にあって、リズムの精度を多少犠牲にしてでも、歌としての表現に重点を置いているようだった。しかし、それが僕の戸惑いの原因にもなった。

 バルトークの音楽で僕がわからないのは、抽象と具象のバランスなのかもしれないと、この演奏を聴いていて考えた。情感たっぷりに弾くには、この曲は抽象度が高すぎる。しかし抽象的な音楽であると同時に、東欧の土着の香りも感じる。彼がハンガリー民謡を採集していたことは知っているので、このこと自体は別に不思議でもなんでもない。しかし土の香りがあるはといってもやはり抽象的な音楽なので、この曲を演奏するときに情熱的な演奏をされても、その情熱がいったいどこに向けられたものなのかが僕には見えない。そこに混乱の元があるような気がする。
 何度も例を出して恐縮だけど、ポリーニの演奏ではこの曲の抽象的な側面を極限まで突き詰めていて、爆発的な迫力があるけれど、それは情熱の発露ではなく、知的な圧力の高まりによるものなので聴いていても違和感が無いのだ。

 繰り返すけれどブロンフマンの演奏は素晴らしかったと思う。ただ、僕の方にバルトークの音楽を柔軟に受け入れる準備ができていなかった。バルトークの音楽を理解する、何か一つの鍵が自分の中に抜けている感じ。ものすごくもどかしい。


 休憩を挟んで中国の不思議な役人。これも初めて聴く。曲名は聞いたことがあったけど、これがパントマイムのために書かれたことや、合唱が入ることなどは知らなかった。この日の演奏では、ストーリーを説明する文章が都度プロジェクターで表示された。
 この文章のおかげもあって、この曲は非常に楽しめた。この音楽が100年近くも前に作曲されたというのが僕にはかなりの驚きで、不協和音の使い方が極めて洗練されている。そのため、現代のニューヨークといっても通じる現代性がある音楽になっている。もちろんそこにはサロネンの音楽作りやフィルハーモニア管の優れた演奏技術も寄与しているのだろうけれど。


 僕が面白いと思ったのは、この音楽に大都市における人間関係が極めて象徴的に描かれている点。全く異なる背景と意図を持つ見知らぬ人間同士が、あるとき突然ある場所で交錯する。そこで起こるやりとりは、利己的であったり残忍であったり純情であったりして、奇妙で滑稽でグロテスクな描写でありながら、実に人間臭い。この人間臭さは都会的な現代アートと同質のもので、例えばナン・ゴルディンの写真を僕は思い出す。
 この日の演奏を聴いていて、「近代化」という概念と「都市化」という概念が同義ではないことに気付いた。100年前にも都会は既にあったし、ネオンが灯っていても田舎は田舎なのだ。

 繰り返しになるけど、僕はバルトークが苦手で、しかもこの曲を聴くのが初めてなので、これが本質的にバルトークの音楽によるものなのか、サロネンの解釈によるものなのかがはっきりしない。


 この演奏会については、サロネンとフィルハーモニア管の演奏の素晴らしさも印象的だった。いつもは良くも悪くも優等生的な演奏が多いフィルハーモニア管が、サロネンの指揮の下で普段より一段熱い演奏をしていた。

 フィルハーモニア管は、僕がよく聴くロンドンのオーケストラの中では最も常任指揮者の公演が少ない。ロイヤルフィルはほとんど聴くことがないのでよく知らないけれど、ゲルギエフ、ユロフスキ、ビエロフラーヴェクはそれぞれロンドン交響楽団、ロンドンフィル、BBC響に頻繁に登場する。特にユロフスキとロンドンフィルのコンビは最近急速に実力を付けてきている印象があって、やはり常任指揮者とオーケストラの関係というのは極めて重要なのだと認識を新たにしている。

 そういう点から見て、フィルハーモニア管もサロネンがもっと多く振るようになると、きっともっとエキサイティングなオーケストラになるに違いないし、それによってロンドンの音楽界が一層活発になるといいのにと思う。
 そうなると、今よりもっと演奏会選びが大変にもなるのだけれど。
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by voyager2art | 2011-01-28 09:18 | オーケストラ

番外編:パリ便り(その2)

 日曜日の朝は、友人に教えてもらった、宿の近くのマルシェ(朝市)へ行ってみた。いろいろ並んでいる食材の中でも、牡蠣好きの僕はどうしても目が牡蠣に釘付けになってしまう。でも友人曰く、「パリは魚介より肉。」

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 ここでクロワッサンと簡単なお惣菜を買って朝ご飯にした。シンプルだけど美味しい!

 雨の振っていた土曜日とは打って変わって、日曜日は天気がよかったので、ご飯を済ませたら凱旋門を通って、エッフェル塔へと向かった。

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 エッフェル塔は凱旋門からも見えていたけど、近くで見るとやっぱり高い!
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 塔の脇をセーヌ河が流れている。

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 その後は再び友人と落ち合って、ノートルダム寺院へ行ってみた。日曜日だったので中ではミサが執り行われていた。

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 残念ながらこの頃からまた空が曇ってきた。それでもパリはとてもきれい。

 その後はセーヌ河畔を歩いてルーブル美術館まで行った。途中でポン・ヌフの横を通る。地図を見ていると、セーヌ河に掛かる橋に全て「ポン・〜」と書かれていたので、その友人に「ポンって橋?」と訊いてみると、そうだとのこと。「ポン・ヌフは新橋という意味」と教えてくれた友人、その自分の説明に、「『ポンヌフの恋人』と『新橋の恋人』じゃイメージが全然違うー!」と叫んでいた。
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 ルーブル美術館は入り口のピラミッドを見たところで時間切れ。ロンドンに戻る時間が来てしまった。
 短い滞在だったけど、あっという間にパリに惚れ込んでしまった僕。また来よう。

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by voyager2art | 2011-01-25 08:32 | 旅行記

番外編:パリ便り(その1)

 ちょっと音楽の話はお休み。金曜日は仕事が終わってからヒースローへ直行し、今はパリへ来ています。クリスマス休暇のベトナム旅行からイギリスに帰ってきて、何となく旅行気分が抜けないまま、またどこかに行きたいなーと思っていたときに、航空券の値段を調べているとエールフランスのパリ往復のキャンペーンを発見。往復で何と89ポンド、日本円で1万2千円くらいです。
 すぐにパリ在住の友人に連絡を取り、この週末にパリにいることを確認。週末パリ旅行を決めました。ちなみにロンドンに2年半ほど住んでいるのに、実はパリに来るのは初めて。とーっても近い街なのに、怠け者の僕。

 金曜日の夜は真夜中頃にホテルに到着。この日はそのまま寝るだけ。そして翌朝は起きたら10時・・・ いきなりスタートダッシュに失敗しましたが、とりあえず凱旋門からシャンゼリゼ通りをぶらぶらと歩いてみました。
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 同じヨーロッパと言っても、パリはロンドンとは全く雰囲気が違います。歴史的な経緯もあってアフリカ系の人たちが多いというのは大きな違いです。そしてまた、非常に漠然とした印象ですが、パリはやはり大陸ヨーロッパだなと思います。仕事でベルギーには何度か行ったことがあり、ベルギーでも同じ印象を持ちました。何が違うと言われてもうまく説明できないのですが・・・
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 お昼頃に友人と落ち合ってランチです。シーフードのお店に連れて行ってもらいましたが、おいしい~~~~!! ちょっと海を渡っただけでこの違い。
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 おいしい昼食と楽しいお喋りを満喫した後は、ポンピドゥーセンターの近代美術館へ。今回のパリ訪問で、友人との再会に次いで楽しみにしていたのがこれでした。
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 いちいち写真を撮ることはしませんでしたが、ここはイマジネーションの飛翔の宝庫でとても面白かったです。ただ、個人的にはピカソやモディリアーニ、カンディンスキーなどは、もう現代アートではなく古典に分類した方がいいように思います。
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 一日中歩き回ってちょっと疲れましたが、やはりパリは魅力的な街でした。言葉が話せて、どこに何があるか分かってくると、きっと本当に楽しい街なんだろうなと思います。

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by voyager2art | 2011-01-23 05:52 | 旅行記

楽譜を眺めてみる(その4)~ ウォーリーを探せ

 前回はたくさんの旋律が同時に演奏される例を見てみたけれど、今回は一つの旋律を何度も使う例を見てみる。
 最初はピアノから。ショパンの有名な別れの曲をリヒテルの演奏で聴いてみる。



 この曲の楽譜の、最初のページ(画像をクリックで拡大)。全曲の楽譜はこちら
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 この曲に現れる二つの旋律に注目する。
 まずはこれ。




 伴奏を省くとこうなる。




 次はこれ。



 これも伴奏を省き、さらに旋律の形を上下逆さにしてみる。




 この二つの旋律を使ってショパンは次の曲を作った。




 楽譜はこれ。
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 これはショパンの練習曲集作品10の4番。つまり、別れの曲(作品10の3番)の次の曲。この二曲は、同じ主題を使って作曲された双子、あるいは一つのものの二つの側面ということになる。
 これが偶然や僕のこじつけでないことは、ショパン自身が別れの曲の楽譜の最後に"Attacca il presto con fuoco"、つまり「次のプレスト・コン・フォーコ(作品10-4のこと)に切れ目なく続けるように」と指示を書き込んだことから明瞭に分かる。この書き込みは出版に際して削除され、今でもほとんどの版では削除されたままになっているけれど、僕が持っているヘンレ原典版の楽譜ではこの指示が残されている。
 ショパンはただ甘美な曲を書いただけの作曲家ではなくて、こういう構成力の点でも飛び抜けたセンスを持つ人だった。


 この作品10-4をリヒテルの信じられないような凄まじい演奏で。





 このリヒテルとは対極的で、しかもたまらない魅力を湛えた演奏がこれ。ピアノの詩人、アルフレッド・コルトー。同じ曲から、こうも違った音楽が生み出されるとは!






 このような特定の少数の素材からの音楽作りということにかけて、真髄を極めた作曲家がブラームス。交響曲第2番を例にとる。かなり説明がしつこくなるけど、そういう曲だから仕方ない。これでもだいぶ簡略化しているので、あきらめて付き合って下さい。



 第1楽章の楽譜の最初のページ。全曲の楽譜はこちら

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 この最初の旋律がこの曲を理解する鍵になる。ここでは便宜上、主題1-aと主題1-bと名付けることにする。また、主題1-aと1-bを合わせて主題1と呼ぶことにする。


 この主題1は、あらゆる形で第1楽章に何度も何度も現れる。たとえばこれ。



 これは主題1-aの展開。



 1-aと1-bを重ねた例(音色の選び方が恣意的ですみません)。





 2楽章の詳細は割愛。今回は、冒頭のチェロの主題が下降音階になっていることだけを覚えておくことにする。これを主題2としておく。
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 3楽章の冒頭は再び主題1が戻ってくる。ただし、1-aの部分が上下逆になっている。これを主題3と名付けることにする。繰り返すけど、これは主題1の変形に過ぎない。
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 この主題3は、この楽章中で何度か形を変えて出てくる。

 次の部分は主題3と全く同じ音型で、リズムだけが違う。

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 こちらの例は主題3を上下逆にして、リズムを変えている。

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 第3楽章は、徹頭徹尾ひとつの主題だけから構成されているのだ。


 続く4楽章。冒頭のメロディーは、またしても主題1。
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 この最初の4つの音は、主題1の最初の4つの音と全く変わらない。そしてこの第4楽章には、もう想像がつくと思うけど、この主題1が繰り返し現れる。
 そしてそれと同時に、この4楽章の冒頭の旋律には、新たに4度(ドとファの間隔)の要素が加わっている。これを主題4と名付ける。
 また、第2楽章で現れた下降音階(主題2)も使われていることに注目。この楽章は、第1楽章で現れた主題1と、第2楽章で現れた主題2、そしてこの楽章で新たに加わった主題4で構成される。


 冒頭の旋律から主題4+主題2の部分と、その出現例二つを続けて。二つ目の例は、一つ目の例の上下を逆にしたものになっている。






 主題1の出現例を二つ続けて。一つ目は伴奏も主題1(ただし上下逆)。二つ目は主題2も加わった例。





 この曲で主題探しを始めるときりがないので、この辺りで切り上げることにするけれど、この曲がどう組み立てられているかはある程度伝わったのではないかと思う。興味のある人は楽譜を詳しく調べてみると、ここに書いていない部分にも大量に同様の例を見つけることができるだろう。ある旋律の上下を反転させた形にも注意すると、本当にいろいろと見つかる。この曲では、探さなくても初めからウォーリーしかいない。


 この曲はブラームスの田園交響曲などと呼ばれることもあって、牧歌的で明るい曲想が人気だけれど、楽譜を細かく見ていくと、その余りにも緻密で執念深い主題の展開に、むしろ息の詰るような構成の厳しさを感じずにはいられない。それでいて、この曲には人工的なにおいはなく、交響曲の名に恥じない(音楽としての)大きさを持っている。驚くべき作品だ。
 ブラームスはドヴォルザークが美しい旋律を次々に生み出すことを賞賛して、「彼の屑かごの旋律を使って一曲仕上げることができる」と評したというのは有名な話だけれど、これは一方で、彼自身がわずかな素材から堂々たる交響曲を一曲仕上げてしまえることの自信の裏返しのようにも僕には聞こえる。



 ブラームスの他にもこの手法を多用した作曲家はいる。ベートーヴェンもそうだし(ブラームスはベートーヴェンに倣ったところが大きいのだろうし、むしろベートーヴェンを本家と言うべきか)、意外なところではラフマニノフもそうだ。著作権が切れていないので楽譜の例は出せないけれど、彼の交響曲第2番も、冒頭の旋律だけで全曲が組立てられていると言っても過言ではない。


 個人的には、こういうことを知って何になる、という気がしないでもない。音楽の構造はあくまでも表現の手段であって、目的ではないと思うから。とはいえ、クラシック音楽には確かにこういう構造的な一面があるのも事実で、何よりもこういうことが分かってくると面白いのだ。
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by voyager2art | 2011-01-21 08:36 | 楽譜

楽譜を眺めてみる(その3)~ ひとりでできるもん

 前回に更に引き続いて対位法の話。ただし今日はオーケストラではなくピアノ。第1回でリズムの極端なマーラーの9番の例を採り上げたけど、ピアノだと一人の人間が10本の指で弾くという制約があるので(現代音楽だったら腕全体でたくさんの音を弾いたりもするけど)、さすがにああいう極端な対位法はピアノでは物理的に不可能になる。
 とはいえ、ピアノの世界でも数多の作曲家が多くの曲を書き、それらの作品にピアニストたちが挑んできた歴史がある。彼らの天才と努力と霊感が築き上げてきたピアノ音楽には、ときに信じられないほど高度な対位法を実現したものがある。


 最初の例はバッハ。対位法の音楽について話すときにバッハを外すことはできないだろう。もちろんバッハの時代には現代のピアノはなかったけれど、彼は少なくとも鍵盤楽器のためには作曲をしたのだし、その作品の多くは、多彩な音色のコントロールが可能な現代ピアノで演奏されたときに、その深い魅力をより明確に表す。

 対位法といえばバッハというのと同じように、バッハ演奏から切り離せないピアニストがグレン・グールド。彼が世を去ってもう30年近くになるけれど、いまだに彼の演奏は素晴らしい輝きを放ち続けている。その彼の代表作、ゴールトベルク変奏曲(1981年録音版)を採り上げてみる。今回選ぶのは、その中から第18変奏。
 楽譜はこれ(クリックで拡大)。全曲の楽譜はこちら
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 右手の二本の旋律は、一方の旋律を音程を変えて、2拍ずらしただけで形はまったく同じ。こういう形式をカノンと呼ぶ。これは6度(ドの音とその上のラの音の間隔)ずらしているので、6度のカノン。

 この、最初に出て来る旋律だけ取り出すとこうなる。これだけ聴くと平凡な旋律。


 これを6度ずらす。平凡なのは当然変わらない。


 この二つを合わせると、途端に面白くなってくる。


 伴奏を付けてできあがり!




 この曲のグールドの演奏はこちら。第18変奏は動画の0:58から。



 グールドはこの曲の前半部を繰り返したときに、パート間のバランスを変える。最初に弾いたときは左手の旋律を強調しているのに対し、繰り返したときには右手の最初に出てくる旋律を浮き立たせ、他のパートを後ろにまわす。この切り替わりの鮮やかなこと! 繰り返したときに左手の旋律の音色を変えて音量をぐっと落とすので、聴き手はちょっと意表を突かれるようなかたちになって、その美しさにぐっと引き込まれる。
 これに対して、後半部分をグールドは繰り返さない。繰り返さないけれど、この後半部をさらに前後半に分けて、その中で音色の差をつけている。この美的バランス感覚の絶妙な洗練が素晴らしい。

 また、右手のカノンは完璧なレガートで弾き、左手は鮮やかなノンレガートで弾く。ノンレガート奏法はグールドの代名詞のようになっていて、例えば上の動画の最初に出てくる第17変奏なんかは彼のノンレガートのすごさがよく分かる。ノンレガートなのによく歌い、しかもリズムは精緻を極めていて、気品のある生気と表現力にあふれている。第18変奏でいえば、カノン部と伴奏部の対比を作ることで音楽が立体的になり、表情の深みが増す。このレガートとノンレガートの対比は、上の動画の第19変奏などでもよくわかる。



 バッハの例をもう一つ。平均律クラヴィーア曲集第1巻から、一番最初の前奏曲。グノーが旋律をつけてアヴェ・マリアの歌にした、有名な曲だ。ここではリヒテルの演奏を採り上げる。


 楽譜はこちら
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 この曲は、ぱっと聴いただけだと、分散和音が繰り返されるだけの非常に単純な音楽のように聴こえる。でも楽譜をよく見てみると、実は3つのパートからできていることが分かる。

 バス声部。



 そこに内声部が乗る。退屈かも知れないけど、ちょっとだけ我慢我慢。



 更に上声の分散和音が乗る。




 これを踏まえて、もう一度リヒテルの演奏を聴くと、何か気付きませんか?


 リヒテルは、バス声部をわずかに強調気味に弾き、一方で内声部はくぐもった音色でかなり控え目に弾く。そしてその上に、静謐な上声部を重ねる。何よりこの演奏の素晴らしいのは、バス声部が全曲を通して、静かだけど非常に息の長い旋律として、極めて美しく歌っているところだと思う。まるでこんこんと涌き出し続ける泉の澄んだ水のように、純粋で透き通った音楽がひたすらに流れ続ける。ピアノによる対位法演奏の極致がここにある。



 対位法音楽が書かれたのは何もバロック時代だけではない。時代は飛んで19世紀後半のフランスから、ドビュッシーの作品を見てみる。「映像」第2集の1曲目、「葉ずえを渡る鐘(Cloches à travers les feuilles)」は、僕の大のお気に入りの曲。この曲の楽譜の最初のページを載せる(全曲の楽譜はこちら)。音楽が非常に複雑なので、ドビュッシーはここでは伝統的なピアノ用の二段譜ではなく三段譜を用いている。
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 最初の2小節間は単純ながら既に2声部で、続く3小節目から一気に4声部に増える。その後も複雑に入り組んだ楽譜が続く。
 ドビュッシーのピアノ曲を聴くとなると、やはりベネデッティ=ミケランジェリは外せない。繊細かつ鮮やかな音色と音響のコントロールは余人の追随を許さなかった。


 この曲の楽譜の4ページ目はこうなっている。
a0169844_6553847.jpg


 このページの3小節目からの、最上段のパート。3度で動く最上声部と、その下で細かく動く声部を右手で同時に弾かないといけない。こういうところは二つのパートをはっきりと分離させるのがとても難しい。でもミケランジェリはそれを見事にやってのける(動画は1:38から)。ここはYoutubeではなくて、CDを買ってちゃんとした再生装置で聴いたほうが分かりやすい。


 画質は悪いけど、ミケランジェリが同じ曲を弾いた動画もある。冒頭部分の二つのパートを弾き分けるために、彼がどうやって音色に差をつけているかがはっきりとわかる。これも正規のDVDが出ているので、興味のある人にはおすすめ。



 この多声部の弾き分けということについては、バッハで例に出したリヒテルも本当にすごい。同じ曲の彼の演奏。



 次回は少し別の話題にするつもりです。
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by voyager2art | 2011-01-19 07:12 | 楽譜

楽譜を眺めてみる(その2)~ 二兎を追うもの、三兎四兎を追う

 前回は導入編として、楽譜を見ていると様々なパートの動きが目に入るという話をした。気分が乗ってきたので、これをもう少し具体的に追ってみる。

 最初に使うのは、前回と同じワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第1幕への前奏曲。





 この中の、前回も例に出した愛の動機の部分を抜き出す。


 この旋律だけを取り出す。





 次に冒頭の部分。


 これも旋律だけを取り出して、音域を変えてみる。





 次に、親方の入場の動機。


 これはかなりコミカルに変えてみる。





 これを全部一度に鳴らす。




 これが最初の動画の6:53くらいからの部分(僕の作った音声ファイルは楽器の割当てが無茶苦茶なので、ぜひ最初の動画で確認を!)。3つの旋律を一度に鳴らして、ちゃんと音楽にしてしまうワーグナー。彼は対位法の達人だった。
 該当部分の楽譜を以下に添付(クリックで拡大表示)。全曲の楽譜はこちら

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 次の例は、同じくワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から第1幕への前奏曲。


 ワーグナーはマイスタージンガーでは3つの旋律を重ねたけど、トリスタンとイゾルデの前奏曲では実に4つの主要主題を重ねた。
 最初の主題は冒頭の、「愛の憧憬の主題」と呼ばれるもの。チェロの旋律と、木管楽器の旋律に分けて、木管楽器の旋律はトランペットに移す。




 トランペットの音がおかしいのは使っているソフトの制約なので、ご容赦を。

 序奏の後、チェロが奏でる主題。愛の動機とか、愛の魔酒の動機、などと呼ばれるもの。動画では1:53から。これをすこしデフォルメして木管楽器に移す。

 
 弦楽器による上昇音階は「法悦の主題」と呼ばれるものの一部。動画の6:07あたりから。



 これらを全部一緒にして、和音を添えると、この前奏曲のクライマックス部ができあがる。


 上の動画だと7:17あたりから(これもちゃんとした演奏で再確認して下さい)。これだけの主題を一度に鳴らしておきながら、音楽は人工的になるどころか、官能の嵐が吹き荒れる強烈なエクスタシーの表現になっている。ワーグナー自身「トリスタンとイゾルデ」を「奇跡だ」と評したというけれど、僕も本当にこれは奇跡的な音楽だと思う。こうやって音声ファイルを作っているだけで、もうワーグナーの毒が回ってくる。
 ちなみに「愛の死」についても、この楽譜シリーズでいつか採上げたいと思っている。

 これも楽譜を添付。僕の例は1枚目の4小節目から。全曲の楽譜はこちら(前奏曲のみの楽譜もある)。

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 まだまだ続きます。
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by voyager2art | 2011-01-18 06:33 | 楽譜

記憶の旅路/プレヴィン & ロンドン交響楽団

 今年最初のコンサートは年明け早々のロンドン交響楽団だったけど、時差ボケで演奏中ずっと寝ていたので、ロンドン交響楽団をまともに聴くのはこれが今年最初になる。御大プレヴィンの登場でバービカンセンターはいつになく人が多く、コーヒー一杯を買うのにも行列が長かった。

R. Strauss: Don Quixote
(Interval)
Vaughan Williams: Symphony No.5

Tim Hugh (Cello)
André Previn (Conductor)
London Symphony Orchestra

2011年1月16日(日)19:30 -
Barbican Centre, London


 最初の曲はシュトラウスのドン・キホーテ。実はこの曲は、僕の聴いてきた曲のリストからスッポリと抜け落ちている。シュトラウスには随分長い間苦手意識を持っていたので、このドン・キホーテだけでなくアルプス交響曲もちゃんと聴いたことがほとんどないし、家庭交響曲に至っては一度も聴いたことがない。それでも怠け癖は治らず、家にあったDVDを流したり(流すだけで、ちゃんと見ずにご飯を作ったりもしていた)、とりあえずWikipediaでドン・キホーテのあらすじを調べたり(ほとんど覚えていない)したものの、実際には予習をほとんどしないままの状態で会場に向かった。予習には楽譜を見よう、なんて偉そうなことを言いながら、実態はこんな体たらくですみません。

 何はともあれ演奏が始まる。ステージに現れたプレヴィンはものすごく小柄で、もう相当な年。家に帰って調べたら80歳を超えていた。でもロンドンの聴衆には絶大な人気があるようで、彼が登場しただけで会場が興奮していた。
 演奏が始まると、しかしそこはさすがのプレヴィン、簡潔な動きながら全く無駄がなく、的確な指示でオーケストラを完璧にコントロールする。この指揮は本当に演奏しやすいだろうというのが最初の感想。そしてそれに応えるオーケストラも相変わらずの上手さ。しかし何よりも讃えられるべきは、やはり弦楽器のソロだろう。

 チェロのソロを弾いたティム・ヒューはロンドン交響楽団の首席奏者。ヴァイオリンソロはコンサートマスターのシモヴィッチが弾いて、ヴィオラは首席のエドワード・ヴァンダースパー(多分)。この3人のソロはどれも本当にすごかった。もちろんソロとして弾いているのはチェロだけで、ヴァイオリンとヴィオラはオーケストラ奏者として弾いているんだけど、演奏の質ではいずれ劣らぬ名手の響宴。とにかく積極的な表現意欲が強烈で、しかもそれを完璧に音にする驚くべき技術の持ち主たち。

 そこから表現されるドン・キホーテの物語の説得力は素晴らしい。風車に立ち向かうシーン、羊の群れに戦いを挑むシーン、木馬に乗っての架空の飛行シーンなどの印象的な場面(この程度は予習していた)が実に鮮やかに描き出され、合間に奏されるソロでドン・キホーテとサンチョ・パンサの人間像を描写する。
 面白いと思ったのは、この曲が自分たちを騎士とその従者だと思い込んだ主人公二人を外から見て描いているのではなく、その二人になり切って描いていることで、だからチェロやヴィオラのソロを聴いていると、彼らが実に堂々たる人物として大変かっこよく思える(もしかたら今日の演奏が特にそういう視点を強調していたのかも知れない)。だから風車や木馬のシーン、あるいは特に羊の群れのシーンなどでも、オーケストラが大真面目に演奏すればするほど現実とのギャップが強調されて、何とも言えない可笑しさがこみあげてくる。とても洗練された、大人のユーモア。
 もうどこにもケチのつけようのない、完璧に完成された演奏だった。一気にこの曲が好きになった。これからはもっと聴こう。


 休憩を挟んで今度はヴォーン・ウィリアムズの交響曲5番。この曲はCDを持っていて、その演奏をしているのは、偶然にも今日と全く同じプレヴィン指揮のロンドン交響楽団。個人的な話になるけど、僕のロンドンでの就職が決まってから実際にロンドンに来るまでは、色んな事情があって4ヶ月くらいの間があった。その間、この曲を聴いてはイギリスに思いを馳せていた。今日プレヴィンがステージ上でこの曲の演奏を始めたとき、その当時のことが鮮やかに頭の中によみがえってきた。

 もともとこの曲は極めてノスタルジックで感傷的な音楽だ。イギリス人にとっては心の歌ともいうべき音楽であって、イギリスの片田舎をちょっとでも見たことのある人なら分かると思うけど、あの田園風景と深く結びついたノスタルジーの塊のような曲。それをロンドン交響楽団が演奏するんだから、彼らにとってはもうホームスタジアムでの試合のようなもので、実に自然に巧みにそのノスタルジーを歌い上げる。
 これが初めて聴く曲だったら僕の感想も違ったと思うけど、何と言っても僕の中では人生の一大事であった渡英と感情的に深く結びついた曲。抗いようもなく追憶の旅に引きずり出された。


 思えばイギリス行きが決まったときはとても前向きだったし、イギリスに来ても当分はそれが嬉しくてたまらなかった、というところから僕の思考の遍歴は始まる。今はイギリスが嫌いになっていて、という訳ではなくて、このブログからも分かってもらえると思うけど、僕はロンドン生活をこの上なく満喫している。
 ただ、こっちへ来た当時のような前向きな気持ちで仕事を続けているかというと、そこにはやはり、そうでない部分があることは否めない。ちゃんと初心に返って、誠実に前向きに仕事に取り組まないといけないんじゃないか。そうしないと今の充実したロンドン生活が送れなくなってしまうんじゃないか。そんなことを考えた。

 でもそこで、「よし、明日から初心に返って頑張ろう!」と決意しておしまい、では済ませてもらえなかった。この音楽は僕をもっと遠くまで引っ張ていく。

 次はイギリス行きが決まる前のことを思い出す。バックパッカーを1年以上続けた後、日本に帰ってアルバイトをしていた。冬の寒空の下で働いていた居酒屋のチラシ配りをしたことや、その居酒屋のバイトが夕方からなので、日中は毎日ずっと英語の勉強をしていたことを思い出した。当時はイギリス行きの話が舞い込む前で、ヨーロッパで働きたいという希望の実現には何のあてもないのに、そんな無駄になるかも知れない努力を続けていた。
 さらに時間をさかのぼって、バックパッカー時代のこと、その前の日本でのサラリーマン時代のこと、その前の学生時代のことをどんどん思い出す・・・

 そうやって記憶をさかのぼっていくと、普段は全然思い出さないようなことまで鮮やかに思い出されてくる。そして、いま自分がなぜイギリスに来ることになったのか、ということに改めて思い至った。僕は辛いことが自分に起こったときに、それに傷つきつつも、無理矢理にでも前に進むという性格を持っている。同じことばかりグズグズと考えてその場にうずくまるということができない。とにかく動いて自分を忙しくして気を紛らわし、また辛いことを思い出すよすがになるものから離れようという本能なのじゃないかと思う。
 そうやって過去の自分から離れよう離れようとし続けてきた結果が、一年の放浪の旅であり、今のロンドンの生活なのだ。

 なんていう僕の個人的なことを、演奏会のレビューに書くのはおかしいのは自分でも分かっている。分かっているけど、本当にこういうことを考えさせられてしまう演奏だったとしかいいようがない。
 音楽の持つ力の、ある強力な一面を突き付けられた演奏だった。
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by voyager2art | 2011-01-17 09:14 | オーケストラ

楽譜を眺めてみる(その1)

 クラシック音楽の予習をするときに、絶対に見てみると面白いのが楽譜。僕も今でこそ怠け者になって楽譜を開く機会が減ったけど、昔は電車の中で一心に楽譜を読み耽ったりしていた。朝から通勤電車の中で「トリスタンとイゾルデ」の愛の死の楽譜を開き、一人でひどく感動したりして、まったく変人もいいところだった。
 でも本当に読む価値はあると思うので、楽譜を開いて何が見えるのか、ちょっと書いてみることにした。もちろんこれはあくまでも単なる音楽好きが趣味でこうやって楽譜を眺めているということの紹介であって、プロはもっと真剣に楽譜と向き合っていることを忘れちゃいけない。


 まず思いつきで、誰でも知っているベートーヴェンの運命の冒頭を見てみることにする。楽譜なんか持っていない、という人もご安心を。今はインターネット上で、著作権の切れた作品の楽譜がほとんど何でも手に入る。IMSLPというサイトから、ベートーヴェンのページを検索して、運命(Symphony No.5)のページに飛んでみる。

 ここでFull Scores(日本語では総譜と言って、オーケストラの全パートを並べた楽譜のこと)のところに、いくつもファイルがある。一番上にあるのは何とベートーヴェンの自筆譜。こんなものまでネットで手に入る。ただし手書き譜は読みにくいし、ベートーヴェンは悪筆で有名なので、ここは清書したものを見てみる。上から二つ目のファイルをダウンロード。

 ファイルを開くと、最初は表紙があったりなんかして、あの有名な冒頭の楽譜はファイルの7ページ目から(画像をクリックで拡大)。
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 よく「ジャジャジャジャーン」と言ったりするけど、楽譜をよく見ると最初は休符で、正確には「ンジャジャジャジャーン」(「ン」は発音しない)なのだと分かる、というのはこのブログを読む皆さんならもうご存知だろう。
 でもこうやって改めて眺めてみると、例えばこの冒頭が弦楽器だけでなく、実はクラリネットも参加しているという奇妙な事実にも気がつく。現代のオーケストラではクラリネットの音は弦楽器に埋もれてしまうけど、作曲当時の楽器だと、弦楽器だけの演奏よりも音色が豊かになったのかもしれないし、じゃあピリオド楽器による演奏だとどう聴こえるのだろうか、という興味が涌いてきたりもする。

 こうやって楽譜を見ていると、音の動きが形として目に入ってくるので、音を聴いているだけだとなかなか気付かない細かい点に気付くことになる。さっきの運命の冒頭のクラリネットなんかがそうで、近現代の複雑な音楽だけでなく、古典的で一見単純なような音楽でも、楽譜を見ていて気付くことが多い。


 楽譜を眺めていると、旋律以外の音に敏感になる。音符の動きが目に入ってくると、不思議なことに耳もその動きを追うようになる。例えば、マーラーの4番の冒頭を見てみると、鈴の音とそれに合わせた1、2番フルートに乗って、3、4番フルートが旋律を奏でる。



 普通に聴いているとこの鈴とフルートばかり印象に残るけど、楽譜を見るとこれに沿って動くクラリネットの伴奏が嫌でも目に入る。
a0169844_23245933.jpg

 この伴奏は一度気がつくと次からはずっと聴こえてくるけど、楽譜を見ないとなかなか最初からは意識しにくい。でもこの伴奏の動きが見えてくると、音楽が立体的に聴こえてくるようになる。
 時間のある人はそのまま楽譜を見ながらこの曲を聴いてみると、この音楽がいかにたくさんのメロディーを同時に鳴らしているかよく分かると思う。


 楽譜を見ていると、鳴っている音に比べて随分簡素な楽譜だなと思う場合と、逆に聴こえる以上に複雑な楽譜だなと思う場合がある。前者の例はリムスキー・コルサコフやチャイコフスキー(ただし悲愴は結構込み入った楽譜だ)、それからサン・サーンス。後者の筆頭はラフマニノフで、ワーグナーもそう。ラヴェルなんかは聴こえる通りに複雑、という感じ。


 コンサートの予習として楽譜を見る場合、僕は(旋律以外の)各パートがどう動いているのかを見るのと同時に、それぞれのパートがどう絡んでいるのかという点にも興味を持って見ている。それが音楽の表現に密接に関わっているからだ。
 例えば、先にも挙げたワーグナー。彼は管弦楽の大家で、人間の精神の襞の、本当に微細なところまで描き尽くした。その一つの例として、ニュルンベルクのマイスタージンガーから、第一幕への前奏曲を取りあげてみる。



 このオペラの楽譜も、IMSLPで手に入る

 壮麗に始まるこの曲、中ほどで愛の動機の音楽が流れる。上の動画だと4:04くらいからのところ。該当部の楽譜を以下に添付。

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 はじめのうちは1st Violinが旋律を奏でる一方で、クラリネットやヴィオラなどが裏でひっそりと、でも多彩な旋律を奏で、ヴァイオリンを支える。そのうち、上の楽譜でページが変わったあたり(動画だと4:20くらい)から、様々な楽器が入れ替わり立ち替わり旋律を奏でるようになる。
 この部分の楽譜を見ると、それぞれの旋律で八分音符と三連符が交替するだけでなく、楽器間で八分音符と三連符がぶつかっていることもわかる。こうすると、同じ時間に二つの音と三つの音を並べることになるので、どうしても双方でリズムが食い違ってぶつかることになる。それによって、数字では割り切ることのできない人の心のたゆたいが見事に表現されることになる。
 こうやってリズムがすっきり割り切れない例は、ロマン派以前にももちろんあった(モーツァルトにも出てくる)けど、こうやって積極的かつ執拗に使うようになったのは、やはりロマン派以降、ワーグナーのように心理をより深く表現するようになってからだ。


 こうやって、2:3のリズムをぶつけることで心理がより深く表現できるようになるのであれば、もっと複雑なリズムをぶつけたらもっと微細な心理が表現できるようになるのではないか、という考えは決して突飛なものではないだろう。そして実際に音楽史はその通りに進んだ。3:4でリズムをぶつけたり、更には5連符をぶつけてみたり、という例が出てくる。それも、奇抜な現代音楽ではなく、人気のある交響曲にすらそういう例がある。
 ここでクイズ。その曲とはいったい何でしょう?


 ヒントはこれ。その曲の一部を取り出したもので、主旋律にあたるヴァイオリンは外している。


 別の楽章からもう一つ。ここでも主旋律のパートを外している。こっちの方がだいぶ分かりやすいかな。





 主旋律が入ると、最初の例はこうなる。


 主旋律入りの二番目の例。





 そう、正解はマーラーの9番。最初の部分は1楽章からで、二番目の例は4楽章から。こうやって主旋律抜きのを聴いてから普通のを聴いたら、主旋律以外の音の動きも聴けるようになって、音楽を深く理解できると思いませんか?

 これも一応楽譜を添付。

【一番目の例(上の音声ファイルは3小節目から)】
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【二番目の例(上の音声ファイルは3小節目から)】
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 ちなみに一番目の例は、リズムこそ3:4まででそれほど複雑ではないものの、主旋律を外すとシェーンベルクか誰かの書いた、いわゆる現代音楽のように響く。マーラーは調性を限界まで拡げたとよく言われるけれど、これを聴くとマーラーは既に限界を超えていたとしか言いようがない。

 二番目の例はリズムのひずみがすさまじい。ほとんど支離滅裂というレベルで、お互いに全く調和しないリズムと旋律がいくつものたうち回っている感じ。もうマーラーの心は張り裂けんばかりになっていて、それを何とかして音にしようとすると、もうこうするほかなかったのだろうと思えてくる。
 マーラーは音による心理描写の点で、ワーグナーの手法を拡大して更に一歩深いところへ到達したと思う。それが、この楽譜からわかってくる。

 ここから更に一歩を踏み出して、じゃあこういう音楽をどう演奏したらいいか、というところまで考えられたら予習としては完璧だろう。上のマーラーだったら、各パートの奏者が髪を振り乱して弾くような激情型がいいのか、あるいは敢えて冷静さを保って知的で精度の高い演奏をした方が、曲自体の異常さと音楽の持つ強烈な叫びが強調されるんじゃないか、等々。
 そんなことを考えている時間はとても楽しい。そして演奏会に行ってみて、指揮者とオーケストラがどういうアプローチをするのか確認すれば、自分自身も音楽の創造のプロセスに加わることができるのだ。
 なんて偉そうなことを言いながら、僕は最近こういうことを全くやっていないのだけれど。



 楽譜については色々と書きたいことがたくさんあるので、時間をかけて何回かに分けて書いていくことにします。



 
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by voyager2art | 2011-01-16 09:45 | 楽譜

逆転サヨナラホームラン/ヴィルトナー & カヴァコス & ロンドンフィル

 ロンドンフィルによるマーラーの6番の演奏会。前半はカヴァコスの独奏でシマノフスキのヴァイオリン協奏曲の第2番。指揮者は当初予定されていたヤープ・ヴァン・スヴェーデンが急病で、直前になってオーストリア人のヨハネス・ヴィルトナーに交替。この演目で直前の交替というのはかなり大変なことだと思うので、アナウンスを聞いたときには一瞬不安が頭をよぎった。

Karol Szymanowski: Violin Concerto No.2
Gustav Mahler: Symphony No.6

Leonidas kavakos (Violin)
Johannes Wildner (Conductor)
London Philharmonic Orchestra

2011年1月14日(金)19:30 -
Royal Festival Hall, Southbank Centre, London


 前半のシマノフスキは初めて聴く曲。ロンドンの音楽会ではシマノフスキとかコルンゴルトとか、日本ではなかなか聴けない曲(最近の事情を知らないのでもしかしたら変わってきているかも?)がプログラムに載ることが多くて面白い。
 序奏が始まると、ロマンティックな音楽に乗ってすぐにカヴァコスのソロが入ってきた。静かな旋律を、少しポルタメントを掛けてカヴァコスはよく歌わせていた。ただ、あまりにも冷静で、びっくりするくらいさらっと弾いている。この人は見るからに知的な雰囲気を漂わせていて、音楽を100%コントロールしている感じ。
 その後は音楽の盛り上がりにつれて表情もダイナミックに変化し始めた。柔らかいけど輝かしい音色と、ものすごい技術を駆使して、圧倒的なまでに緻密に構成された演奏。演奏の水準の高さは驚異的で、よく歌う節回しと相俟って大変な説得力がある。まさに完璧で、計算し尽くされたバランスから一点の逸脱もない。オーケストラも多彩な音色でソロをしっかりと支えていた。

 もう文句の付けようのないようなものすごい演奏なんだけど、わずかな破格も許されないというこの一点で、僕は何か言葉にし難い窮屈さを感じずにはいられなかった。ここを超えると音楽が崩れる、というラインをカヴァコスは自分でよく心得ていて、その枠内は非常に表情豊かな演奏をしているのだけど、全体の構成はこの限界の中に収まるように設計されていて、実際の演奏でもその設計通りに完璧に制御されている。
 これは完全に好みの問題なのだけれど、僕は音楽にある種の破格を求める。人が限界を超えることで生じた裂け目から見えてくる何かに惹かれるからだ。カヴァコスの今日の演奏は、全体の枠組みが少し安全側に寄り過ぎていたように思えた。
 でも誤解のないように繰り返すけど、彼の演奏の水準は群を抜いて高い。それは絶対に間違いない。

 協奏曲の演奏が終わったあと、カヴァコスはアンコールにバッハの無伴奏ソナタの中の一曲(何番のソナタの何だったかまでは僕には分からなかった)を弾いた。これが本当にすごかった。バッハの音楽では、知的なコントロールは非常に重要な要素だし、一方で彼の歌い方の豊かさはちょっと比類のない水準に達していて、バッハでこれほど自由に想像力が幅広く飛翔する例を僕は他に聴いたことがない。そしてこれだけ広い空間を駆け巡るような演奏をしながら、音楽が放漫になることも絶対にない。
 知的な構築性と豊かで幻想的とさえ言えるような歌の、全く希有な結合だった。演奏が終わっても、しばらく感覚が痺れてしまって動けなかった。


 休憩を挟んでマーラーの6番。オーケストラの団員が舞台に上がってくると、その人数の多さにかなりびっくりした。管楽器がかなり増員されていて、トランペットが7人、ホルンは8人(多分)、トロンボーンは5人(!)いた。木管楽器も各パート一人ずつくらい増えていた。
 演奏が始まって、オーケストラの響きの良さにちょっと驚いた。ロンドンフィルの音色は、どこか中性的で硬めという印象があったのに、今日の演奏は色彩的でかなり暖かい音色。ロンドンフィルはときどき音色がぐっと良くなるときがあって、ここ最近で急速に実力が上がってきたのではないかと思うことがある。アンサンブルの精度も高くて、安心して聴いていられる。

 指揮の方はかなり堅実な印象だった。しっかりとオーケストラをまとめてはいるけれど、冒険もない。何と言っても直前に代役が決まったというから、リハーサルの時間もほとんど取れなかったに違いない。それにしては破綻のないきちんとした演奏だ、と1楽章の間は思っていたけれど、2楽章のスケルツォ(今日は緩徐楽章を3楽章に置く伝統的な配列だった)でも同じような演奏が続くとさすがに飽きてきた。オーケストラはいい音で良く鳴っているし歌ってもいたけれど、安全運転すぎてこちらの心に引っ掛かってくるものがない。

 もしかしたらこの指揮者は強い音楽よりもロマンティックな音楽の方に向いている人なのかもしれないと、3楽章に期待したりもしたけれど、どうも3楽章も音楽があっさりと流れていく。やっぱり直前の代役だし、演奏会を破綻なく終わらせることに集中しているのかも知れないと思っていたら、3楽章の最後で弦楽器が大きく歌い始めた。楽章の終わりはまたあっさりだったけど、ようやくマーラーの音楽らしいダイナミックな吸引力を感じた。

 続く終楽章は、それまでの演奏からあまり期待せずに聴き始めたけれど、これがそれまでの楽章と打って変わって素晴らしかった。突然音楽が雄弁になり、頻繁に変わるテンポと表情を多彩にダイナミックに演奏する。表現の振幅が一気に大きくなって、長大でともすれば冗漫になりがちなこの楽章を、全く退屈さを感じさせない豊かな音楽に仕立て上げていた。
 恐らく指揮者のヴィルトナーは、短いリハーサル時間のほとんどをこの終楽章に充てたに違いない。第3楽章までを何とか無事に乗り切り、最も長くて音楽的にも豊かで深い終楽章に集中したのだろうけど、これが見事に大成功。クライマックスは高い純度で白熱して、圧巻の演奏だった。オーケストラもそんなヴィルトナーとともに大熱演で、非常に印象的なコンサートだった。
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by voyager2art | 2011-01-15 09:45 | オーケストラ


ロンドンを起点に、音楽、写真、旅などについて書いていきます。メールは voyager2artアットマークgmail.comまでお気軽にどうぞ。


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