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プロモーションあれこれ

 この前ロイヤルオペラハウスのウェブサイトを眺めていてふと気付いた。バレエのメンバー表の、First Artistの名簿から高田茜さんの名前が消えている。ということは、ついに昇進が正式発表か、と意気込んでSoloistsやFirst Soloistsや、Principalsまでチェックしたけど、どこにも名前が出ていない。高田茜さんは順当に一段階昇進してSoloistになるという噂も聞いたことがあるけれど、ちゃんとした情報が知りたい。
 ちなみに名前が消えているのは高田茜さんだけでなくて、昨シーズンのシンデレラで高田茜さんと並んで四季の精で素晴らしい踊りを見せていたエンマ・マグワイアも消えている。

 ちなみにもう一人、以前から注目しているメリッサ・ハミルトンも躍進著しく、くるみ割り人形に続いて冬のシーズンのロメオとジュリエットのジュリエット役にも名前が出ている。恵まれた身体条件を活かして思い切りのいい踊りを見せる彼女なので、ジュリエットでどういう心理表現を見せるかがとても楽しみ。現在はSoloistの彼女、昇進はあるのだろうか。

 こうなると気になるのはユフィさんだけど、昇進はあるのかな? ファンとしては彼女の昇進を心待ちにしているのだけれど。


 こうやってあれこれ考えるのって楽しいなあ。
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by voyager2art | 2011-08-21 04:53 | バレエ

美女の音楽/バティアシュヴィリ & サロネン & フィルハーモニア管/Prom 44

 ストラヴィンスキーのペトルーシュカが聴きたくて出向いた演奏会。僕はストラヴィンスキーのバレエ三部作のうち、火の鳥と春の祭典は実際のバレエの舞台で観たことがあるけれど、このペトルーシュカだけは未だに機会がない。それでもこの音楽が大好きで、久しぶりのフィルハーモニア管でどんな演奏が聴けるかと楽しみに会場へ向かった。
 でも、実際に強い感銘を受けたのは、ペトルーシュカよりもその前のショスタコーヴィチの方だった。


PROM 44

Shostakovich: The age of gold - suit
Shostakovich: Violin Concerto No.1 in A minor
(interval)
Stravinsky: Petrushka (1947 version)
Tchaikovsky: Francesca da Rimini

Lisa Batiashvili (violin)
Philharmonia Orchestra
Esa-Pekka Salonen (conductor)

17/Aug/2011 (Wed), 19:30 -
Royal Albert Hall, London



 最初の曲はショスタコーヴィチのバレエ音楽「黄金時代」。初めて聴く曲で、これがバレエ音楽ということも知らずに聴き始めた。最初の鮮烈な出だしは、フィルハーモニア管らしい柔らかい弦の音だなと思ったけれど、何となく音に厚みがなくて、まだオケが鳴っていない。技術的にはもちろん上手いし整っているんだけれど、管と弦のバランスがいまいちで、少し空回り気味。でも途中からだんだん安定してきて、さすがだなと思ったのは続く(組曲の中の)2曲目。べたつかない感傷が切々と歌い上げられて、音も明るく澄んできて一気に音楽に惹き込まれる。
 心の奥の深いところまで連れて行かれて、ああと声を出したくなるほどの深い余韻に浸る間もなく、第3曲の異常にコミカルな音楽がほとんど切れ目なしに始まった。エレジーのような第2曲のあとでは、このスケルツォ(実際にはポルカと指定されているそうだけれど)は悪ふざけの過ぎる、あからさまに意図的な道化として聴こえてくる。心のうちを吐露してしまった後の照れ隠しなのか、あるいは実はまだ自分の中に生々しく残っている心の傷の痛みをごまかすための、見せかけの照れ隠しなのか。
 続く終曲も一見コミカルな表情を纏ってはいるものの、そこで語られている内容は真剣。ずっと道化としての人生を送ってきた主人公が、自身の思考回路の奥の奥まで染み込んでしまったコミカルなボキャブラリーを唯一の手段として使いつつ、とにもかくにも自分が言わなければならない切実な何かを必死に言い切ってしまったような、苦さと甘さの混じった音楽だった。技術的にも高度に安定していて、素晴らしい演奏だった。


 今まで何となく抱いていたショスタコーヴィチへの苦手意識が克服できるきっかけになるような演奏だったけれど、続くヴァイオリン協奏曲はこの作曲家の良さを一度に目の前に繰り広げてくれるような、更に素晴らしい演奏だった。

 ヴァイオリンのバティアシュヴィリは、グルジア出身と言われて100%納得できる、彫りの深い顔立ちの舞台映えする美人。オーケストラの序奏に続いて静かに入ってきたヴァイオリンの音は、重心が低くて、かつよく通る美しい音。巨大なロイヤルアルバートホールで聴いてこれだけ響くのだから、小ホールで聴いたらものすごく豊かで力強い音を持っているのではないか。
 しかし彼女は、音そのもので聴かせるだけではなく、音楽の表現自体が本当に見事だった。この1楽章では、非常に素直な音の出し方を徹底していて、細部の歌い回しを巧みに聴かせるというよりは、延々とたゆたい続ける音楽を、全く切れ目なしにひたすら歌い続ける。一つ一つの音が素直に発音され、素直に伸ばされて素直に次の音に移る。そして限りなく息の長い旋律がきちんと旋律としてつながっていく。細部にこだわらない分表情にあざとさがなくて音楽が自然に流れていた。
 とりわけ印象的だったのは、彼女が音や表情をひたすら聴き手の方に発し続けるだけではなくて、ときどき音をふっと抜いたように弾くことで音楽のベクトルを彼女の内側に向けるところ。聴いているこちらは、それまでずっと自分の方に向かって発せられていた音楽が突然反転して向こうに引いてしまうので、それにつられて更に深く音楽に引き込まれることになる。これはこの楽章だけではなくて、今日の演奏全体の随所に見られて、非常に効果的だった。とはいっても、彼女がこれを計算ずくで狙ったという印象も受けなかった。もとより何も考えずにそういうことをできるはずもないし、恐らくこの音楽の特質として彼女が本能的かつ直感的にこういう表現をつかみ取ったのだろうと思う。
 ゆっくりと静かな音楽が延々と続くうちに、次第にその長大な積み重ねから驚異的な意志の粘りも浮かび上がってきて、ずっと演奏に引き込まれたまま気が付くとこの楽章が終わっていた。

 続く第2楽章は一転して音が跳ね回る音楽。バティアシュヴィリは正確なテクニックと冴えたリズム感でこれを弾くのだけれど、音が跳ねている割には音楽は跳ねていない。そこに派手さや華やかさは一切なく、むしろその跳ねている音を通して、彼女の鋭い視線が身じろぎもせずにじっとある一点を見据えているような、絶対的で一切の揺るぎのない視点と、恐怖感すら覚えるほど沈着冷静で強靭な意志の凄みを感じずにはいられなかった。
 音楽が抽象的なので、ある人の独白を、そこに出てくる固有名詞が分からないままに傍で聞いているような印象もあって、非常に面白い。

 第3楽章は再び緩徐楽章。最初は1楽章のときと同じように素直な歌い口で演奏し始めたけれど、音楽が進むにつれて表現がどんどん柔軟になっていく。ここでは音楽は禁欲的な抒情ではなく、もっと心の内側に落ち込んでいって、痛切な甘美さに支配されていく。バティアシュヴィリのヴァイオリンには大げさなルバートがなく、テンポやリズムの変化は非常に抑制されているにもかかわらず、その表現はこの上なく繊細で表現力が豊か。まるで自分の心の中の一番デリケートな部分を直接外界にさらけ出して、そこが傷ついて血が滴るのも構わずに、愛するものへの執着、あるいは愛したものへの追憶を直に抱きかかえるような、繊細でしかも官能的な演奏。
 楽章の最後のカデンツァでは更に音楽が大きく盛り上がり、ヴァイオリン一本だけの音楽とは思えない切実さと深さと広さを表現する。気が付くと彼女のヴァイオリンを中心に大きな渦が回り始め、その渦はもはや止めようがないほどに大きくて強い確固とした流れになっているような錯覚を覚えた。その渦の流れで世界は大きく転回し、途切れることなく終楽章に入る。

 この終楽章の入りは、それまでの濃密で痛切なヴァイオリンソロを受けたスミス氏(言わずと知れたフィルハーモニアの重鎮ティンパニ奏者)の圧巻のティンパニで導入された。この導入部の演奏では、胸のすくような鮮やかさで一気に快速楽章になだれこむというのが多いのではないかと思うけれど、スミス氏のティンパニは全く違う。ずっしりと地面に腰を据えて、広大でそれまでとは全く違った豊かな世界が開かれるのを確固たる口調で厳かに告げるという感じ。世界が一気に広がるとともに、素晴らしい厚みを備えて風景を豊かに引き締める。
 その新たな世界で、バティアシュヴィリのヴァイオリンは何かに憑かれたかのような圧巻の演奏。前楽章までの強靭な意志や揺るがない視点の凄みはそのままに、さらに猛烈な激しさと推進力を加える。固唾をのんで聴き入るとはまさにこのことで、聴いている僕は身を乗り出して金縛りにあったように身動きできない。演奏はそのまま一気呵成に最後まで突き進んだ。


 僕はバティアシュヴィリというヴァイオリニストの名前も知らなかったし、今日の演奏会もペトルーシュカを目当てに聴きに行ったくらいなので、この演奏は全く予想外で、そのあまりに素晴らしさに当分興奮が冷めなかった。ヴァイオリンは詳しくない僕だけれど、ロンドンに来てそれなりにいろいろなヴァイオリニストの演奏を聴いてきて、その中でも非常に水準の高い演奏だった。32歳の若さでこの曲をこれだけ素晴らしく弾きこなす音楽性にも驚嘆。彼女の演奏はこれから機会があれば極力聴くようにしよう。
 ちなみに夫君はかの天才オーボエ奏者のフランソワ・ルルーだとか。この二人の共演も聴いてみたい。

 このあと、アンコールを一曲。誰の何という曲かは知らないけれど、素朴なワルツ。気品のある艶やかな歌い口がとても魅力的で、ときどき少女のようにはしゃぐところもあって、彼女の別の魅力を堪能。色々な曲で聴いてみたいヴァイオリニストだなあ。
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 興奮冷めやらぬまま、休憩を終えてお目当てのペトルーシュカ。さっきまでは協奏曲の伴奏ということでかなり音量を落として演奏していたオーケストラだけど、ここではアクセル全開。そしてスミス氏のティンパニもエンジン全開。高周波成分が多く、バンとよく響く音の中に音程がしっかりと鳴っている、たまらない音。ストラヴィンスキーの音楽となると、もう水を得た魚のようにバシバシと決め所をことごとく決めていく。痛快。
 でも上手いのはスミス氏だけではない。実力派のフィルハーモニア、サロネンの明快な指揮の下で、どのパートも見事にソロとアンサンブルを決めて外すことがない。音色も普段の柔らかさに、更に強い輝きを加えて冴え渡り、リズムも安定していてアンサンブルも決して崩れない。このオーケストラで聴くことの多い、上手いけれども落ち着きすぎてしまった演奏では全くなく、今日はオーケストラが非常に充実した自主性を発揮していた。

 ただ、今日の演奏にはちょっと独特の印象もあった。サロネンは各楽器の間の関係を、今まで聴いたことのないようなバランスで構築していた。だから、今まで主旋律だと思っていた音が裏に回ったり、こんな音があったのかという思うようなのが表に出てきたりと、最初から最後まで常に発見があった(ただしこれは、版の問題なのかもしれない)。
 そして、何よりも独特だったのがその音楽の方向性。明快な指揮棒さばきで楽譜の隅々まで明確かつ正確に音にして、一点のごまかしもないのは指揮者とオーケストラ奏法の水準の高さの証明だろうと思う。その上で、今日の演奏には、都会的に洗練されてしまった先の居心地の悪さのようなものを感じさせるところがあった。これはネガティブな意味で言っているのではなくて、そういう表現をこの音楽に与え得ることが僕には新しかったという点で、非常に興味深かった。子供向けの素朴な歌の断片でさえ、コンピューターで正確に制御された演奏のように聴こえて、曖昧さはないかわりに僕のような古いタイプの人間が慣れ親しんだ人の素朴な暖かみもない。現代的に洗練され、必要な全ての機能が洒落たデザインで実装されたオフィスビルにいるような、そこはかとない不快感や不安と一体になった快適さ。
 かつてサロネンの指揮するフィルハーモニアで春の祭典を聴いたときは、まさにこの特徴ゆえにその演奏に全く共感できなかった。しかし曲目がペトルーシュカとなれば、その特徴が音楽に不思議な洞察を与えるのが面白い。現代の都会に舞台を移し替えた演出でこの演目を「観て」いるような、そんな印象的な演奏だった。
 

 最後はチャイコフスキーのフランチェスカ・ダ・リミニ。(いつものことながら)不勉強なことに、この曲の元となったダンテの「神曲」は読んだことがないし、実はこの曲自体いままで録音ですら聴いたことがなかった。どんな曲かと楽しみに聴き始めたけれど、どこかに旋律を置き忘れてきたかのような音楽で、普段聴くチャイコフスキーの音楽に濃厚に漂う、旋律の魅惑が全くない。オペラで歌手が不在のままオーケストラだけで演奏しているような物足りなさが作品のほとんどを覆っていて、演奏レベル自体は高かったものの、音楽を楽しんだとは言えない。この曲が滅多に演奏されない理由は明白だし、今日の演奏会でわざわざこの曲を最後に置く必要性は僕には理解できなかった。レベルの高い演奏会だっただけに、この一曲は蛇足だったという印象を拭えない。

 
 最後だけちょっとがっかりしたとはいえ、とにかく盛りだくさんで極めて充実した内容の演奏会だった。最近ぱっとしない演奏会が続いていただけに、地元のオーケストラで素晴らしい演奏を聴けたのは嬉しい。同時に、フィルハーモニア管のレベルの高さを再確認した演奏会でもあった。聴きに行って本当に良かった。
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by voyager2art | 2011-08-18 10:20 | オーケストラ

ウェールズ旅行(第三日:スランヴァイルとバンガー)

 スノードン登山の翌朝は、さすがに疲れも残っているのでゆっくり目の朝食を摂り、そのあとバス停へ。ホリヘッド行きのバスに乗り込んだけれど、行き先は終点のホリヘッドではなく、バンガーから橋を渡ってアングルシー島に入ってすぐの街、スランヴァイル。ここは初日の最後に列車で通過した、例の世界最長の名前を持つところで、スランヴァイルはその略称。団体の旅行客がバスで乗り付けては、盛んに写真を撮ってすぐに立ち去っていく。
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 ちなみに、スランヴァイルの名前が世界最長といっても、正確には「一語では世界最長」の名前を持つ街。複数の語を許容すると、例えばタイのバンコクは「クルンテープマハーナコーン アモーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロック ポップノッパラット ラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェート マハーサターン アモーンピマーン アワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット」という非常に長い名を持つ。(そして実はタイ人はバンコクを「クルンテープ」と呼ぶ。)

 ここでも古代遺跡を目指したけれど、何といってもメインストリートが1kmもないような小さな街なので、街の地図などはツーリストインフォメーションに行っても存在しない。ツーリストインフォメーションのお兄さんに遺跡への道を訊いてから出かけてみたけれど、メインストリートを少し離れると周囲は急に何も無くなり、「ここで左に曲がって」と教えてもらったその場所すらよく分からない。とはいえ、この街自体の穏やかで落ち着いた雰囲気と、その周囲に広がる平和な景色は、どんよりと曇った空の下でさえ何か深いところで僕を安心させてくれる表情を持っていた。
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 結局道が分からず、一度ツーリストインフォーメーションに戻って、タクシーを呼んだ。アングルシーには無数の古代遺跡があるとは言うけれど、実際にそこへ行くには情報が極めて少ない。現実的にはタクシーを使う以外に方法がなく、かなり不便。
 そうやって辿り着いた遺跡はBryn Celli Dduという場所で、タクシーの運ちゃんによれば人気のある場所なんだとか。近くの学校の遠足でここまで来たりすることもあるらしい。牛に出迎えられて、遺跡へ続く細い道を歩く。
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 この遺跡は、4千年前に作られた石室を縮小して再現したミニチュアだということだった。それでも大人が中に入れるだけの大きさがある。ここも、死者を埋葬する場所だったらしい。今は石組みしか残らない(それすら縮小された模型だ)この場所で、4千年前の人々はどのような言語で何を語り、どのような考えでここに石室を設けたのだろう。茫々たる長い時を隔てて、時代も土地も文化も風習も、何から何まで僕とは違う人たちによる営為ではあるけれど、親しかった人の死を悼み、弔う心には何の差異もない。
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 周囲にはいかにもウェールズらしい風景が広がる。この穏やかな心地よさが何とも言えない。
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 この日は今回のウェールズ旅行の最終日。ここまでで予想外に長い時間を費やしてしまったので、一度バンガーに戻って、街をのんびりと歩き回ることにした。

 このバンガーには、街の規模からすると随分大きな大学があり、そのせいかメインストリートもなかなか栄えている。
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 バンガーだけに限った話ではないけれど、ここでも街にはウェールズ語があふれていて、本屋にはウェールズ語の絵本まである。ほとんどの人たちは英語を話しているけれど、時おりウェールズ語での会話が聞こえてくることもあり、アイルランド語などと違って現実に生きている言葉という印象を受けた。
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 最後は隠れ家的なカフェで一休み。こんなカフェがロンドンにあれば入り浸りになるのにと思うような素敵な雰囲気の場所で、ゆったりとくつろぎながら友人と様々なことを話し込んだ。
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 夕方になって、泊まっていた宿に預けていた荷物をピックアップし、列車に乗ってロンドンに帰って来た。遺跡に山に街に人、懐の深い歴史と豊かな自然の香りの余韻にいつまでも浸り続けていたくなるような、短くはあっても印象的なウェールズの旅だった。
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by voyager2art | 2011-08-12 06:51 | 旅行記

ウェールズ旅行(第二日:スノードニア国立公園)

 ウェールズ旅行の二日目は、今回の旅の中でも一番の大イベントである、スノードン登山。ウェールズにある三つの国立公園のうちの一つ、スノードニア国立公園には、ウェールズ最高峰のスノードン山がある。最高峰とはいっても標高は1085mで、一般の人にも人気のある登山コースになっているとか。山登りをすることは、一緒に行った友人にとって今回の旅の一番の目的だったので、前日から綿密にバスのルートや時刻表を確認して、登山道の出発点であるスランベリス(Llanberis)の街へと向かった。
 ちなみに山登りをするにあたって、何より心配だったのは天候。イギリス人の同僚に聞いたところでは、天候の悪い英国の中でもウェールズは特に悪天候で有名だそうで、実際僕たちがウェールズに向かう前日まで、天気予報は雨だった。とはいえイギリスの天気予報は全く当たらないので、僕は晴れ男だという、イギリスの天気予報並みに根拠のない事実に望みを託して、現地へ向かった。結果は、すっきり晴れとは言えないけれど、雲の合間から青空ものぞくなかなかの天候。我ながら自分の晴れ男ぶりに感心。

 スランベリスからは、地図がなくてもすぐに分かる登山道がスノードン山の山頂まで続いていて、美しい風景を眺めながら登山を楽しむことができるほか、街と山頂を結ぶ登山列車も走っている。歩くか乗るか、誘惑に満ちた選択にあっさり陥落しそうになった僕の心のうちを見透かしつつ、友人がきっぱりと提案。「歩きませんか?」
 はい、歩きます。

 登山道の最初はなかなか斜面がきつくて、その分すこし歩いただけでぐっと見晴らしが良くなる。ついさっきまで登山列車に未練たらたらだったのも忘れて、風景の広がりを楽しむ。
 ウェールズの風景は緑が本当に豊かで、そこを縦横に石組みが這い回る。石組みは草原をいくつもの領域に区切り、それぞれ羊の区画、牛の区画というように分けられているようだった。気まぐれに陽の光が差し込んでくると、草原の風景の色彩と輝きが一層際立つ。
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 登山道は登山鉄道の線路に沿って延びていて、時折ゆっくりと走る登山列車に追い越されていく。
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 ガイドブックによれば、この登山にかかる時間は往復で約6時間。1時間半ほど歩き、もう案外6〜7割は来たんじゃないかと思い始めた頃、道沿いにカフェがあったので一休み。ちょうど小雨が降り始め、気温が下がってきて少し寒さを感じていたので、温かいスープとお茶で体を温める。麓のスランベリスで入手した地図を広げると、いまいる場所が"Half way cafe"ということが発覚。なに〜、まだ半分なのか?
 友人と二人で少しがっくりしながら、雨も上がったので道を続ける。
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 実を言えば、この日僕たちは自分たちの目指すスノードン山が一体どの方角にあるどの山なのか、分からないまま登り始めていた。その理由は、最初のうちは登山道から山頂が見えないからだったのだけれど、その後も山頂に雲が掛かっていたために結局最後まで山頂の正確な位置がよく分からないままだった。山頂以外の場所は雲間から日も射すお天気なのに、山頂だけは常に雲がかかったまま。先ほどのカフェを過ぎてから急に登りがきつくなった道をゆっくりと辿りながら、なんとか雲が晴れてくれないものかと祈りつつ次第に高いところへと登っていく。
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 結局雲は晴れないままで、その雲の中へと進んでいくことになった。僕の晴れ男も所詮はここまで。そして、この最後の一丁場が、本当に苦しかった。ありったけの防寒具を着ていても寒くて手の感覚はなくなってくるし、雲の中なので髪の毛に水滴が溜まって滴ってくる。雲に入ればすぐに山頂があると思っていたのに、実際にはかなりの距離を歩かなければならず、雲の中に入ってから自分が30分ほど歩いたのか、それとも既に1時間くらい経っているのか、それもよく分からなくなってきた。雲の中で岩がごろごろと転がっている風景はこの世ならぬ雰囲気を漂わせていたけれど、それを眺める余裕もだんだんなくなってくる。やっとのことで山頂にたどり着いたときにはへとへとになっていた。山頂のビジターセンターで暖かい食事とお茶にありついたときには心底ほっとした。
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 こんな天候でも人がたくさんいるビジターセンターで少し長めに休憩したら、まだ雲がかかったままの山頂から下山。ビジターセンターから外に出ると、うー、寒い!
 でも登りと違って、下りは本当に楽。おまけに少しずつ雲の間から景色が広がってくるのを眺めるのも楽しかった。
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 登り切るまで4時間かかった道のりも、下りは早足で2時間ほど。麓近くのカフェでまた休憩を取り、そのカフェの古い家屋の落ち着いた雰囲気を楽しんだり、ウェールズ名物というフルーツケーキのおいしさに驚いたりしながら、心身ともにリラックス。
 その後はスランベリスからバスに乗って、カナーヴォンの街を経由してバンガーに戻った。


 普段運動をしない僕にとっては本当にきつい登山だったけれど、そんな僕でも何とかこなせる程度のコースだったスノードン登山。クタクタにはなったけど達成感は大きかったし、何より風景が素晴らしかった。本当に素敵な一日だった。
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by voyager2art | 2011-08-11 08:35 | 旅行記

ウェールズ旅行(第一日:ホリヘッド)

 大事な友人が来月日本に帰国するのを前に旅行を計画して、ついでに僕も一緒にどうかと誘ってくれた。友人は古代遺跡巡りと山登りがしたいということで、行き先は相談の上でウェールズに決定。出発直前になって最低限の行き先や宿をバタバタと決めた他は、かなり大雑把な計画のまま、いざ出発。とりあえず初日は、ウェールズの西北端にあるホリヘッド(Holyhead)という街へ向かった。一度チェスターという、ウェールズとイングランドの境界に近い街で列車を乗り換える。
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 途中列車が遅れて、結局ロンドンから5時間ほど掛かって目的地のホリヘッドに到着。ホリヘッドはアイルランドのダブリンへのフェリーが発着する港街で、気取らず明るい表情の、のんびりした雰囲気の漂う街。
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 ここでパブに入り、お昼ご飯にフィッシュアンドチップスを選んだ。お腹が空いていたので写真も撮らずに食べ始めたけれど、チップスはともかく、魚のフライの方はサクサクの衣としっとりした白身の魚がとてもおいしかった。

 お腹が満たされたらぶらぶらと街歩き。といっても、大きな街ではないので、メインストリートはちょっと歩くと終わってしまう。その外れには、ローマ時代の砦跡があり、今はそこに教会があった。
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 さて、ここからが難題。このホリヘッドがあるウェールズのアングルシー島には、古代の遺跡が無数にあるそうで、ホリヘッドの近くにも3千年から4千年前に作られたスタンディング・ストーンの遺跡がある。ここへ行くための情報を得ようと四苦八苦し、ようやくローカルバスも通らない場所だと分かってタクシーに乗り込んだ。向かった先はPenrhos Peilwという場所。

 ホリヘッドの街から離れて、車がすれ違うのも苦労しそうな細い道を進むと目指す遺跡があった。ちょっとした民家が建っているそばの草原に石の板が二本、地面に突き立っている。周囲は吸い込まれそうなほどに静かで、風の音が時折止むと、あたりはすっと完全な静寂に落ち込む。サイトからはホリヘッド山がよく見え、独特の威厳のある姿でこのサイトを見下ろしている一方で、ぐるっと後ろを振り返るとわずかに海も見える。
 広い空間の中に唐突に立つ二本の石は、人工的でありながら、当たり前のようにこの風景を自然に構成しているようにも見える。この二本の石は、いったい何を象徴していたのだろう。僕には何かの門をかたどっているようにしか見えなかったけれど、だとすればいったい何を区切り、何をつないでいたのだろうか。広い静寂の中で神秘感を纏って立つその姿からは古代の人々の精神の営みが垣間見える気がして、この場所自体の不思議な雰囲気を一層謎めいたものに深めていた。
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 ここは、今回のウェールズ旅行の中でも一番印象に残った場所だった。

 この次の目的地に向かおうと、先ほどのタクシーのドライバーにもらっていたタクシー会社の番号に電話して、タクシーを呼んだ。ところがここで問題が発生。タクシー会社の人にどんなに一生懸命説明しても、僕たちが今いる場所を理解してもらえない。少し離れた場所にキャンプ場があったので、キャンプ場の近くだと言っても、「アングルシーにはキャンプ場がたくさんあるのよ」と言われる始末。これには本当に困った。街まで歩いて帰ると1時間近く掛かりそうな場所で、歩けなくはないとはいえ、できれば歩くのは避けたい。
 仕方ないので一度電話を切り、キャンプ場の名前を確かめようとそちらへ向かって歩き始めたとき、驚くべきことにこのサイトへ来たときに乗ったのと同じタクシーが、なんと目の前に現れた。まるで出来損ないのコメディーのような話だけれど、運ちゃん曰く、ちょうどキャンプ場へ客を送っていった帰りなのだとか。あまりの運の良さ、タイミングの良さに苦笑しながらも、ほっと安堵して次のサイトへ向かった。


 次に向かったのは、Trefignath burial chamberと呼ばれる場所。作られたのは4~6千年前と推定されていて、埋葬用の石室("burial chamber")が時代の経過の中で3つ作られた。今残っているのは、その中のもっとも新しいもの。
 この場所は車道脇にあり、すぐ近くに何かの工場や鉄道の線路もあるので、さきほどの場所のような神秘感はもうない。それでも、非常に整った構造物からは、古代の人々の精神活動の痕跡がかすかに読み取れるようだった。
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 このサイトの周囲の風景はこんな感じ。この場所を正確にタクシー会社に伝えられる自信は全くなかったので、あらかじめタクシーの運ちゃんに、30分後にここに戻って来てもらうように伝えていた。
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 時間通りに戻って来たタクシーに乗って鉄道駅に戻り、宿泊地であるバンガーに向かう列車に乗り込んだ。

 この列車移動で、僕は一つどうしてもやりたいことがあった。それが、この写真を撮ること。
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 この駅は、世界で一番長い名前を持つ。Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogochはランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホと読み、ウェールズ語で「赤い洞窟の聖ティシリオ教会のそばの激しい渦巻きの近くの白いハシバミの森の泉のほとりにある聖マリア教会」という意味なのだとか。実は昨年アイスランドの火山噴火で欧州の空港が軒並み閉鎖され、空路移動が大混乱に陥ったとき、僕は仕事でアイルランドのダブリンにいた。仕事が終わってさあ帰ろうと思ってもフライトはキャンセルされていて帰れない。代替手段としてフェリーでホリヘッドに渡り、鉄道でロンドンまで帰ってきたのだけれど、そのときにたまたま目にしたこの駅名に、思わず我が目を疑った。あまりにも意表を突かれて写真を撮ることもできなかったので、いつかここに戻って来たいと思っていた。
 この場所には今回の旅の中でもう一度戻って来たけれど、その詳細はまた後の記事に書くことにする。
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by voyager2art | 2011-08-10 08:30 | 旅行記

イギリス気質/マッティンペルト & ラニクルズ & BBCスコティッシュ/PROM 27

 またプロムス。実際にはプロムスだけでなくマリインスキー劇場のバレエのロンドン公演も観に行ったりしているけれど、記事を書くのはまた来週(の予定)。今日は何といってもシュトラウスの4つの最後の歌が楽しみで選んだ演奏会。この曲は僕の一番好きな歌曲で、このブログにも既にいくつかのレビューを載せている。プログラムにこの曲が含まれている演奏会は、なるべく優先して行くようにしているくらいのお気に入り。

Prom 27

Robin Holloway: Fifth Concerto for Orchestra (world premiere)
R. Strauss: Four Last Songs
(interval)
Brahms: Symphony No. 2

Hillevi Martinpelto (Soporano)
BBC Scottish Symphony Orchestra
Donald Runnicles (Conductor)


 最初のホロウェイ。管弦楽のための協奏曲第5番。ホロウェイという人は名前も曲も初めて聞くし、この曲自体も世界初演。どんな音楽かと楽しみに聴き始めたけれど、これがとても艶やかで色彩的な響きで始まった。明確な旋律感や和声感はなく、まるで天地創造の直後、まだ天と地が分離する前の、何ものかがエネルギーの塊として宙を漂っているような感じ。そこには明確な動きがあって、あっちへ向いたりこっちへ行ったりと半ば無秩序に変容しているけれど、方向感はない。時おり、淡い色彩の泡があたり一面に涌き上がってくるような響きもあったりして、無秩序と秩序の狭間のような音楽だった。
 これに続く二曲目は、天と地が分離し、大地が陸と海に別れた直後の若い世界のようなイメージ。動物や人間がまだ現れる前の静かで明るい世界を、できたばかりのせせらぎが瑞々しい音をたてて飛沫を輝かせながら流れていくような、清冽な印象の音楽だった。先の楽章に比べるとぐっと旋律感は増すけれど、それは確立されて成熟した音楽理論に基づく旋律感ではなくて、もっと原始的で直截的な歌心の発露という感じ。爽やかで心地良い。
 これが三曲目になると、ぐっと世界の秩序ができあがってくる。まだまだ背景は混沌としているけれど、その中に明確に5度音程や倍音列が提示されて、はっきりと秩序への指向が見える音楽。音楽の中に現れる様々な要素が、それぞれの間でローカルな秩序を構築し、それが集積して世界全体に大きな枠組みが育ってくる。世界が、子供から青年へと成長していくような印象。
 最後の4曲目はかなり激しい音楽で、その激しさは嵐のような自然現象としての激しさではなく、明確な意志の存在に裏打ちされた、精神の主体性に支配された音楽。作品としてもうまくクライマックスを形成して、盛り上がって終わった。
 何か創世記を音楽によって紐解いているような、面白い曲だった。



 続いてシュトラウス。最初の「春」は相当速いテンポで始まった。短い序奏に続いて入ってきたマッティンペルトのソプラノは、やはりホールの大きさもあって、非常に聴こえにくい。そして、その聴こえにくさの合間から聴き取れた歌は、音程が相当甘かった。僕は別に歌に音程を厳しく求める方ではないと思うけれど、それでもやはりある程度の精度は欲しいと思うし、その点では今日の歌はあまり感心しなかった。ただ、上手くはまると声自体はとても艶があって輝かしく、しかも心地良い引っ掛かりのある手触りがあって、とてもきれいだった。
 ただ、何よりも残念だったのは演奏のテンポが余りにも速すぎたこと。なんだか歌の美しさが端折られてしまったような、欲求不満のたまる演奏だった。一つ一つの旋律の歌わせ方や、オーケストラ全体での音色や響きの雰囲気の作り方はとても巧みなんだけれど、それが音楽全体の表情にうまくつながらない。僕は別にテンポ設定が極端でも、そこに新たな発見があるなら支持するのだけれども、今日の演奏では損なわれるものの方が多かったように思う。この印象は続く「九月」でも同じで、弦楽器の落葉を現す音型などは美しく強調されていて良かったけれど、そして演奏の水準はとても高かったけれど、印象に残りにくい結果となってしまった。たとえ他と比べて代わり映えのしない演奏になったとしても、ここはたっぷりと音楽自体を歌わせて演奏した方が、曲の魅力がより引き出されていただろうと思う。
 次の「眠りにつくとき」もやはり速めのテンポだったけれど、途中のヴァイオリンソロが実に素晴らしかった。この音楽の持つ明るく深い感傷とノスタルジー、そして艶のあるしっとりした響きの美しさが、速いテンポながらゆったりした音楽として切々と歌われる。これを受けるソプラノも素晴らしい歌唱で、この歌曲の今日の演奏の中では一番良かった。

 最後の「夕映えの中で」は、打って変わって遅い始まり。遅いだけでなく、響きもぐっと弱く、くぐもっている。僕はこの曲に、アルプスの山々が鮮やかな橙色の夕日を浴びて、精妙な紫色の夕空を背景に佇む風景の印象を抱いていた。ところが今日の演奏は、目の前に見るアルプスの風景の描写ではなく、過去に見たアルプスの風景の追憶のような、記憶の中の遠い風景。そこには、雄大な自然の中の吹っ切れた明るさではなく、払っても払っても拭いきれない重苦しさ、陰鬱さの気配が漂う。
 この演奏の暗さは僕には驚きで、こういう演奏を想像したことがなかったので、久しぶりに訪れたお気に入りの街がいつの間にか荒廃してしまっているのを見るような、何ともいえない苦さを感じた。曲の終わりも、黄昏の光の中に思念が溶けていくという印象ではなく、深い淵の中に沈んで闇に消えていくような感じ。
 ソプラノが高音を出すときに、物理的な発声に集中するあまり声や音程が荒れたところがあったのは惜しかったけれど、僕が今日の演奏に入り込めなかった原因はそれではない。オーケストラはもとより実力派なので、指揮者の要求に十全に応えていた。僕にとって問題だったのは、その指揮者の指揮の方だった。悪い演奏だったというのではない。僕がこの曲から聴きたいと思っていたものが聴けず、まさか聴くとは思っていなかった(そしてできれば聴きたくなかった)ものが聴こえてきたのが少々ショックだったということだ。



 休憩を挟んでブラームスの2番。これも速いテンポでの演奏だった。ちょっと特徴的だったのは、特に木管楽器の旋律で、スラーの切れ目に明確な区切りを入れたこと。楽譜通りといえばそれまでだけれど、いかにもわざとらしくて音楽の流れを阻害してしまう。それを除けばよく歌う演奏だっただけに、余計にその不自然さが強調されてしまった。
 しかしそれを除けば演奏の質はかなり高く、アンサンブルの乱れはそれなりに見られたものの、美しい響きと積極的な表現意欲からオーケストラの上手さがよく伝わってくる。ただ、ここでもやはり吹っ切れた何かがない。非常に前向きに突っ込んだ表情付けをしていてすら、そこに重さ、暗さの気配を感じずにはいられなかった。ここでもまた、特に何かが悪いという訳ではない。むしろこれは、ドイツ系とイギリス系の人々の性向や気質の違いなのではないかという気がした。ドイツ人は真面目というけれど、同時に森の奥深い暗闇に根を下ろした、肉太で深いロマンティシズムも持ち合わせているように思う。それが典型的に現れるのがシューマンであり、ブルックナー(ブルックナーはオーストリア人だけど)なのではないか。一方のイギリス人には、(異論を承知で書けば)独特の禁欲的な生真面目さがあって、その抒情はメランコリーよりもノスタルジーに傾斜する。同時に、音楽が盛り上がるところでも、ドイツの楽団なら音楽を力強く高らかに(多少の悲愴味を込めて)歌い上げるところが、今日の演奏は真面目に思考を掘り下げて行くような、正反対のベクトルを感じた。

 繰り返すけれど、演奏の質は技術的にも表現意欲の面でもかなり高かった。とくに3楽章全体の表現の広がりや、4楽章の力強いクライマックスは見事だった。その上で、ステレオタイプな偏見かも知れないけれど、これほど何度も演奏された曲でもこういうお国柄が演奏に現れるということが興味深かった。
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by voyager2art | 2011-08-05 08:43 | オーケストラ


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