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お祝いのお祭り/プラシド・ドミンゴ・セレブレーション/ロイヤルオペラハウス

 チケットを買ってからずっと楽しみにしていた、ロイヤルオペラハウスのドミンゴの特別公演。ロイヤルオペラのドミンゴの公演は、去年の3月のタメルラーノ(ヘンデル作曲)を観に行ったのに、当のドミンゴが手術のため降板してしまって聴きそびれてしまった。それ以前にもドミンゴの実演に接したことはなかったので、今日になってようやく、彼の舞台を初めて観ることができた。
 ちなみに今日の公演は、正規のオペラ公演ではなくドミンゴのロイヤルオペラデビュー40周年を記念した特別公演で、ヴェルディの3つのオペラから見せ場を一幕ずつ上演するという変則的なもの。2回だけの公演なのでチケットの争奪戦も激しく、発売日に真っ先に押さえた。先日のリングサイクルのチケットと同じく、ロイヤルオペラハウスの年会費を払っていて本当に良かったと思える瞬間だった。


Plácido Domingo Celebration

Antonio Pappano (Conductor)
Royal Opera Chorus
Orchestra of the Royal Opera House

30th October, 2011 (Sun) 15:00 -
Royal Opera House, London




Verdi: Otello (Act IV)

Otello: Plácido Domingo
Desdemona: Marina Poplavskaya

Emilia: Hanna Hipp
Iago: Jonathan Summers
Cassio: Pablo Bemsch
Lodovico: Paata Burchuladze
Montano: Jihoon Kim


 最初のオテロ。僕はそれほどオペラを熱心に観る方でもないし、特にヴェルディを始めとするイタリアオペラはほとんど観ないので、オテロの音楽を聴くこと自体がほぼ10年ぶり。しかも音楽どころか物語の筋までほとんど忘れていて、ほとんど白紙の状態のまま幕が上がってしまった。
 でも、始まるとこれが引き込まれる。オテロはヴェルディの中でも音楽がしっかりしているし、デスデモーナのポプラフスカヤも調子が良さそうで、以前聴いた皇帝の花嫁のときは音程が不安定で冴えなかったという印象だったけど、今日はドラマティックな表現力がずっと冴えていた。しばらくデスデモーナの場面が続いた後に、いよいよドミンゴのオテロ登場。最初のフレーズは"Si." (英語のYes)この声がしっかりと客席まで通って響いてきたのに驚いた。

 正直に言うと、僕は今日の公演を、ドミンゴを"観る"ための公演だと思っていた。何といっても彼ももう70歳だし、いくら何でももう声を聴かせられる年齢ではなかろうと思っていた。とはいえ彼は押しも押されもせぬスーパースターで、全盛期の彼の圧倒的な歌声は録音を通してずっと親しんできた。オペラに興味を持つ者としては、一度は彼の実演に接しておきたいという、ほとんどアリバイ作りくらいのミーハーな動機で足を運んだ公演だった。
 ところが実際に聴いた彼の声は、往年の圧倒的な声量はない(録音を聴いた限りでの想像だけど)にしても、周囲の一級の歌手陣に全く引けをとらないどころか、ドミンゴ節と言う他ないような独特の声色と歌い回しがまだまだ健在で、舞台上であっという間に彼の世界を作ってしまった。最近ではテノールではなくバリトンのレパートリーを中心に歌っているというから、声も衰えているのかと思いきや、張りのある明瞭な高音域は一級品。中音域から低音域にかけては、力が入らず声を支え切れていないという印象があったけど、ここ一番というところは完璧に決めていって、もう最初から僕は引き込まれっぱなし。舞台上の存在感や演技力もさすがと言う他なくて、純粋にオペラ公演として心から楽しんだ。

 音楽的に言えば彼はもう新しい表現を試すとかそういう感じではなくて、今まで作り上げたスタイルの中で自在に役を演じているという印象。やや型にはまったような印象もあったけれど、その型自体がドミンゴ独自の世界として彼の魅力になっているので文句はない。見る者を強く惹き付けずにやまない彼の舞台を生で観られたことに、そして彼が今の年齢でまだその魅力を保っていることに、僕は感激した。
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Verdi: Rigoletto (Acto III)

Rigoletto: Plácido Domingo
Gilda: Ailyn Pérez
Duke of Mantua: Francesco Meli
Sparafucile: Paata Burchuladze
Maddalena: Justina Gringyte


 続くリゴレット。これも昔観たことがあったような気がするけど、全然覚えていない。これはドミンゴも最初に少しだけ出てくるけれど、途中の主役は何といってもマントヴァ公爵。この役を歌ったフランチェスカ・メリが、これぞイタリアのテノールという輝かしい歌声で、女たらしのバカ男を見事に歌い切っていた(注:褒め言葉です)。他の脇役陣もいい歌唱でぐっと舞台を引き締めて、最後にいよいよドミンゴ登場。短い場面だったけれど、娘を失う父親の絶望と悲嘆の表現は濃く深く、声も演技もオテロに比べて表現力が更にはっきりと増している。こちらもぐっと引き込まれて、完全にドミンゴの世界に籠絡されて幕。いやー、ドミンゴ凄い!
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Verdi: Simon Boccanegra (Act III)

Simon Boccanegra: Plácido Domingo
Amelia: Marina Poplavskaya
Gabriele Adorno: Francesco Meli
Jacopo Fiesco: Paata Burchuladze
Paolo Albiani: Johathan Summers
Captain: Lee Hickenbottom


 最後のシモン・ボッカネグラ。これはオペラを観たことさえなかったけど、暗くて引き締まった舞台と音楽が最初から素晴らしい。ここでのドミンゴは(元の物語を僕はよく知らないのだけれど)老いた権力者が死にゆく様を陰翳深くドラマティックに表現していて、もうあっという間に再びドミンゴ・ワールド。ついさっきバカ男を歌っていたメリが今度は神妙に娘婿のアドルノを歌っているのはご愛嬌だけれど、ポプラフスカヤもいい歌で、ブルチュラーゼのフィエスコも素晴らしい。全体としては短い幕だったけれど最後までずっと緊張感が途切れずに深まっていく。素晴らしい歌を歌い続けたドミンゴ、最後はあっと驚くような見事な(?)倒れ方で息絶えた。
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 公演全体として、彼の舞台姿は存在感の重厚さが際立っているのだけれど、一方で声は明るく明瞭な歌い口なので、とても若々しく爽やかな印象を残す。だから、今日の演目の一つ一つはとてもシリアスで悲劇的な内容だったにもかかわらず、観終わった後には「オペラを観た」という何とも言えず気分の良い満足感が胸に残った。そして今日は何より公演自体がお祭り公演だったので、会場の雰囲気も普段とは全然違う。みんなドミンゴが好きで、彼の舞台を観ることが幸せで仕方ない人たちばかり。終演後のブラボーはいままでロイヤルオペラハウスで経験したことがないくらいの勢いで、ドミンゴも何度も何度もカーテンコールに呼び出されては、嬉しそうにお辞儀をしていた。
 やっぱり彼はスーパースターなのだと納得した。もう本当に、最高に楽しいひとときだった。
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by voyager2art | 2011-10-31 08:22 | オペラ

リッチモンドの秋の日

 外に出ると明るい日差しが眩しくて目を開けていられないくらい、とても天気のよかったこの週末。先日のかんとくさんの記事に惹かれて、リッチモンドに行ってみようと出し抜けに思い立った。リッチモンドはロンドンの南西の結構遠いところにあって、北ロンドンの我が家からはかなり遠いけど、普段よく行くハムステッドヒースやハイドパークとは少し気分を変えたかった。

 リッチモンドに着いてみると、ロンドンというよりイギリスの地方都市という雰囲気。リッチモンドの手前のキューガーデンまでは行ったことがあったけど、そこから一駅先へ行くだけでこんなに雰囲気が違うというのが面白かった。
 駅からぶらぶら歩きながらリッチモンドパークへ向かうと、意外にも(というと失礼か)小洒落た店が並んでいたりして、天気のよさも相俟ってやけに浮かれた気分になってきた。

 少し歩くと見晴らしが開けてきて、そのまま歩くとリッチモンドパーク。何も下調べせずに来たのでどこに何があるのかも分からず、その広さに途方に暮れた。これじゃ旅人失格だなと思いながら、気の趣くまま足の向くまま、気持ちのいい公園をあてどなく歩き回った。
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 かんとくさんの記事を読んで、僕も見てみたいと思っていた「彼」がいた。
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 実際に見ると「彼」はとても大きくて、正直に言うと、恐い。その彼、明らかに僕を認識していて、間合いを見計らっている。根性無しの僕は恐れをなしてしまって、正面からカメラを向ける勇気もなく、敵意はありませんよ、と不審な笑顔を浮かべつつその場を立ち去って、遠く離れたところからようやくレンズを向けた。

 そのあとはまたぶらぶら。
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 とても気持ちのいいひとときだった。また来よう。かんとくさん、素敵な場所を教えて下さってありがとうございました。
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by voyager2art | 2011-10-25 08:17 | その他

指輪

 来年の今ごろ、ロイヤルオペラハウスでワーグナーの「ニーベルングの指輪」が上演される。指揮がパッパーノというだけでも楽しみだし、ターフェルのヴォータンをはじめ歌手陣もなかなか充実しているように見える(僕はオペラに疎いので歌手の名前をあまり知らないけれど)。
 この指輪、来年の秋に4サイクル上演されるのだけれど、その各サイクルの通し券が今日発売になった。といっても今日はまだ一般発売ではなく、年会費を払っているフレンド会員向けの優先発売。高い会費を払っている上級の会員の人たち向けには数日前から発売になっているけど、僕は一番下っ端の会員なので、今日の発売で全力を尽くして安い席を狙った。
 ロイヤルオペラハウスの安いチケットを取るにはそれなりの小技も色々とあって、それらを駆使しながら朝から頑張り、一番安くてそこそこよく見える席を無事に確保。いやー、良かった。

 夕方になってロイヤルオペラのサイトをもう一度のぞいてみると、指輪のチケットはもう大半が売れてしまっていた。これだけオペラが日常的に観られるロンドンでも、やっぱり指輪は特別らしい。


 ちなみに、指輪はサイクルで4作品全てを観なければ意味がない。そして指輪を観るときは物語の構造やライトモティーフをそれなりに予習しておかないと、観る価値がぐっと下がる。指輪を観るとなると、僕にとってはこの予習という作業が何よりも鬼門となる。過去に指輪を二回観たことがあるけれど、あの予習をまたやるのかと思うと今から憂鬱になる。誰か楽に予習できる方法を知りませんか???
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by voyager2art | 2011-10-22 05:41 | 雑感

間(ま)/ロホ,カスバートソン他/ロイヤルバレエ トリプルビル

 先日に引き続いてまたトリプルビルに行った。昼間にロイヤルオペラハウスのサイトをのぞいていたら安いリターンチケットが出ていたので衝動買い。ロホのマルグリットをもう一度観たかった。それから何よりも、自分でも驚くほどはまってしまったフォーレのレクイエム。あの崇高な美しさにもう一度酔いたいという思いがあった。



Limen / Marguerite and Armand / Requiem

Barry Wordsworth (Conductor)
Orchestra of the Royal Opera House

17th October, 2011 (Mon), 19:30 -
Royal Opera House, London



Limen

Wayne McGregor (Choreography)

Leanne Benjamin, Yuhui Choe, Olivia Cowley, Melissa Hamilton, Fumi Kaneko, Sarah Lamb, Marianela Nunez, Leticia Stock
Tristan Dyer, Paul Kay, Ryoichi Hirano, Steven McRae, Fernando Montano, Eric Underwood, Edward Watson

Solo Cello: Anssi Karttunen

 僕の課題のマクレガー。さすがに3回目となると、少し分かってきたことがあった。といっても内容や振付けの意図が分かったというのではなくて、僕が彼の何が分からずにいるのかが分かってきただけなのだけど。
 彼の振付けでは、ダンサーたちはひたすら体を動かし続けている。そもそもの体の動かし方自体が、全ての関節を一度に動かさなくては気が済まないのだという印象のものである上に、それがひとときも途切れることなく動き続けていて、そこにはほんの一瞬の間(ま)すら許されないという、妄執じみた厳しさがある。前回も書いた身体性についての感覚の違いに加えて、間(ま)の感覚についても僕はマクレガーと対極にいるのだということに、ようやく今日気付いた。
 このあとの演目を観てはっきりと理解したのだけれど、アシュトンもマクミランも明確に間を取っている場所が随所にあって、それが表現に奥行きとコントラストを与えている(とはいえ、両者の間の取り方もまた全く違っていて、それが非常に興味深かった)。しかしマクレガーでは、執拗に動き続ける執念の力強さはあっても、どこか押し付けがましい一本調子のような気がしてならない。

 日本の伝統芸能の間の取り方は、欧米人には理解しにくいという話をよく聞く。僕は日本の伝統文化には情けないほど疎いのでその真偽の程はよく分からないけれど、欧米人に間が理解できないとは思えない。例えば数学の世界では、インド人によるゼロの発見が、重要な発見の一つとされている。何もないことを表すゼロを積極的に一つの要素として定義することは、ある意味では「東洋的」とされる印象を与えるものなのかもしれない。でも、そのゼロの概念を現代数学の中に洗練された形で定着させたのはヨーロッパ人を中心とする数学者の集団だった。
 もちろん、数学者がゼロを定義したからと言って、その文化が「間」の概念を深く理解するとは限らないけれど、だからと言って人が(意識するしないは別として)間を感じないということがあるのだろうか。

 マクレガーがこの作品を、意図的に間を持たないように振り付けたということは充分にあり得ると思う。というか、恐らく実際にそうなのだろう。踊りという分野で何かをやるときに、間をどう取るか(あるいは間を取るか取らないか)ということを考えないということはまずあり得ないことのように僕には思える。でも、そうだとしたら、それによって彼は何を表現しようとしたのだろうか? あるいは、彼の意図を一旦離れたとして、僕自身がこの踊りから「動き」以外の何を感じ得るのだろうか。
 結局そこのところが、僕にはまだ全然分からない。

 僕は間がないからいけないとは思っていない。ショパンの革命のエチュードを例に挙げるまでもなく、無窮動的な作品はたくさんある。ただ、それをやる意図や効果が、このLimenという作品ではよく分からない。

 まだまだ道のりは長い。



Marguerite and Armand

Frederick Ashton (Choreography)

Tamara Rojo (Marguerite)
Sergei Polunin (Armand)
Christopher Saunders (Armand's father)
Gary Avis (A Duke)
etc.

Robert Clark (Piano)

 ロホのマルグリットは、この演目の初日(昼夜の二公演があり、僕は夜の公演を観た)に続いて二度目。初日は演奏の出来の悪さもあって感心しない舞台だったけれど、今日は圧巻。冒頭で身じろぎもせずに見詰め合うマルグリットとアルマンの間に流れる素晴らしい緊迫感。二人が、お互いを一目見ただけで運命の出会いの直感に打たれたことが手に取るように伝わってくる。そのまま一緒に踊り始めた二人からはきらきらとこぼれるような歓喜が涌き上がり、お互いへの興味と盲目的な希望がその姿から輝き渡る。ストーリーがほとんど同じなのでどうしても比較してしまうけど、ロホの表情を観ていると、マノンよりもずっと若い(というか幼い)少女を演じているように見えた。
 この後の二人の世界はひたすら歓喜と幸福に満ちていて、不治の病に冒された彼女が、その限られた人生の中で最高に価値ある輝かしいものを手に入れた喜びが爆発している。ロホの踊りの強い色彩も印象的だったけど、一見無表情のポルーニンのジャンプの表現力の凄さも驚異的だった。

 この後の、運命の暗転に襲われたマルグリットの表現も素晴らしく深みのあるものだった。残酷な宣告にも気丈に身を支えつつ、しかしどうしても心の乱れに負けてしまうマルグリットの脆いプライドと深い悲しみ。彼女にとってアルマンを失うことは単に一つの不幸というだけではなくて、もともと病のせいで短い時間しか残されていないという宿命の上に、更に重なってくるもう一つの打撃だったということが観ているこちらにまっすぐに伝わってきた。

 そして圧巻は最後。死の床に伏しているマルグリットのもとにようやくやってきたアルマン。その腕の中に飛び込むマルグリットからは、途轍もない強さで彼への愛情が迸り出てきた。死を目の前にした人間の、全身全霊を懸けた壮絶な最後の煌めきで、そこから最期の瞬間に至るまでの時間の無限の深さは、ロホの表現力の最上のものがあったと思う。しびれた。

 こういう心理の深みの表現では、やはりロホは凄いとしか言いようがない。他の誰よりも強烈に、明確なコントラストで心理の振幅を描き切ってしまう。素晴らしかった。



Requiem

Kenneth Macmillan

Lauren Cuthbertson
Federico Bonelli
Nehemiah Kish
Melissa Hamilton
Steven McRae
Yuhui Choe
Hikaru Kobayashi
etc.

Anna Devin (Soprano)
Daniel Grice (Baritone)
Royal Opera Chorus


 レクイエムはダブルキャストのうち、初めて観る方の組。またあの神秘の美の世界に浸ろうと思っていたのに、残念ながらこちらのキャストは、ベンジャミン・アコスタ・ヌニェスの組の素晴らしさには及ばなかった。アコスタと同じ役を演じたボネッリはよかったと思う。もちろんアコスタとは雰囲気の違いはあるけれど、透徹した美しさを充分に演じていた。問題はカスバートソンとキッシュのデュオで、振付けをこなすのに精一杯で(相当難しい振付けだとは思うけれど)表現するというところまで行っていなかったと思う。また、カスバートソンはソロでも目を引くところがあまりなかったように思う。ベンジャミンが持っていた極めつけに厳しい雰囲気がないので、踊りが緩くて音楽に対して上滑りするような軽さが感じられた。カスバートソンは白鳥の湖を後半だけ観たときにも、表現に深みが感じられなかったのが気になったことがあって、僕は未だに彼女がどんな役に向いているのかよく分からない。
 今日、ヌニェスと同じ役を踊ったのはメリッサ・ハミルトン。ヌニェスの、およそ完璧という言葉をそのまま体現したような、圧倒的で明確かつ硬質に抜け切った美しさには及ばなかったけれど、僕はカスバートソンよりもハミルトンの方がこの演目をより良く演じていたと思う。すくなくとも、ひたむきに挑戦している姿はとても好感の持てるものだった。
 それからもう一人、目立つ場面は多くはなかったけれど、今日の舞台を支えていたのがスティーブン・マクレー。彼は技術はもとより、どんな役でもそつなくこなすという以上の表現を見せてくれる。ポルーニンと並んで、本当に凄いダンサーだと思う。

 それにしてもこの演目を今日のキャストで観て、改めてベンジャミンがどれほど凄かったかを思い知った。彼女は今でも素晴らしい踊りを見せているとは言え、さすがに年齢を考えると、この先現役を続けられる年数もそれほど長くはないだろう。彼女が引退するまでに、もう一度この演目を彼女が踊るのを観ることができるのだろうか。是非ともこれを、もう一度踊ってほしい。
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by voyager2art | 2011-10-18 09:07 | バレエ

肉体と音楽と美/ヤノウスキー他/ロイヤルバレエ トリプルビル

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 コンサートが終わっても明るかったロンドンの夏も今は昔。最近は開演前に日が沈む。月末にサマータイムが終わったら、しばらくは暗い冬を我慢する日々が始まる。

 今日は先日ヤノウスキーがリハーサルで踊るのを観たマルグリットとアルマンドを含むトリプルビル。振付けは、マクレガー、アシュトン、マクミランと、歴代のロイヤルバレエのレジデントコレオグラファーによる演目。
 実は先週、この演目の初日でロホが踊るのも観たけれど、随分印象が違った。その違いも含めて、色々と。


Limen / Marguerite and Armand / Requiem

Barry Wordsworth (Conductor)
Orchestra of the Royal Opera House

14th October, 2011 (Fri), 19:30 -
Royal Opera House, London

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Limen
Leanne Benjamin, Yuhui Choe, Olivia Cowley, Melissa Hamilton, Fumi Kaneko, Sarah Lamb, Marianela Nunez, Leticia Stock
Tristan Dyer, Paul Kay, Ryoichi Hirano, Steven McRae, Fernando Montano, Eric Underwood, Edward Watson

Solo Cello: Anssi Karttunen


 マクレガーの演出の舞台を観るのは久しぶりで、前回観たLive Fire Excerciseが、恐らく僕が最初に観たマクレガーの演目。前回も思ったけれど、彼の振付けは純身体的・肉体的な印象の力強い動きが多く、一方で直接的な感情表現はない(ように僕には見える)。
 前回はそれでも彼の作る動きが目新しくて面白かったけれど、今回は全くツボがつかめないままだった。男性二人と女性一人の三角関係のようなやりとりもあったけど、脈絡が把握できず、結局よく分からなかった。バレエを観るときに僕自身がまだまだ言葉に頼り過ぎているということか。修行に励みます。

 音楽はフィンランドのカイヤ・サーリアホという人のチェロ協奏曲。微分音(半音より狭い音程間隔)などを使ってはいるものの、標準的な編成のオーケストラを使っていることもあり、最近のスタイルの現代音楽の中でも聴きやすい部類の音楽だろうと思う。武満徹を思わせる響きも頻繁に現れる。
 僕は現代音楽を優先的に聴く人間ではないけれど、ロンドンにいると現代音楽を聴く機会は多い。おかげでそれなりに耳も慣れてきた。その上で言うと、今日のサーリアホの音楽を聴いていると、例えばブーレーズですら、やや昔の音楽という印象を覚えるし、シェーンベルクに至ってはもはやマーラーの側の音楽家のように響く。スタイルの変化は休むことなく続いていて、いわゆる現代音楽も手法を洗練させて、随分こなれてきているという感じがする。



Marguerite and Armand

Zenaida Yanowsky (Marguerite)
Federico Bonelli (Armand)
Christopher Saunders (Armand's father)
Gary Avis (A Duke)
etc.


 アシュトンがリストのピアノソナタに椿姫の物語を振付けた作品。これを初日にロホの舞台で観たときは、かなり失望した。ロホが悪いというのではない。実を言うと初日の(夜の公演の)ロホが絶好調でなかったことは確かで、随所に強烈な表現を見せつつも、全体のまとまりがややちぐはぐな印象があった。ただ、それを差し引いても初日の一番の問題点は演奏。ピアノソナタの譜面をそのまま残して管弦楽を追加したような編曲だったけれど、まずピアノが冴えない。技術的に難しい音楽であることは分かっているのだけれど、それにしても難所にさしかかるとどんどん音楽が貧相になってしまうのが残念だった。そしてそれに輪をかけてひどかったのがオーケストラ。全く練習していないのが明らかに分かる状態で、ピアノとはリズムも表現も合わず、ホルンもポロポロ音をこぼしていた。だからここ一番の盛り上がりでは気持ち良さそうに演奏してロホの演技を支えているのに、各部のつながりを欠いているので、舞台上のストーリーもどこか早回しで椿姫を見ているだけのような、集中力の薄いものになってしまっていたと思う。

 この印象が非常に強かったので、今日のヤノウスキーはどうだかと心配していたのだけれど、これが予想以上に良かった。彼女の踊りが素晴らしいのはリハーサルを見たときに既に予想していたことだったけれど、演奏の方もだいぶ奏者が慣れてきたのか、ピアノとオーケストラがかなり合うようになってきた。ピアノの表現自体も随分よくて、今日はストレスなし。そうなると踊りにぐっと集中できて、ヤノウスキー演じるマルグリットの切実な心情が極めて明瞭に伝わってくる。ロホの舞台で感じた早回しの印象もなく、密度の高い素晴らしい舞台だった。この演目は、あと2回ロホが踊る。演奏の出来がいいときの彼女の踊りを観たい。




Requiem

Leanne Benjamin
Carlos Acosta
Rupert Pennefather
Marianela Nunez
Yuhui Choe
Hikaru Kobayashi
etc.

Madeleine Pierard (Soprano)
Zhengzhong Zhou (Baritone)
Royal Opera Chorus


 マクミランがフォーレのレクイエムに踊りを付けた作品だけど、その振付け自体が驚くほど大胆。この音楽からどうしてこの動きを思いつくのか、というくらい音楽と動きが異質。白を基調としたレオタードのダンサーばかりの中に、一人原始人のように半裸のアコスタがいる。そのダンサーたちの動きは、敬虔で静謐な音楽とは動きのタイミング以外では何のつながりもないような、無機的にすら見えるもので、あるいは別の星の踊りなのかというくらいだった。
 ところがこの二つを組合せると、それがなぜか美しい。ダンサーたちの体の動きと音楽の音の動きは合っているので、見ているとだんだん催眠術にでも掛かったようにこの独特の世界に引き込まれる。僕には本当に新鮮な体験で、演目が進むに連れて、溜め息しかでないような美しい世界に圧倒された。
 ダンサー陣では、何といってもリャーン・ベンジャミンが素晴らしかった。厳しい真面目さのある彼女の踊りはレクイエムの純粋な音楽に完璧に合う。純化された穏やかで自由な精神の世界を自在に舞う姿は一つの究極と言ってもいいのではないかというほど素晴らしかった。「主役(?)」のアコスタももちろんうまい。ほかの多数のダンサーと同じ動きを見せるところなどでも、彼の動きには他の人にはない豊かな表情に満ちていて、「音楽的」とも言うべきニュアンスが漂う。普段見慣れた彼の演技からするとちょっと異質な感じもあったけれど、彼の個性が目立ち過ぎない形でうまく作品に収まっていたと思う。あとはヌニェスの美しい動きのコントロールもいつもどおり冴え渡って、ベンジャミンと美しい対比を形作っていた。

 それにしてもフォーレの音楽の素晴らしいこと。先日のジュエルズでも思ったけど、僕は今までフォーレの音楽をほとんど聴いておらず、本当にもったいないことをしていた。そして、極めて興味深い切り口でその音楽と対等に渡り合ったマクミランの振付け。動きに「彼の」独自の語り口があり、春の祭典にも通じるような動きそのものの生命感や美しさが満ちていた。僕は日本人なので、日本に伝統的に根付いた「肉体は穢れで、精神を身体より上位に置く」という仏教的な考え方から、深いところでなかなか抜けられない。だからヨーロッパ的な、身体やその動きそのものの比重が高い振付けは苦手なのかもしれない。ところが、奇妙なことにマクミランの振付けの体の動かし方の面白さは、僕には抵抗なく入ってくる。僕がマクレガーを理解する鍵はここにあるのかもしれない。マクミランの振付けは、これからもう少し注意を払って観てみることにしよう。
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by voyager2art | 2011-10-16 02:00 | バレエ

芸術の悪魔/アバド & 内田光子 & ルツェルン祝祭管

 途轍もないものを聴いた。

Robert Schumann: Piano Concerto in A minor
(Interval)
Anton Bruckner: Symphony No.5

Lucerne Festival Orchestra
Claudio Abbado (conductor)
Mitsuko Uchida (piano)

10th October, 2011 (Mon) 19:30 -
Royal Festival Hall, Southbank Centre, London


 最初のシューマンは今となってはよく覚えていない。先日のベートーヴェンと違って、シューマンの若き日の瑞々しいロマンが余す所なく表現された名演だったと思う。ピアノがオーケストラの内に外にと自在に行き来して、完璧なアンサンブルを作り上げつつ、心の奥底から迸り出るような途切れることのない豊かな歌を歌い続けていた。

 本当は、今日はこのブログを書かずにお休みにしようと思っていた。でも、この名演を聴いたら書かずにはいられないなと感じたくらいの、素敵な演奏だった。でも、次のブルックナーで、全てが、本当に全てが吹き飛んでしまった。


 シューマンのときはオーケストラもかなり小さな編成だったけれど、ブルックナーは相当な大編成。そしてそこから出てきた音楽は、もう空前絶後としか言いようがなかった。
 冒頭の、信じられないほどの弦楽器の弱音の響きがまず信じられない。オーケストラで本当に難しいのは、こういう極限のピアニシモなのであって、聴こえてきたのがまさにその究極のピアニシモと呼ぶにふさわしい、聴こえなくなる寸前の弱音と無限の広がりの極致だった。序奏の中で入るアクセントは古楽器奏法を入れていたように思う。渋い音で心に深く刺さってくる。続いて金管楽器のユニゾンが威厳に満ちた音楽を奏でて、いよいよ本章が始まる。
 ここまででも相当凄いと思ったけれど、ここからは想像を絶する巨大なものが目の前に現れるのを、なす術もなく眺め続けるような気分だった。フォルティッシモの途轍もなく巨大な音響と、全く底が見えないピアニシモのぞっとするような深遠、全てが完全なビジョンの元に完璧に構築され、一点の曖昧さもなく、明瞭に見通すことのできる音楽の組み上げ。そしてそれぞれの楽器がとんでもない勢いで燃え上がっているような、強烈に力強い音色。しかしきつい音というわけでは全くなくて、どんなフォルティッシモでも際限なく響きが大きくなるとともに、ピアニシモになると冒頭のように神秘の極みの音を奏でる。そして、その中間調はもう無限の色彩と広がりの世界を思いのままに遊ぶような感じ。
 これだけ強い音を作りながら、これだけの響きの明瞭を実現するというのは、他にはベルリンフィルくらいでしか聴いたことがない。そして、今日のルツェルン祝祭管は、そのベルリンフィルより更に一回り上手かった。オーケストラがここまで上手くなれるとは、考えたことがなかった。余りに上手すぎて、何もかもが自然にシンプルに演奏されているように聴こえる演奏ではあったけれど、実際にはこれは単に一人一人が上手いだけでなく、全員が全体を聴きあっているからこそできる演奏だったと思う。例えば、フルートがソロを吹くときに、伴奏の中のコントラバスが静かにゆっくりと動くところがあった(ちょっとだけ専門用語を使うと、ある和音の根音から全音下がって、第7音に移動した)。このとき、一瞬フルートとコントラバスがずれそうになったけれど、その一瞬の間に、フルートがベースに寄り添うように吹いて、音楽の表現を保ったまま完璧にアンサンブルを修正してしまった。舌を巻いた。

 続く第二楽章も忘れ難い。非常にゆったりしたテンポで三連符を奏でる弦楽器の上で、最初は木管楽器が旋律を奏でる。それがひとしきり続くと、今度はヴァイオリンに旋律が受け渡される。このとき、伴奏は三連符のまま、旋律は八分音符のリズムになり、3:4でリズムがぶつかることになる。ここでは何か突然目の前の世界が分裂し始めて、複数の異なる映像が重ねられたような多重性の感覚に目眩を覚えるほどだった。
 その幻惑もすぐに消えて、音楽が静かになったと思ったところに入ってくる弦楽器の分厚いコラールの美しさ! 圧倒的な存在感の美そのものが、そのまま目の前にいきなり現れたかのようだった。そして音楽はまたひたすら豊かに広がり続け、まるでブルックナーの8番か9番の3楽章でも聴いているかのような、深遠と豊穣を極めた音楽として壮麗かつ神秘的に演奏された。どの一瞬を取っても音楽に弛緩はなく、厳しくて温かく、そして崇高な美しさに満ち満ちていた。

 圧巻の2楽章が終わった後、僕はもう自分の音楽的キャパシティーを使い果たしたような気がした。これほど豊かで巨大な音楽を聴いたことがなくて、もう自分の全てがここまでの演奏で尽きてしまったかのような感覚だった。だからそのまま続けて速いテンポで第3楽章が始まったときには、僕は心の底から恐怖を感じた。この音楽は、まだまだ続く。

 飛び跳ねるようなリズムが飛び交う中を、何かをあざ笑うかのような旋律が走り回る。ヴァイオリン奏者が体を激しく動かしながら演奏しているのをみたとき、僕はぞっとするような思いで、それが悪魔が踊り狂っている場の風景のように感じずにはいられなかった。彼らは、僕などが及びもつかないようなスケールで、この音楽を心底楽しんでいる。僕はと言えば、恐怖のあまり息を殺し身を隠して、彼らに気付かれないように物陰からそれを眺めているような状態だった。このままでは取って食われると思った。今まで音楽のことを分かった気になっていた僕を内側からも外側からも固く覆っていた、根拠のないプライドと高慢が、パリパリと音を立てて崩れ去り、どこかに飛んでいった。

 僕はそのまま、取って食われた。彼らにとっては、ちっぽけな僕なんか、酒宴の肴の一かけらですらなかっただろう。僕は果てしなく踊り狂う音楽の中で翻弄され、蹂躙されるがままだった。


 終楽章が始まったとき、僕はもう燃えかすであり、抜け殻だった。もう何も残っていないと思った。ときに滔々と、ときに猛烈に、ときに軽やかに流れる音楽の中で、僕は必死で抵抗していたような気がするけど、それは多分、速い流れの中でやみくもに手足を動かしていただけだと思う。時折、ふっと力が抜けてしまって、ただ音楽に流されるままになった瞬間が幾度かあった。それは、音楽の流れに身を委ねる恍惚とは全く無縁の感覚で、真っ暗闇の中で突然地面がなくなり、いつ果てるとも知れない深い虚無の穴に落ち込んでいくような、絶望的な無力感でしかなかった。
 音楽がコーダに入ったと分かったとき、僕は一瞬希望の光が射したような気がした。もうすぐ終わる。ところが、そこからが本番だった。オーケストラは、いったいどこにそんな力が残っていたのかと思うようなスパートを掛け始め、音楽が更に激しさと巨大さを増す。僕は、僕自身の燃えかすや抜け殻すら一瞬で吹き飛ばされてしまって、もうどこにもなくなってしまった。そして演奏が終わった。


 僕の中で何かが決定的に変わった気がする。いや、そうではなくて、僕はなくなってしまったのではなかったか。もう僕にはよく分からない。舞台袖へ下がるアバドを呆然と眺めていたとき、彼がニヤリと笑うのが見えた。その瞬間、彼の中には悪魔がいるとぞっとしながら確信した。どんなに健康を損なっても、彼の中にその悪魔がいる限り、彼は演奏を続けるだろう。彼は芸術の悪魔に魂を売ってしまったのではないか。

 今日の舞台上で繰り広げられたような芸術的創造に携わることができるのであれば、できることなら僕もこの悪魔に魂を売ってしまいたい。僕はそう思った。


 実は明日も彼らの演奏会を聴きに行く。そのとき僕は、僕としてあるのだろうか。僕にはもう全く何も分からなくなってしまった。


(翌日の公演の写真追加します。)
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by voyager2art | 2011-10-11 08:13 | オーケストラ

集大成/マゼール & フィルハーモニア管/マーラー8番

 どうしようもなく時間がないので、情けないけどほとんど記録だけ。

Maazel: Mahler Cycle 2011

Mahler: Symphony No.8

Lorin Maazel (Conductor)

Sally Matthews (Soprano)
Ailish Tynan (Soprano)
Sarah Tynan (Soprano)
Sarah Connolly (Mezzo-soprano)
Anne-Marie Owens (Mezzo-soprano)
Stefan Vinke (Tenor)
Mark Stone (Baritone)
Stephen Gadd (Baritone)

Philharmonia Voices
BBC Symphony Chorus
Philharmonia Chorus
The Choirs of Eton College

Philharmonia Orchestra


9th October, 2011 (Sun) 19:30 -
Royal Festival Hall, Southbank Centre, London


 マゼールがフィルハーモニア管と演奏してきたマーラー・サイクルの最終日。大曲の8番。このシリーズは色々と聴きにいきたかったけれど、他の音楽会と重なったり、出張が入ったりであまりたくさんは行けなかった。でも、老いたマゼールの独特の境地が、いままで聴いたことのないマーラーを開拓してたのも事実で、名演ぞろいとは言えないかも知れないけれど、非常に興味深い企画だったことは間違いない。
 最後を飾る8番は、もうステージとクワイア席にオーケストラと合唱団が溢れかえるような状態で始まった。

 パイプオルガンの圧倒的な導入に続いて入ってきた合唱は、その人数が多いだけでなくて声の圧力と輝きが素晴らしく、いきなり強烈で壮大な音楽で会場を満たし切る。その後もオーケストラと合唱の気合いがビンビン伝わってくるような熱い演奏が続いて、ようやくそれが静まると、今度は独唱陣の出番。ここでマゼールは先日の9番のようにぐっとテンポを落として、やっぱりきたかという感じ。これだけのテンポだと歌う方は本当に苦しいだろうと思うのだけれど、それを感じさせず、間延びもせずに歌い切る歌手たちが素晴らしい。その後もオーケストラ、ソリスト、合唱の全てが強い緊張感を保ったまま熱い演奏を繰り広げ、素晴らしい第一部を作り上げていた。

 続く第二部。ヴァイオリンの心に突き刺さってくるような素晴らしく印象的な音色のスフォルツァンドに始まり、深い内省と神秘の音楽がじっくりと歌い込まれる。途中の高揚もぐっと内省的で、まるで宇宙の遠くの星が燃え続けているのを眺めるような、浮世のしがらみとは全く無縁の、純粋で力強い気高さを感じさせるものだった。合唱が音節を区切りつつ、つぶやくように歌う部分でも、最小限で入ってくるオーケストラが見事な緊張感を保って、音楽の深くて長い流れを途切れさせることがない。そのまま延々1時間。個性豊かなソリスト陣も、女声・男声のそれぞれに中心となる歌手がいて、特にテノールのヴィンケのソロが素晴らしかった。そのまま最後まで全く飽きることなく、その神秘に深く取り込まれたまま、最後は圧倒的なクライマックスに飲み込まれた。本当に感動的な、素晴らしい演奏だった。

 ちなみに、第二部の後半でコントラバス奏者の一人が気を失って突然倒れ、周囲の奏者に舞台袖へ運ばれていった。マゼールは冷静に指揮を続けて、会場には動揺が走りつつも演奏はそのまま続いたけれど、あの奏者は無事だったのだろうか。不謹慎なことを言うようだけれど、このハプニングの後、舞台上の全員に「俺たちがしっかり演奏を続けなければ」という緊張感が加わった気がした。そして、演奏もこれで更に感動を増していたように思う。会場の誰もがそう感じていたのではないだろうか。

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by voyager2art | 2011-10-10 06:57 | オーケストラ

ユーリ・ノルシュテイン

 最近知り合いと話していて、ふとユーリ・ノルシュテインのことが話題に出た。僕は何年も前に日本のテレビでドキュメンタリーをちらっとみたことがあって、彼が切り絵を少しずつ動かしながら撮影するという、気の遠くなるような手法でアニメーション映画を作っているということは頭にあったし、その映像が素晴らしかったという印象も残っている。ただ、その後はずっとそれっきりになっていた。
 今回、この友人との話題をきっかけにアマゾンでDVDを買って、その作品に満ち渡る美しい詩情に深く心を動かされた。何ということもない素朴な話も、彼の繊細で豊かな感性と、温かい眼差しを通すと、突然この上なく魅力的な物語に変貌する。
 英語版だけどYouTubeに動画があったので、ここでご紹介。「霧の中のハリネズミ」という作品。日本でもDVDが発売されているようなので、興味のある方は是非どうぞ。




 現在彼は、ゴーゴリの「外套」を何年もかけて手がけているそうだ。その完成を僕は心待ちにしている。
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by voyager2art | 2011-10-06 04:49 | その他

持ち味/内田光子 & デイヴィス/ロンドン交響楽団

 急にロンドン交響楽団が聴きたくなって、直前になってチケットを買った演奏会。内田光子さんのピアノも、学生時代に日本で聴いたきりで長く聴いていなかったので、最近はどんな演奏をするのかと前から気になっていた。ようやく実演を聴けると楽しみにしながら会場へ向かった。

Haydn: Symphony No. 92 "Oxford"
Nielsen: Symphony No. 1
(Interval)
Beethoven: Piano Concerto No.3

Sir Colin Davis (Conductor)
Mitsuko Uchida (Piano)

London Symphony Orchestra

4th Oct 2011 (Tue), 19:30 -
Barbican Centre, London


 最初のハイドン。冒頭の響きから極めて充実していて、穏やかな佇まいの中に微笑みと幸福がいっぱいに満ち満ちているような音楽が聴こえてきた。明るくて美しくて、もう理想的なハイドンの響き。
 ハイドンの音楽は演奏がとても難しくて、各パートが一分の隙もなく編み上げられているので、演奏する方は一瞬たりとも気が抜けない。例えばベートーヴェンの楽譜を眺めてからモーツァルトの楽譜を見ると、シンプルなのに豊かだなあと感心するのだけれど、その後にハイドンの楽譜を見ると、鳥肌が立つほどに更に厳しく切り詰められていて、しかも音楽は豊かさを一切犠牲にしていない。その分、楽譜に書かれた音符はときに主旋律、ときに対旋律と目まぐるしく役割が入れ替わり、しかも旋律を弾きつつ同時にハーモニーを構成したりもするので油断ならない。一方で、単純なハーモニーの伴奏のように見えるパートが、実はリズムを打ちながら対旋律のように動いていたりもするので、全ての奏者が瞬間瞬間における、全体の中での自分の役割を理解していないと、各要素が噛み合わずに音楽が成り立たなくなる。これほど演奏が難しい音楽もなかなかないかわりに、上手く噛み合うとこれほど豊かな音楽もない。今日の演奏は、その上手くいった方の素晴らしい実例だった。豊かで美しく、極めつけに心地良い。

 こういう音楽に僕は弱い。何が弱いかというと、これだけ心地いい演奏が続くと、絶対に睡魔に勝てない。美しく響くモーツァルトやハイドンの実演を聴いて、今まで寝ずにいたことは数えるほどしかない。今日も、もちろんよく寝ましたとも。(ごめんなさい!)


 続くニールセンの交響曲第1番。ニールセンは好きだけれど、録音も含めて聴いたことがあるのは3番と4番だけ。プログラムの解説によると、作曲者の20代のときの作品らしい。
 実際に演奏が始まると、ドヴォルザークのような響きも時折聴こえはするものの、やはりはっきりとニールセンの特徴が出ていて面白かった。独特の音階や翳りのある和声はニールセンそのものだし、何よりも心の内から溢れてきて何ものをも押し流さずにはおかないような、表現意欲の奔流はこの頃から既に確立されていたのがよく分かる。そして、その奔流に身を委ねて一瞬のうちに心を遠くへ運び去られる恍惚は、この作曲家を聴く何よりの醍醐味。そういう部分がこの音楽には随所にあり、充分にその楽しみを味わった。
 デイヴィスの指揮するオーケストラもさすがのうまさで、明快な発音と熱くて集中力の途切れない濃密な表現が素晴らしく、期待通りの「上手いオーケストラの演奏」を堪能した。


 休憩を挟んでメインのベートーヴェン。会場の温かい拍手に迎えられて、深々とお辞儀をして席に着いた内田光子さん。でも、大らかでゆっくりの序奏に次いで入ってきたピアノのソロは、実をいうと始めのうちなかなかその良さが分からなかった。音はしっかりと中身の詰まった音でよく鳴っているし、そつなく演奏してはいるけれど、どうも本質的に彼女の音楽性と、この曲の大仰な力強さが合っていない気がした。ピアノソロの歌い回しが、妙に落ち着いていて、ここ一番のフォルテは無理やり力づくで鳴らしているような感じ。彼女のフォルテは厚いというよりも固い響きになってしまって、どこかちぐはぐで逆効果な印象があった。

 どこか釈然としないまま音楽は進んでいき、ようやく1楽章のカデンツァで、彼女の良さが分かってきた。彼女は力で押すような音楽よりも、前に素直に流れる音楽を演奏する方が自然な音楽を作るし、強音よりも弱音の音楽で格段に素晴らしい演奏をする。特に弱音の旋律一本で勝負するときの緊張感と表現の深みは抜群に良くて、一気に聴き手を音楽に引き込んでしまう。

 そうなると本当に素晴らしいのが緩徐楽章の第2楽章で、冒頭のソロの、深い静けさの中の歌の豊かさはこの上なく美しい。この楽章ではそのまま、彼女の持つ弱音の神秘が余すところなく繰り広げられる。仄かな響きの中の素晴らしい色彩の変化や、中音域の中弱音の深い色合いの移り変わりは圧巻で、この曲でこれだけの演奏をする人は世界に何人もいるとは思えない。おかしなことを言うようだけれど、彼女はベートーヴェン向きではないとは思うけど、ヴェートーヴェンのある種の曲を弾くには彼女はすばらしい適性を発揮する。

 3楽章は再び力が必要なタイプの音楽になるので、1楽章と同じような印象に戻ってしまうのが残念だった。恐らく普通に聴けば決して悪い演奏ではないのだけれど、2楽章が余りにも素晴らしいのでその差がどうしても気になってしまう。でも、ときどき現れる弱音のアルペジオなどはハッとするほど美しくて、聴き終わった後の感想は、やはりいい演奏を聴いたと満足できるものだった。

 僕は彼女の演奏を聴くなら、ドビュッシーの、それも前奏曲集第2巻や練習曲集といった、後期の洗練を極めた音楽や、定評のあるモーツァルトが面白いだろうと思う。あとは、シェーンベルクやウェーベルンなども面白いに違いない。来年4月に彼女がリサイタルで弾くシューベルトも定評があるけれど、僕は録音も聴いたことがないので、どういう演奏になるのか今ひとつ予想がつかない。でも、だからこそ聴いてみたいと思わせる魅力を持ったピアニストだと思う。
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by voyager2art | 2011-10-05 08:22 | オーケストラ

昔語り/マゼール & フィルハーモニア/マーラーサイクル

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 マゼールとフィルハーモニア管によるマーラーサイクル。今夜は9番。実は二日前にも同じシリーズの演奏会があり、マーラーの10番アダージョと大地の歌という、マーラーの作品の中でも僕が最も好む2曲の演奏だった。ところが、先日引いた風邪が治ったと思ったらまた別の風邪をもらってしまったらしく、体調が再び悪化していて10番を聴いたところでギブアップ。非常に遅いテンポの演奏で、このままの調子で大地の歌を演奏されたら体力が持たないと悟って音を上げてしまった。
 ただしこの10番、そのテンポの遅さゆえにオーケストラのアンサンブルが崩壊する手前まで行ってしまった異色の演奏で、恐らく録音で聴くとその合奏の乱れが許容できないところまで崩れていると思うけど、それが実演では異様な緊張感を帯びてこちらに迫ってきた。
 この調子だと今日の9番も相当遅いのだろうけど、上手くいけば狂気を帯びた面白い演奏になるに違いない。久々に体調も戻ってきて、気合いたっぷりで会場に向かった。


G. Mahler: Symphony No.9

Lorin Maazel (Conductor)
Philharmonia Orchestra

1st October, 2011 (Sat) 19:30 -
Royal Festival Hall, Southbank Centre, London


 その演奏、始まってみると予想通り遅い。本当に遅い。ひたすら最初から最後まで、ずっと遅かった。途中で一瞬、ああ速くなったかなと思っても、演奏が続くうちにまた遅くなる。一楽章だけで40分。先日聴いたノリントンだったら、40分もあれば2楽章の終わりか、もしかすると3楽章の真ん中あたりまで演奏していたかもしれない。遅くても緩急がついていればまた印象は違ったと思うけれど、どこを取っても慌てず騒がず、静かなところも音量が大きく盛り上がるところも、楽譜に書いてある以上の表現は何も加えず、同じスケールでずっと続く。潔癖なまでにデフォルメを避け、執拗なまでに同じ語り口で語り続ける。こちらも我慢に我慢を重ねて聴いているけれど、有り体に言えば、これは老人の気の遠くなるほど長い昔語りを、いつ果てるともなく聞き続けるような感じだった。

 それでも何とか我慢して聴き続けられたのは、一つにはオーケストラの熱演によるところが大きい。奏者の側にも相当なストレスが溜まっていたのではないかと思うし、実際トランペットやホルンのソロでは思わず駆け出してしまったり、募るイライラのせいではないかと思うようなミスも見られた。それでも、全体としてはこの非常に遅いテンポの中でも決して集中力を切らせず、驚異的な粘りで技術・表現ともに極めて高い水準を保ち、最後まで演奏し切っていたと思う。
 それからもう一つ、とにもかくにも僕に今日の演奏を最後まで聴き通させた一番大事な点は、マゼールが一切の虚飾を排して、徹頭徹尾誠実に演奏していたこと。何か前代未聞の効果を狙ってやろうとか言うようなわざとらしさは一切なく、年齢を重ねたマゼールが、今の心境に忠実に音を積み重ねていったら今日の演奏になったということは間違いない。そこには、長い間クラシック音楽会の最前線を走ってきた彼だからこその説得力があった。

 今日の演奏を聴いていて、延々と積み重ねられた淡々とした語りの持つ誠実と真実の重みは何より印象的だった。これが今までのマーラー演奏にはなかったスタイルであることは間違いないけれど、ではこれが普遍的な価値、あるいはこれまでの価値観を突き崩すような新しさを持つかというと、僕はそうではないと思う。今日の演奏から僕が感じたのは、心を揺さぶる深い感動とは何か別のものだった。それは恐らく、カラヤンやバーンスタインといった大家たちとも一部重なる年代に活躍した一人の指揮者が、老いという誰も逃れることのできない宿命の中で、その芸術を変容させていくのを目の当たりにしているということへの感慨なのだろう。

 最初の予想とは異なる後味の演奏だったけれど、疲労だけではない何かが心の中に残る演奏ではあった。
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by voyager2art | 2011-10-02 07:56 | オーケストラ


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