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表と裏と/マレイ・ペライア ピアノリサイタル

 最近バレエばっかり観に行っているのでコンサートは久しぶり。今日はペライアのピアノリサイタル。
 ペライアという人はもちろん名前はずっと前から知っていたし、CDも一枚だけど持っている。だけど今まで注意して聴いたことのないピアニストでもあって、どんな人?と訊かれても明確に答えられるだけの印象は持っていなかった。今日のコンサートは、直前になって安いリターンチケットが出ているのを見つけたので、一度ちゃんと聴いてみようと行ってみることにした。


J.S.Bach: French Suite No.5, BWV816
Beethoven: Piano Sonata No.27, Op.90
Brahms: Four Piano Pieces, Op.119
(Interval)
Schumann: Kinderszenen, Op.15
Chopin: Prelude, Op.28 No.8
Chopin: Mazurka, Op.30 No.4
Chopin: Scherzo No.3, Op.39

Murray Perahia (Piano)

30th/March/2011 (Wed) 19:30 -
Barbican Centre, London



 最初のバッハは非常に素直な歌い口で始まった。殊更にチェンバロ奏法に似せようとするわけでもなく、ペダルも普通に使う。でも現代ピアノだからとダイナミックに弾くのでもなく、極めて中庸を保った演奏。中庸と言っても音楽はよく歌うし、控え目ながら明瞭なルバートも使うので、退屈な演奏ではない。対位法よりは全体的な響きのバランスと充実に傾斜した演奏で、立派で良識のあるバッハ。グールドの超絶的な詩味やグルダの極度に明晰な知性が生み出す凄みはないけれど、柔和さと鮮やかさが落ち着いて同居している演奏だった。
 ちなみに対位法に重きを置いた表現ではないとはいえ、主旋律を静かに弾きつつペライアは伴奏(もちろん対位法的に書かれているけれど)にかなり強めの表現意欲を乗せる。そのため、ただサラサラと流れるだけではない、独特の力強い空気も生じてくる。特に音の薄いサラバンドでそれが強く感じられた。

 このバッハの演奏は、コンサートの導入としてはなかなかいい演奏だと思ったけれど、次のベートーヴェンから、僕にとっては色々と考えさせられる演奏が始まった。

 ベートーヴェンの27番のソナタは演奏される機会の少ない曲だと思うけれど、ベートーヴェンが中期を経て後期に移行する時期の、極めて充実した音楽。この音楽のペライアの演奏は、しかし僕にはどうしても馴染めないものだった。
 まず第1楽章は、非常にルバートの多い情緒的な演奏で、情緒的ということ自体は悪くないのかもしれないけれど、とにかくルバートが度を過ぎていて音楽の流れがあちこちで寸断されてしまう。ペライアはこの音楽のドラマティックな面を強調したかったのかなと思うけれど、とても成功していたようには思えない。一つ一つのフレーズはよく歌うし、指もよく回っている。楽器の響きのコントロールも冴えていて、特に低音が濁らずによく響いていたのは印象的だった。でも、音楽としては彼が何を目指していたのか僕には分からなかった。
 続く第2楽章もよく歌っていて響きもきれいだし、そういう点では文句の付けようはない演奏だったけれど、その一歩先がない。僕はこの楽章に、ベートーヴェン後期の音楽を見る。他に誰もいない広大な空をひとりで思うままに飛翔するような、孤独の先の究極の自由を僕は後期のベートーヴェンのピアノソナタから感じるんだけれど、一方のペライアの演奏はしっかりと日常に軸足を置いたような音楽。想像力の飛翔が僕には感じられない。

 この楽章の演奏あたりから、僕はペライアの演奏に強烈な違和感を覚えはじめた。僕は音楽に精神の豊かな飛躍や、凄みや妖しさのある煌めきを強く求める。一方のペライアの音楽は絶対にそういう方向に進まない。これは彼がそういう方向に一歩を踏み出すのを恐れているからではなくて、むしろ彼自身が人としての良識や健全さを、積極的に強く志向しているからだという印象を持った。彼自身も素晴らしい人格者であるのは間違いないと思う。早い話が、僕はペライアとは全く異なるタイプの人間で、ベクトルが完全に逆方向の音楽的嗜好を持っているということだ。

 このことは続くブラームスの演奏でも顕著で、晩年のブラームス特有の、渋い苦みの底に沈殿して、孤独の中に閉じこもって自分だけの秘密の場所で苦い甘美さに浸る、という演奏ではない。普通の人が、灰色の雨の日に憂愁に襲われるというくらいの音楽しか聴こえてこない。
 誤解のないように付け加えておくと、ピアノを演奏するという観点から見ると彼の演奏は非常に高い水準にあった。特にブラームスの4曲目、分厚い和音の速い進行や響きの頻繁な転換など、技術的に難易度の高いこの曲を、彼は見事に演奏していた。ここで僕が問題にしているのは、あくまでも音楽の好みの話だ。


 休憩の後はシューマンの子どもの情景。この曲集を彼は、子ども向けのフェアリーテールのように弾いた。純真無垢な、平和で愛らしい演奏。こう書くととてもいい演奏だったと思われるかもしれないけれど、僕にはシューマンがそんな音楽を意図していなかったと確信に近い印象を持っている。
 そもそもシューマンの音楽には複雑な陰がある。それは彼の書いた譜面を見れば分かることで、錯綜した対位法やエキセントリックなリズムが、シューマンの暗く歪んだコンプレックスを表している。一見純情そうに聴こえる子どもの情景にしても同じことで、僕はこの曲集は子ども向けに書かれた音楽ではなくて、大人が苦い思いを胸の奥に抱きながら回想する自身の子ども時代や、あるいは子どもが明確に意識したわけではなく発する言葉に純真ゆえの鋭い観察が含まれ、それに周囲の大人がどきっとさせられるような情景などを描いたものだと思う。現実と回想の狭間の、どうしようもなく埋め難い亀裂が暗くのぞく音楽で、この亀裂は曲集の随所に顔を出し、あのトロイメライさえその影からは逃れられない。それが最も象徴的に現れるのがこの曲集の最後の「詩人は語る」のカデンツァで、この部分の異様な緊張感(あるいは危機感)はただごとではないし、ましてや決して子ども向けではない。
 でもペライアはこの音楽のそういう側面とは完全に無縁の演奏をした。僕の違和感はここで頂点に達して、本質的に重要な心理を完全に無視され、切り落とされてしまったような反発を強く感じた。これは、こんな音楽では絶対にないはずだ。


 最後はショパンを3曲。この選曲の意図は僕にはよくわからない。今日のプログラム全体は、非常に上手く構成されていて、バッハからショパンまでの距離を、見事な作曲家の選択でうまく埋めたと思う。でも、なぜ最後のショパンでこの選曲なんだろう。
 何はともあれ、最初は前奏曲の8番。ショパンの前奏曲集の中では技術的も難しい曲だし、僕の好きな曲でもあるけれど、ペライアの演奏は僕がこの曲に抱いているよりもずっと大人しくて、情熱の抜け殻のよう。他の曲と同様、音楽はよく歌っているけれど、演奏のツボがどこにあるのか僕にはよく見えない。
 続くマズルカは、今日のコンサートの中では一番いい演奏だったと思う。楽想と響きの多彩な変化が素直に表現されて、ショパンの憂愁が率直に出ていた。ただ、僕自身の好みを言えば、和声が半音で下がっていくところなどをもっとうまく隈取りすれば、ぞっとする深さが出ただろうに思う。

 最後のスケルツォはやや乱暴な演奏になってしまった。この曲はキラキラと輝き降りてくるような装飾句がとても印象的だけれど、これはあくまでも装飾であって、音楽の本体は下に流れるコラールだ。でもペライアは明らかに装飾句に重点を置き、コラールはおまけのような弾き方だった。音楽全体の構成も甘く、譜面に従って弾きながら、その場その場の感情に従って次第にフォルテが強まる、という感じ。技術的にも乱れが出て、曲の構成をコントロールできずにむしろ曲にコントロールされてしまっているという印象を受けた。


 アンコールはシューベルトの有名な即興曲。この作曲家が聴かせる精神の深い淵は素通りし、ピアニスティックには見事だったけど、僕にとってシューベルトを聴く醍醐味が完全に失われた演奏だった。


 誤解のないように最後にもう一度繰り返すけれど、ペライアのピアノ演奏自体はかなり水準の高いものだった。音楽的な内容についても、こういう正統派の演奏を好む人は少なからずいると思う。実際、終演後のお客さんの反応も良かった。僕の音楽の好みが、ペライアの音楽とは完全に反対の方向を向いていたというだけだ。
 でもこの志向の違いは僕には深刻だった。僕は普段、コンサートのあとの帰り道で音楽を聴くことはない。このブログの記事を書くために、演奏の印象が薄れないようにしたいから。でも今日だけは違った。余りにも自分と違いすぎる音楽に耐えられず、自分の精神が異常をきたしてしまうのではないかと思うほどのストレスを感じた。砂漠を彷徨った人がオアシスで必死に水を飲むように、帰りの地下鉄で僕はヴィルヘルム・ケンプの弾くシューマンの子どもの情景を必死に聴いた。この演奏には子どもと大人の世界の深刻な溝が余すところなく描き出されている。これを聴いて僕はようやく精神の平衡を取り戻した。
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by voyager2art | 2011-03-31 08:40 | ピアノ

一線を越えた日/ラム & キッシュ シンデレラ/ロイヤルバレエ リハーサル

 今日の昼休みに、何気なくロイヤルオペラハウスのウェブサイトを眺めていると、ロイヤルバレエのリハーサルのチケットにリターンが出ているのを発見。同僚が笑うほど興奮して即座に押さえた。最近急にバレエにはまり始めて、このリハーサルにはずっと行きたいと思っていた。誰が何の演目のリハーサルをやるのか、ウェブサイトでは情報が全くないけど、そんなことはお構いなし。リハーサルが観られるということが重要なのだ。
 学生時代にオーケストラをやっていたときも、先輩たちが指揮者を招いて練習するときは、自分の出番はなくとも必ず楽譜を持って聴きに行ったし、地元のプロオーケストラの楽器運びのアルバイトをやってはリハーサルを聴いたりしていた。これがどれほど大きな刺激になったか分からない。本番で出来上がりだけを聴くのと違って、練習でどういうことに気をつけながら仕上げていくかというプロセスを目の当たりにするのは本当に勉強になる。

 ちなみに今日は本当に運のいい日だったようで、二日後にヌニェスが踊る白鳥の湖の安いチケットが取れ、ついでに何と来週のリハーサルのチケットまで取れてしまった。一日で数ヶ月分の運を使い果たしてしまったような気がする。

 仕事が終わってからわくわくしながらロイヤルオペラハウスに向かい、会場のスタジオに着くと演目とダンサーが判明。ネヘミア・キッシュとサラ・ラムでシンデレラ。指導はジョナサン・コープ。おー、サラ・ラムか、と更に興奮しながら開始を待つ。


The Royal Ballet in Rehearsal

Cinderella (Prokofiev)

Jonathan Cope (Dance Master)
Nehemiah Kish
Sarah Lamb

Philip Cornfield (Piano)

29/March/2011(Tue) 19:30 -
Clore Studio Upstairs, The Royal Opera House, London


 会場のクローア・スタジオは三面に鏡を貼った、典型的なダンス用の練習場。一方に座席が5列くらい並んでいて、たぶん座席数は200席もない。こりゃチケットが争奪戦になるわけだと思いながら、もう興奮が止まらない。
 そしていよいよリハーサル開始。最初に簡単な説明があってから、シンデレラの主要な場面の練習。これに圧倒されてしまった。すぐ目の前で踊るサラ・ラムのきれいなこと。一つ一つの動きがとても美しくて、回転したあとにパッとポーズを決めるときには見ていて惚れ惚れするような切れ味もある。キッシュと二人で距離感やスピード、タイミング、リフトの高さや軌跡、手で相手の腰を支えるときの支え方など、色々な要素を微妙に調節しながら仕上げていく。

 正直に白状すると、僕にはこの調整が余りに微妙すぎて、違いがほとんど分からなかった。バレエをやっていた人とかバレエをずっと見慣れている人だったらよく分かるんだろうけど、バレエ鑑賞歴も短く、かつ運動神経ゼロの僕には全くついていけない。でも、ユーモアたっぷりのコープの指導の下で色々と試す二人のダンサーを見ているのは本当に面白かった。コープ自身もかなり頻繁に踊りを実演してみせて、これがまた本当にうまい。表現力の鮮やかさもさることながら、サラ・ラムを絶妙にサポートする見事な実演に彼の圧倒的な技術と経験の蓄積を垣間見た。

 息を詰めて目を見張り、喰い入るように3人の動きを見詰め続けた1時間強。あっという間だったけど、本当に夢のような時間だった。自分がまだまだバレエを全然理解していないことをはっきりと認識させられたけれど、同時に単なるバレエ好きから本格的なバレエファンに向けて、後戻りのできない一線を越えたとも思った。今後も頑張ってリハーサルのチケットを取って、もっともっと深くバレエを理解したい。

 最後に5分ほど、今季ロイヤルバレエに入団したばかりのキッシュへの質問タイムがあった。以前いたバレエ団とどう違うかとか、どうやってロイヤルバレエのスタイルを学んでいるのか、などの質問が飛んだけど、そんな中で印象に残ったのが、どうやって振付けを覚えるのかという問いへのキッシュの答え。ビデオを見ることもあるけれど、と言った後に、「でも何よりも音楽が助けてくれる。音楽の流れから、次にどう動くべきかが分かる」と答えていた。
 当たり前だけど、バレエで音楽は本当に大切な要素なのだと実感。一方、今日のリハーサルで、ピアノ伴奏なしに彼とラムが踊っているときに、その動きから音楽が聴こえてくるような場面も何度もあった。バレエは本当に面白い。この底なし沼に心地良く沈んでいこう。
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by voyager2art | 2011-03-30 07:06 | バレエ

ハムステッドヒース

 晴れた週末。
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 今日は別におにぎりについて詩的に語るつもりは全くなくて、天気もそこそこ良かったのでハムステッドヒースの公園に出かけた。そのときに持っていったおにぎりの写真を撮ってみただけ。これも写真の練習。


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 今日は曇りではなかったけれど、霞がかかっていて、先週の土曜日のようにくっきりと色鮮やかに晴れ渡っていたわけでもない。こういう光のときは色やコントラストが弱くて写真を撮るのが難しく、僕は苦手。
 でも春の公園自体は爽やかで気持ちいい。集まってきている人たちがみんなわくわくした気持ちでいるのが伝わってくるので、あてどなくそぞろ歩いていても楽しい気分になってくる。いい季節になってきたなあ。




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by voyager2art | 2011-03-28 04:18 | 写真

全く別物/コジョカル & マクレー & ロイヤルバレエ/ラプソディー 他

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 今日もまたロイヤルバレエでラプソディー、センソリアムとペンギンカフェの舞台を観た。今日の目玉はラプソディーを踊るコジョカルとマクレー。ずっと楽しみにしていたし期待もしていたけれど、実際の踊りはそれ以上だった。


Rhapsody

Music: Sergey Rachmaninoff
Choreography: Frederick Ashton

Alina Cojocaru
Steven McRae


Piano: Jonathan Higgins
Conductor: Barry Wordsworth


Sensorium

Music: Claude Debussy (arr. Colin Matthews)
Choreography: Alastair Marriott

Mara Galeazzi
Melissa Hamiltan
Bennet Gartside
Gary Avis


Piano: Kate Shipway
Conductor: Barry Wordsworth


'Still Life' at the Penguin Café

Music: Simon Jeffes
Choreography: David Bintley

(ダンサー多数)

Conductor: Paul Murphy

24th March, 2011 (Thu), 19:30-
The Royal Ballet


 ラプソディーの幕が開いて、いきなりマクレーの踊りに目が釘付けになった。動きの切れ、回転のスピード、ジャンプの華麗さ、手の先まで繊細な表情、これら全てが水際立った鮮やかさで繰り広げられる。しかも連続した動きがきれいに一つにつながって、鮮烈なことこの上ない。これがアシュトンの意図した舞台だったのかと驚嘆した。アシュトンの振付けは今まで苦手だったけど、本当に上手い人が踊ると運動性自体が無限の表現力を持つ、そういう性質の振付けなのだとようやく理解した。前言撤回。

 続いて出てきたコジョカルもいつもながら本当に可憐で美しい。白鳥の湖やジゼルのときとは違って、不幸を負っていたり病弱だったりするヒロインという役ではないので、彼女本来の優しくて暖かみのある華やかさが会場を豊かに満たし切る。ラフマニノフのラプソディーの中で一番有名な甘美な旋律の部分は、もう愛情があとからあとから溢れ出てくるような、最高の幸せに満ちた至福のひととき。この場面が終わった瞬間、声にもならないようなため息しか出ない。
 一方で速いステップの動きは、モレラが力強い個性を感じさせる踊りだったのに対して、コジョカルの場合はあくまでも可憐な少女が茶目っ気を魅せたような愛嬌に満ちている。彼女の軽快な動きによって踏みしだかれた野花の香りが匂い立つような、そんな印象さえ受ける。

 この後も二人の踊りは冴えに冴え、特にマクレーは後になるほど動きに切れとスピードが増してくる。もうこの二人が舞台に現れるだけで会場の空気が一変し、濃密で華麗な世界が繰り広げられる。正直な印象として、モレラとポルーニンの踊った舞台とは全くの別物。圧巻。本当に興奮した。
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 休憩を挟んで次はドビュッシー。昨日のヌニェスとベンジャミンも良かったけれど、僕はやはりこのガレアッツィとハミルトンの踊るこの演目が好きだ。優劣ではなくて単なる好みの問題として、この二人の方がドビュッシーの後期の洗練された抽象的な音楽に合っていると思う。
 今日も二人とも濃密な集中力の素晴らしい踊りを見せてくれて、ドビュッシー好きの僕は大満足。ガレアッツィの芯の通った深い表現と、ハミルトンの色彩感を感じさせる動きの鮮やかさが絶妙な対比を見せて、神秘的な感覚美の世界が繰り広げられた。緊張感のある強い静けさに満たされた振付けも好きだ。
 ちなみにメリッサ・ハミルトンはまだ地位はソロイスト(この上にファースト・ソロイストがあって、その上が最高位のプリンシパル)に上がったばかりだけど、その下のファースト・アーティストの頃からときどき目立つ役を与えられているようで、そのたびに美しくて表現力の冴えた踊りを見せてくれているので、かなり早く昇進していきそうな気がする。舞台映えのする美人だし、踊りも上手いし、すぐに人気が出るんじゃないかな。


 先日のチャリティー公演にも出演したガレアッツィ。
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 こちらはハミルトン。右奥は高田茜さん。
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 最後はペンギンカフェ。これは本当に何回観ても楽しい。最初に出てくるペンギンの愛嬌のある動き、ユタ・ロングホーン羊の健康的な色気のある踊り(ただし昨日のヤノウスキの方が上手かった)、テキサン・カンガルーネズミの元気一杯でやんちゃな踊り、威厳のあるサザンケープシマウマなどなど、どれを観ても暖かい気持ちになれる。でも今日はフンボルト・ブタバナスカンクのノミ(どこからこんなの見つけてきたんだという感じだけど)役の高田茜さん。役の名前はともかく、この役も楽しくて愛嬌があって、僕のお気に入りの役の一つ。
 高田茜さんは今日は3つの演目全てに出ていて、最初の2つは主役の後ろで群舞に参加していたけれど、このペンギンカフェでは表舞台に立って、とてもチャーミングなノミ(誤解の無いよう繰り返すけど、名前はともかく愛嬌たっぷりの役!)を演じていた。普段は清楚で瑞々しい踊りを見せてくれる彼女だけど、こういうコミカルな役も上手くて、僕の中での印象は更にアップ。

 こういう多彩な役が入れ替わり立ち替わり出てきて、今日もまた幸せな気持ちでこの作品を見終わった。こんなにいい作品に出会えて、それを心ゆくまで何度も観ることができて、とても嬉しかった。この演目を採り上げてくれたロイヤルバレエに感謝。この演目、あまりに気に入って実はDVDまで買ってしまったけど、またそのうち再演してくれると嬉しいな。

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「タイトルロール」のペンギン。右の女性の髪がメドゥーサみたいになってしまった。
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「ノミ」の高田茜さん。チャーミング!
 
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存在感たっぷりのゼブラはエドワード・ワトソン。
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左の男性は平野亮一さん。
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by voyager2art | 2011-03-25 10:26 | バレエ

ペンギンカフェ/ロイヤルバレエ

 ペンギンカフェをまた観に行った。先日に続いて2回目だし、実は明日も同じ演目をまた観に行くので、今日は要点のみ。

Rhapsody

Music: Sergey Rachmaninoff
Choreography: Frederick Ashton

Laura Morera
Sergei Polunin


Piano: Jonathan Higgins
Conductor: Barry Wordsworth


Sensorium

Music: Claude Debussy (arr. Colin Matthews)
Choreography: Alastair Marriott

Leanne Benjamin
Marianela Nunez
Thomas Whitehead
Rupert Pennefather


Piano: Philip Cornfield
Conductor: Barry Wordsworth


'Still Life' at the Penguin Café

Music: Simon Jeffes
Choreography: David Bintley

(ダンサー多数)

Conductor: Paul Murphy

23rd March, 2011 (Wed), 19:30-
The Royal Ballet


 ラプソディは前回と同じラウラ・モレラとセルゲイ・ポルーニン。ポルーニンは前回よりだいぶ冴えていたように思う。動きが大きくて、何より自信が増しているように感じた。やはり回数を重ねるとダンサーも慣れてくるということなのだろうか。多分技術的なことを言えば、先日の白鳥の湖でもすごい踊りを見せてくれたアコスタの方が上なんだろうけど、今日のポルーニンは力強さもあって印象的だった。
 一方のモレラも、前回同様に叙情的な部分の表現力に物足りない部分を感じるとはいえ、速いステップの切れ味は前回よりずっと鮮やか。全体として、今日はこの演目をかなり楽しめた。バックで踊るメンバーに高田茜さんが今日も入っていて、先日の震災チャリティー公演を思い出しながら、彼女の瑞々しく素敵な踊りも楽しんだ。
 ちなみに先日も感じたけれど、ラフマニノフのピアノを弾くヒギンズという人は本当に上手。


 続くセンソリアムは、前回と違ってリャーン・ベンジャミンとマリアネラ・ヌニェスが登場。ヌニェスの長い足がすーっとまっすぐ伸ばされたときの美しさもため息ものだったけど、今日はベンジャミンの深い情緒に満ちた踊りに感銘を受けた。まるで雨上がりの森の中を、土や木々のにおいを感じながら歩いているときに感じるような、しっとりとした深い表現力。彼女はロイヤルバレエでプリンシパルを勤めて今年で18年目なのだとか。大いに納得。


 そして、こうやってこの演目をしつこく繰り返して観ようと思うきっかけになったペンギンカフェ。今日は前回と違って泣くこともなく、素直に楽しめた。この演目、もう本当に楽しい。役で印象に残っているのは、ユタ・ロングホーン羊を踊ったゼナイダ・ヤノフスキ。粋で華麗で、動きに独特の鮮やかさとセクシーさがある。ほんとにかっこいい。

 改めて観てみると、細かい動作が本当にうまく練り上げられていて、それぞれの動物の動きの特徴が実に巧みに表現されている。だから、一つ一つの振付けはとてもコミカルでチャーミングなんだけど、その底にそれぞれの生き物への愛情がしっかりとした土台になっているのが本当に強く感じられる。また、サザンケープシマウマの場面では、文明が自然の中に浸食してくるのを示唆するような演出になっていることにも気付いた。

 今日の舞台で一番印象に残ったのは、しかしそのチャーミングな動きの方ではなくて、登場する生き物たちが雨に打たれて(酸性雨かな?)逃げ惑う場面。今日は、むしろこちらで切なさに胸がいっぱいになった。前半のそれぞれの生き物が愛らしく描かれれば描かれるほど、彼らが逃げ回る姿は痛切さを増す。作品を底流する愛情が豊かなだけに、より彼らが厳しい環境に追いやられる様に心が痛んだ。

 とはいえ、この作品は非常に前向きに勇気づけてくれる内容で、観客にお説教をするのではなく、前に進もうと笑顔で励ましてくれる。今日もとても幸せな気持ちで会場を後にした。
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by voyager2art | 2011-03-24 09:09 | バレエ

黄昏/海潮音(上田敏)

 最近詩を読むのが面白くてたまらない。小説と違って最初から最後まで順に読む必要も無いので、気の趣くままに詩集を手にしては想像力の飛翔や言葉の冴えを楽しんでいる。
 今日は上田敏の名訳詩集「海潮音」から、ロオデンバッハの「黄昏」。


* * * * * *


黄昏(たそがれ) ジョルジュ ロオデンバッハ


夕暮がたの蕭(しめ)やかさ、燈火(あかり)無き室(ま)の蕭(しめ)やかさ。
かはたれ刻(どき)は蕭やかに、物静かなる死の如く、
朧々(おぼろおぼろ)の物影のやをら浸み入り広ごるに、
まづ天井の薄明(うすあかり)、光は消えて日も暮れぬ。

物静かなる死の如く、微笑(ほほゑみ)作るかはたれに、
曇れる鏡よく見れば、別(わかれ)の手振(てぶり)うれたくも
わが俤(おもかげ)は蕭(しめ)やかに辷(すべ)り失(う)せなむ気色(けはひ)にて、
影薄れゆき、色蒼(いろあを)み、絶えなむとして消(け)つべきか。

壁に掲(か)けたる油画(あぶらゑ)に、あるは朧(おぼろ)に色褪めし、
框(わく)をはめたる追憶(おもひで)の、そこはかとなく留まれる
人の記憶の図の上に心の国の山水や、
筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。

夕暮がたの蕭(しめ)やかさ。あまりに物のねびたれば、
沈める音の絃(いと)の器(き)に、かせをかけたる思(おもひ)にて、
無言(むごん)を辿る恋(こひ)なかの深き二人の眼差(まなざし)も、
花毛氈(もうせん)の唐草に絡みて縒(よ)るゝ夢心地。

いと徐(おもむ)ろに日の光(ひかり)陰(かぐ)ろひてゆく蕭(しめ)やかさ。
文目(あやめ)もおぼろ、蕭やかに、噫(ああ)、蕭やかに、つくねんと、
沈黙(しじま)の郷(さと)の偶座(むかひゐ)は一つの香(こう)にふた色の
匂交(にほひまじ)れる思にて、心は一つ、えこそ語らね。



* * * * * *


 この詩を読んで、何よりもまず起句の「夕暮がたの蕭やかさ 燈火無き室の蕭やかさ」のあまりにも音楽的な韻律に強い印象を受けた。七五調に整えられた詩とはいえ、それだけでは説明のつかない、強くて豊かなリズムがある。
 恐らくこれは、前半の「夕暮がた」の最初の三音がウ段の音、後半の「燈火(あかり)」の最初の二音がア段の音となっている一方で、前後半で「蕭やかさ」が繰り返されることで、音のコントラストやリズムが強調されるためだろうと思う。
 僕は詩を読みはじめて日が浅いので、言葉がこれほど音楽的に響くということに強烈な感銘を受けずにはいられない。

 この最初の段落と、次の段落で現れる「かはたれ」は「彼は誰」であって、文目も分かぬ薄闇の中で、「あの人は誰?」と問うという連想から、昼と夜の間の薄暗い時間帯を指す言葉。「たそがれ」も「誰(た)ぞ彼」から来た語であって、発想は全く同じ。調べてみると「かはたれ」は現在では朝の日が昇る前の薄暗い時刻を指すらしいけれど、この詩ではそれでは意味が通じない。もともとの薄暗い時刻という意味を、夕暮れ時に使っている。

 最初の段落は、起句から素直に延長した夕暮れの寂しげな情景描写が展開される。しかしその次の段落では、鏡に映った自分の影が次第に薄れていくと歌い、人が薄暮のころに感じるそこはかとない不安感を不気味に強調しつつ、焦点を情景から人に移していく。
 これがさらに深く広く展開されるのが次の段落。壁に掛けられた油絵を、「框をはめた追憶」、「人の記憶の図」、「心の国の山水」と形容して、絵の掛かった部屋とその絵自体を描写しつつ、同時に空想の大きな広がりを暗示して、心象の描写も並行させる。この詩人の想像力と言葉遣いの妙! 更にここに迫り覆いかぶさってくる夕闇を「黒き雪」と喩える暗い想像力のはばたきは圧巻。

 一方で、夕暮れは夜が華ひらくときでもある。静寂と闇の奥には艶かしく甘美な夜があって、夕暮れはその入り口。恋人たちは目で語り合い、毛氈の唐草紋様は彼らのいる室の情景描写であるとともに、情熱的に絡み縺(もつ)れ合う彼らの想いの交錯の軌跡でもある。
 こうしてコントラストの強い内容が語られるにもかかわらず、起句の前半が繰り返されていることで、詩の構成にぐっと一本の筋がとおり、印象が引き締まる。

 最後の段落のはじめ、「いと徐(おもむ)ろに日の光(ひかり)陰(かぐ)ろひてゆく蕭(しめ)やかさ」という句は、起句の印象をさらに強く深める。起句はあくまでも、夕暮れのある一瞬間の情景を静的に切り取ったものであるのに対して、この句は夕闇が時間の経過に伴ってより深まっていく、その過程を動的に描き出す。同時にここでも「蕭やかさ」という語が繰り返され、起句との強い連関を保っている。
 そして結句。一つの香からふたつの(ここでは「複数の」という意味でとらえるのが正しいだろう)匂いを感じるかのように、深まさりゆく夕暮れに包まれている一つの心も・・・と終わる。えこそ語らね、説明することなどできないと言っているけれど、これが何を指すかは前段までから明らかだ。明らかだけれど、それは語らない。すっと終わって広く深い余韻を残すとともに、それを香で喩えることで、薫香が立ちのぼる匂わしい色合いを添える。


 詩をこうやって解説することに意味があるのかどうかよく分からない。でも音楽を言葉で説明することが許されるなら、詩を言葉で説明しても悪いことはあるまいと思う。この詩全体に満ち満ちた、深い色合いと余韻の薫りに浸るひとときの至福。この詩集が名訳と言われる所以を、この一編の詩から存分に感じ取ることができる。翻訳が本質的に創作だということは、実際に翻訳をしたことのある人、あるいは音楽作品を別の楽器向けに編曲したことのある人ならすぐに納得がいくだろうと思う。この詩集は、古今の詩人と訳者の上田敏の想像力が共同で創り上げた、類稀な芸術の果実だと思う。
 この作品は著作権が切れているので、青空文庫全文を読むことができる。興味のある人は、ぜひ。
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by voyager2art | 2011-03-23 07:06 |

春のロンドン

 先週末の土曜日はとても天気がよくて、最近めっきり春らしくなってきたロンドンはとても明るく鮮やかに輝き渡った。イギリスは曇りが多いとよく言われるし、実際そうなんだけど、天気がいいときのイギリスは惚れ惚れするほど美しい。
 こんな日は気分転換に散歩しなきゃ、ということで、久しぶりにカメラを手にぶらぶらとロンドンを歩き回った。
 結局は写真はあまり撮らず、久しぶりの陽気をのんびりと楽しむ方が多かったけど、心身ともにとてもリフレッシュできた一日だった。

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by voyager2art | 2011-03-22 09:13 | 写真

とこしえに続く美/マシューズ & デイヴィス & ロンドン交響楽団

 ロイヤルオペラハウスからバービカンに移動して、ロンドン交響楽団の演奏会。指揮は最近ロイヤルオペラの魔笛で素晴らしい演奏を聴かせてくれたサー・コリン・デイヴィス。僕は集中力が余り長持ちしない人なので、普段はダブルヘッダーを絶対にやらないようにしている。今日は特別な機会なので例外的にやったけど、短かったとはいえ、チャリティー公演の後で集中力がもつかどうか心配だった。でも、始まってしまえばそんな心配を吹き飛ばしてくれるような素晴らしい演奏会だった。


Stravinsky: Symphony in Three Movements
R.Strauss: Four Last Songs
(Interval)
Beethoven: Symphony No.6 (Pastral)

Sally Matthews (Soprano)
Sir Colin Davis (Conductor)
London Symphony Orchestra

20th March, 2011 (Sun), 19:30 -
Barbican Centre, London


 最初のストラヴィンスキーは恐らく初めて聴く曲。僕はストラヴィンスキーのバレエ三部作の音楽は大好きでよく聴いているのに、それ以外の作品はほとんど知らない。今日の曲も、交響曲ハ長調からの連想で、新古典主義の音楽だとばかり思っていたら、聴き始めるとかなり現代的な要素の強い音楽で驚いた。
 何といっても初めて聴くので演奏の特徴をきちんと聴き取ることはできなかったけど、低音のしっかりした厚い響きはデイヴィスらしかったと思う。癖のあるリズムや不協和音で表された諧謔や、中間楽章の独特の抒情も濃厚に表現していて、面白い演奏だった。

 続くシュトラウスの4つの最後の歌。これが目当てでこの演奏会に来た。ソプラノは当初予定されていたエルザ・ファン・デン・ヘーヴァーが病気で降板、急遽サリー・マシューズに交替となった。
 この歌は本当に大好きな曲で、究極の美を具現化した音楽だと常々思っているので、演奏会でこの曲がプログラムに含まれていれば僕は優先的にその演奏会に行く。かつて同じロンドン交響楽団で聴いたこともあるし(このブログを書き始める前なので記事は無い)、昨年のプロムスでラトルとベルリンフィルが演奏したのも聴いた。

 いよいよ歌が始まる。最初の「春」で、マシューズの声に驚いた。ソプラノというより、アルトのようなしっとりと深みのある声質。非常に表現意欲に満ちた歌唱で、この歌の美しい抒情を豊かに歌い上げる。声がとにかく豊かで深いので、ソプラノと言ってもきつさや強さがまったくなく、しかも相当な声量で歌うので声はオーケストラの上を抜けてしっかり聴こえてくる。どこか遠い世界から響いてくるような印象があって、その声から時折聴こえてくる深い煌めきに心奪われる。

 色彩的な管弦楽に乗って歌われるこの歌も良かったけれど、続く「九月」は更に良かった。とてもゆっくりなテンポで、オーケストラの演奏からは匂わしい色彩の薫りがとめどなく立ちのぼる。この曲でシュトラウスは繊細極まりない譜面を書いていて、秋の黄金色の輝きや、落葉の囁きなどを鮮やかに描き出している。これを遅いテンポで演奏すると、その管弦楽の中で奏される装飾的な音符の非和声音が強調されて、ただ表面的にきれいというだけではない、えも言われぬ陰翳に富んだ深い彩りに満たされる。
 この素晴らしい管弦楽の輝きの上に、ソプラノがゆったりと自然に息づく歌を冴え冴えと歌う。力まず、演じすぎず、息の長い歌をとても伸びやかに歌い紡ぎながら、この世ならぬ美しさに満ちた初秋の輝きを描き出す。そして更にアッと思ったのは、この歌の最後でテンポと音量をぐっと落としたところ。声はもうほとんど聴こえなくなるぎりぎりで、極めつけに繊細な音楽が静かに流れ続ける。もう言葉では言い尽くせない美しさ。

 続く「眠りにつくとき」もゆったりとしたテンポで歌が心に切々と染み入ってくる。この歌ではコンサートマスターのシモヴィッチのヴァイオリンが艶やかな音色でとびきりのソロを聴かせる。もう心が溶けそう。
 そして最後の「夕映え」。ここでもテンポはとてもゆっくり。ラトルとベルリンフィルで聴いたときもこの歌はゆっくり目のテンポで演奏されていたけれど、ラトルの演奏では曲を通して一本の揺るぎない芯がしっかりと通って、極めて息の長い集中力が歌全体を貫いていたのに対し、今日の演奏はもっと自然。世界がありのままに広がって風景に満たされるように、歌が自然に流れ出て、優しく時間の中に満ち渡る。旋律と旋律の間、楽想と楽想の間にはゆたかな間(ま)がたゆたい、そこから麗しい情感が滴ってくる。至福の歌。
 この歌でも最後はソプラノが極限まで音量を落とす。もはやソロとか主役とか、そういう観念をとびこえて、声はオーケストラを艶のある輝きで優しく包みこむ。ああ、美しい。
 僕が今まで聴いたこの歌の演奏の中でも、とびきり美しい演奏だった。


 休憩を挟んでベートーヴェンの田園。これはもう、僕が何も言うことは無い。正統派の充実した響きに乗せて豊かに歌が紡ぎだされる。それを演奏するロンドン交響楽団も全く隙がない。快速の第1楽章、弱音気をつけた弦楽器が繊細な歌を奏でた2楽章、そして速いテンポで演奏された3楽章・4楽章と、見事なコントラストで構成された音楽に続いて、フィナーレはもう音楽の無垢な歓びだけがほとばしり、輝き渡る。本当にオーケストラの音が光っているように聴こえた。これぞ田園。音楽の至福のひとときだった。
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by voyager2art | 2011-03-21 09:31 | オーケストラ

あおによし/吉田都 主催 チャリティー公演

 今回の日本の地震を受けて、ロイヤルバレエの元プリンシパルの吉田都さんがチャリティー公演を開催。ロイヤルバレエに所属する日本出身ダンサーたちとともに舞台に立った。
 この企画が発表されたのは公演のわずか2日前。ロホの白鳥の湖を観て家に帰って、ネットを見ているとたまたま見つけた。会場はロイヤルオペラハウスの小ホールであるリンバリースタジオだけれど、主催は吉田都さんで、公式にはロイヤルオペラハウスのイベントではなかったらしい。もちろんロイヤルオペラハウスの全面的な協力があってのイベントのはずだけど。急な開催だったのでチケットもオンラインでは予約できず、窓口か電話でのみの発売。もう少し早く知っていたらロホの公演のときに窓口で買っていたのにと思いながら、なかなかつながらない電話で何とか予約した。

 ちなみにこんなときにどうでもいいような話だけど、僕は吉田都さんが現役のときにロンドンに来ていながら、一度も彼女の舞台を観ることがなかった。興味がなかった訳ではなくて、何度も彼女の出演する公演のチケットを買ったのに、その都度出張や仕事の都合で行きそびれていた。なので今回の機会は、僕にとっては千載一遇、一石二鳥のチャンスだった。

 今回の公演、前半は子どもたちによるヴァイオリンやチェロの演奏。恐らく数日前に急に依頼されたんだと思うけど、みんな頑張って弾いていた。えらい。この演奏が日本の復興に貢献するんだよ。
 そして後半は、いよいよお目当てのバレエ。当日発表の演目を見て、その豪華さに驚いた。もちろん一つ一つの踊りは短いけど、ずらりと並んだ名場面(知らないのもあるけど)。しかも会場は普段の大ホールではなく、小ホール。すぐ目の前で踊ってくれる。


Giselle: Peasant pas de deux (Adolphe Adam)
Akane Takada, Kenta Kura

Swan Lake: Act II pad de deux (Tchaikowsky)
Yujui Choe, Ryoichi Hirano

Qualia: Pas de deux (Scanner)
Mara Galeazzi, Edward Watson

La Bayadère: Act I Solo (Minkus)
Hikaru Kobayashi

Cinderella: Act II Pas de deux (Prokofiev)
Miyako Yoshida, Valeri hristov

20th March, 2011 (Sun) 16:00 -
Linbury Studio, The Royal Opera House, London


 蔵健太さんと高田茜さんのジゼルはとてもチャーミング。高田茜さんの清楚で初々しい踊りはいつ見ても気持ちがいい。蔵さんもサポート役に徹していたけど、その姿がとてもかっこいい。
 そして続くチェ・ユフィさんのオデットにはクラっときてしまった。余りにも美しい。彼女自身の容姿の美しさと踊りの美しさが相俟って、この世ならぬ美しさ。彼女が演じるオデットには透明な哀しみが満ちていて、それがより彼女の美しさを際立たせる。もう吸い込まれてしまいそう。
 彼女がロイヤルバレエでオデット/オディールを踊る日が早く来てほしい。


 異色だったのはガレアッツィとワトソンのQualiaという作品。日本人ダンサーたちが精神的・観念的な美を競う踊りを見せる中で、彼らの踊りは肉体そのものの美を追求したものだった。凄まじい気迫と鍛え上げられた肉体の力強さに圧倒された。
 小林ひかるさんのル・バヤデールも良かった。とても表現が濃く、前半と後半の表情の違いを見事に演じ分けていて、初めてこの人の持ち味が分かった感じ。

 そして最後の吉田都さん。ついに見ることができた。その踊りは柔らかく、軽く、そしてこの上なく可憐。短い時間の踊りだったけれど、この人が長くロイヤルバレエのプリンシパルを務めた理由がはっきりと分かった。表現はとても上品で、他の誰とも違う、きらきらと光り輝くようなその表情。しかも回転するときの足は真っすぐに伸びて美しくはっきりとした芯を形作る。
 この人の踊りを、彼女が現役のときに見ておきたかったと思うと同時に、今こうして目の前で見ることのできる幸せに酔った。


 終演後、舞台上で吉田都さんがスピーチ。日本で起こったことのショックと、被災者への応援について語った。踊った直後で息を切らしながらのスピーチから、彼女の強くて優しい人柄が伝わって来た。準備期間が本当に短かったようで、「このオペラハウスでこんなに素早く何かが起こったことは今までなかった」というのには思わず笑ってしまったけど、でもそれをやり遂げた彼女の人柄と人脈と信用の大きさを感じ取った。こういう人は本当に心から尊敬せずにはいられない。
 今日のチケット代は全て、寄付金と合わせて日本に送られるとのこと。彼女の思いが少しでもたくさん日本に伝わると嬉しいです。
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by voyager2art | 2011-03-21 09:25 | バレエ

日本の皆様に捧げられた白鳥の湖/ロホ & アコスタ/ロイヤルバレエ

 リターンでチケットを取ることのできた、ロホの白鳥の湖の公演。前日に引き続いて風邪気味で体調が良くなかったけど、見逃したくなかったので無理して行った。
 開演の直前に、芸術監督のモニカ・メイスンがマイクを持って現れた。もしや主役の交代? などと思っていると、彼女が「私たちは1975年に最初の日本公演を行って以来、何度も日本を訪れて・・・」と語りはじめてハッとした。私たちは常に被災者とともにあります、と言った後に、「本日の白鳥の湖の公演を日本の皆様に捧げます」と締めくくって幕が開いた。


Tchaikovsky: Swan Lake

Odette/Odile: Tamara Rojo
Prince Siegfried: Carlos Acosta

The evil spirit: Gary Avis

Pas de trois: Akane Takada, Deirdre Chapman, Valentino Zucchetti

Two Swans: Hikaru Kobayashi, Itziar Mendizabal



Conductor: Boris Gruzin

18/March/2011 (Fri) 19:30-
Royal Opera House, Covent Garden, London




 第1幕で印象的だったのは、前回もパドトロワで踊っていた高田茜さん。とても上手くて、その表情や動きから愛らしさが溢れ出ている感じ。でもやっぱりこの幕の主役はアコスタ。踊りが本当に大きくて力強くて華もあって、まさに宴の主役。ジャンプしても回転しても、強靭な足で盤石の安定感。すごい。
 ちなみに宴会の途中で女の子と踊る酔っぱらいおじさんは、いまいち酔い切っていない感じ。前回のコジョカルの公演で踊っていた人の方が良かった。

 続いていよいよ第2幕。オデットのロホが登場。やっぱりきれいだなあと見惚れる。コジョカルのときに心打たれた、白鳥のはばたきや美しい曲線を描く首のラインの表現はもちろんロホもとてもきれいに表現するんだけど、コジョカルのオデットが極度に繊細に内面を掘り下げていくのとは違って、ロホのオデットには耽美的な妖しさがある。物語の流れから言うとナンセンスだけれど、どこかオディールの影がよぎるような感じ。
 コジョカルの演じるオデットが、ふっと息を吹きかけるだけでも宙を漂いそうな軽さで、運命に翻弄される哀しみに満ちているとすると、ロホのオデットはもっと芯の強さがあって、過酷な運命に見舞われながらも自分自身を見失わず、強い意志で矜持を保っているという印象だった。

 休憩を挟んで3幕は、まず印象に残ったのがナポリの踊りを踊ったチェ・ユフィさん。とても素敵で、笑顔がなんだかきらきらと光っているよう。1幕の高田茜さんもとても素敵だったけど、チェ・ユフィさんはやっぱり一歩その上を行っていると思った。早くプリンシパルに上がってくれないかなと思う。

 ちょっと以外だったのがロホのオディール。もっと底の深い悪女を演じるのかと思ったら、そういう感じでもないような気がした。ただ、僕自身の体調が悪かったので、この感想にはどうも自信がない。
 踊りはもちろんきれいで、僕自身はもう白鳥の湖を口実にロホの踊りだけを観ているという感じ。例の回転は、切れ味の鋭さと恐るべき正確さで圧倒的だったし(これはアコスタもそうだった)、他にも片足でのポワント(つま先立ち)で相当長い間静止しているところがあって、これが完全にぴたりと止まって動かない。その間中ずっと会場が強烈な緊張感で満たされて、この日一番強い印象を受けた。毎回の例えだけれど、ピアノのミケランジェリのような、超人的な体のコントロール。
 4幕は残念ながら僕の集中力が切れた。物語に深く感情移入できずに、ただロホの美しい踊りを観ていたという状態。体調のいいときに観たかった。とはいえ、頭を使わずに素晴らしい踊りを観ながら、チャイコフスキーの美しい音楽に乗ってただ流されるのも、それはそれでいいものだったんだけど。

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by voyager2art | 2011-03-20 06:10 | バレエ


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